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復権か?沈黙か?〜池永正明、35年間の自分との闘い

2024年10月03日 11時52分43秒 | スポーツドキュメント

 「復権〜池永正明、35年間の沈黙の真相」は直木賞作家の笹倉明氏による、黒い霧事件により球界永久追放との犠牲を負った池永氏の苦悩と葛藤を辿ったドキュメントである。
 結論から言えば、池永氏は100万のお金は受け取ったものの、八百長はやってないし、その証拠に指定試合には投げなかった。
 一方で、受け取った金を返そうとしたが、相手が頑なに拒否したが為に返せなかった事が、後に取り返しのつかない深刻な不運を招く事になる。
 ただ言える事は、池永氏は自分なりの正義を下し、勿論その正義が報われるまでには35年の月日を要した訳ですが、それは自分を持する為の闘いでもあった様に思う・・・

 そこで今日は、前回の「生け贄か?見せしめか?」に続き、笹倉氏の著書「復権」から見た”黒い霧”事件の内幕に迫ります。私なりの解釈と補足を交えますので、8千字(原稿用紙25枚)を超えますが、池永氏の35年の苦悩と沈黙を少しでも共有できたら、幸いです。
 

オレはやってない

 ”黒い霧事件”では主犯格のN投手(即解雇)を除く、西鉄の選手6人が処分された訳だが、胴元Fと結びつき、Nと共に八百長試合に深く関与して西鉄球団に広めたT投手(中日)は自由契約となり、更にオートレースと野球の八百長で逮捕され引退。実質上の永久追放となった。
 一方、池永氏を含む西鉄の3投手も永久処分を受けたが、Yo投手とMa投手は明確な八百長行為が認定され、池永は敗退行為の勧誘時に先輩のTから受取った100万円の返却を怠った事で”八百長を承諾した”と見なされた。
 また、残りの3選手はNやYoから八百長を依頼され、それぞれ30万を受け取るも拒否し、一部又は全額を返済した事が認められ、出場停止や厳重注意だけの軽い処分で済んだ。
 100万と30万の金額の差はあるものの、池永の場合は”敗戦行為の約束も試合もしていない”と本書の中でも明確に供述している。
 事実、警察には参考人として呼ばれただけで、一貫して無実を主張。警察は立件できず、検察も略式起訴すら出来なかったのだ。

 ”みんなやっとる事だから・・投球に手心を加えてくれんか”と、先輩のT投手が中洲の料亭に池永を呼び出し、じわりじわりと忍び寄ってくる。
 ”先輩、それは出来んとです”と池永。
 ”俺を救うと思って、受け取ってくれ。今1千万ほど負けが混んでるからの”と、Tは土下座して何度も頼み込む。
 ”それだけは勘弁して下さい”と、池永は首を振り続けた。
 胴元のFは賭博仲間のTを利用し、池永の先輩のTなら落とせると踏んだのだ。当時の1千万と言えば、今では1億を優に超えるTはこれ以上負けが込むと”消されるかもしれない”と追い詰められた挙げ句の行動だったのだろう。

 結局、指定試合に池永が先発する事はなかった。先発には2線級が起用され、西鉄はロッテに大敗し、結果的にTは九死に一生を得たのだ。つまり、池永氏が”八百長をやってない”と主張する理由と根拠がここにある。 
 池永は後日、預かってたお金をTに返そうとするも、”いいから取っておけ”と全く取り合わない。後輩に土下座してまで懇願したTがそういう心情になるのも無理はないが、池永もいい迷惑である。何度返すと言ってもTは拒み続けた。
 ”この時、お金を返してれば”との仮定も現実的ではない。胴元のFからすれば、100万を握らせ、一度は釣り上げた大物である。簡単に手放す訳にはいかないし、当時の球界では、上下関係は絶対だったのだ。それに、Tが100万を受け取ってたら、賭博組織から消された可能性もなくはない。

 以降、池永は八百長に関わる事はなかったし、先輩のTにも会う事はなかった。だが、その年の内に起きた読売(報知新聞)のスッパ抜きの記事とFのウソの爆弾発言が、池永の人生を大きく狂わせる事になる。
 まず、胴元のFは”指定試合が流れたのでTがお金を返せと迫ったが、池永は返さず、その代わり来年の開幕では約束を果たすと言った”と池永に不利な嘘の供述をした。
 確かに、Tはお金を預けたままにする事で、池永に恩を売り、開幕戦での敗戦行為の担保にするつもりだったかもだが、Fの言葉は事実とは明らかに矛盾する。
 だが実際には、開幕戦で池永は打ち込まれて敗戦投手となり、結果的にだが、Fの供述通りに事が進んでしまった。
 勿論、池永には疑惑を晴らそうとの力みもあった事だろう。が、皮肉にも逆の結果を招いてしまった。この敗戦により池永は、最後までツキに見放されてしまう事になる。


復権への動き

 一方で、コミッショナーの池永氏への永久追放の処分結果は、「前回」でも書いた様に、明らかに矛盾するし、当時の採決は黒い霧そのものであった。
 事実、当初は敗戦行為を否定し、シロと認定されたFu投手とMu捕手とMo野手の3人と池永を含む4人の処罰は、1ヶ月の出場停止が妥当との声が多かった。
 だが調査は難航し、蓋を開けてみれば、30万のうち10万を返したFuと全額返したMuは6ヶ月の出場停止で、全額返してコーチに報告したMoは厳重注意だけであった。一方で、池永は100万を父親を経由し球団に返したものの、永久追放処分となる。
 100万を返さなかった事が追放処分の理由なら、返せなかった理由も根拠も池永には明確に存在した。返そうとしても断固拒絶するTをどう説得しろというのか?終いにTは”だったら、呑んだ事にしてチャラにしよう”とまで言ったのだ。つまり、(法的に言えば)この時点で池永には返済義務は消滅する。
 今なら明確な推定無罪だが、当時のコミッショナーは”推定有罪”と判断した。故に、誰が見ても何らかの圧力がコミッショナーに掛かったと見るべきだろう。

 この3年後に西鉄から太平洋クラブに名を替えた球団側は永久追放処分解除の提案をしたが、オーナー会議での意見が纏まらず立ち消えとなる。その後、96年には有志による「復権実行委員会」が設立され、19万近い署名を集め、池永への処分解除を求める嘆願書をコミッショナーに提出したが、1年間の協議の後、”プロ野球界に求められる倫理とは背馳する”との不可解な理由で、98年6月に嘆願は却下された。

 そこで、本書の著者・笹倉氏は新たに「池永復権会」を設立する(発足は同年11月末)。
 つまり、従来の嘆願では埒が明かないので、法的手段を使った正攻法での復権を考えたのだ。時間も費用も掛かるが、今となっては池永氏を救い出すには、これ以外の有効な手段は他にはない。
 この組織には、著者の友人や知人である作家や弁護士を始め、多くの著名人や有名人らが賛同する。一方で、プロ野球コミッショナーに真っ向から喧嘩を売る訳だから、前の「復権実行委員会」の主力メンバーであるプロ野球OBらは外した。
 しかし、池永氏が”推定有罪”に至った流れと仕組みを、”池永はクロだ”と誤解してる多くの人に、全国を周り、詳しく説明する必要がある。一方、永久失格処分は池永氏への人権侵害に当るとして、人権委員会(日弁連)への提訴という形で扱ってもらう事にした。
 つまり、”永久失格=人権侵害”との認識が進めば、処分解除の大きな前進になる。仮に、コミッショナーがこれを無視すれば、本裁判で決着をつけるしかない。

 「復権会」の相談役を無償で引き受けてくれた東京弁護士会の2人はやる気満々だった。そして、全ては上手く行く筈だった。


時代が”黒い霧”事件を生んだ

 笹倉氏を中心とした2人1組の約2時間の講演会は神戸から始まり、以降、加古川→姫路→舞鶴と進み、下関→博多と南下する。
 笹倉は”理不尽な追放劇”の矛盾を必死に説いて回った。”現代の価値観で過去の過ちを再検証するのは当然の事であり、歴史上の人物すらも名誉を失墜したり回復したりする”との講釈はさすが直木賞作家ではある。
 しかし、70年代という高度成長期真っ只中の時代は日本も大きな危機と変換期を迎えつつあった。経済だけを只管追い続け、あらゆる面で民主主義の未熟さを曝け出し、世界中からは”経済動物”とバカにされた。
 勿論、問題が山積みなのは、プロ野球の世界も同じだった。”黒い霧”事件の背景には、肩で風を切って歩いてた時代の暴力団員のプロ野球という興行への出没であり、戦後の過渡期に起きた避け難い現象でもある。

 当時各紙が報じた記事によれば、全国に6つの大胴元(関西の実業家や中国の富豪や資産家ら)があり、その下に1つの情報機関(ハンデを決め各胴元へ情報を流す)と高利貸しの暴力団組織が幾つか存在し、大胴元を形成した。
 九州を除く5つのグループは関西や大阪や神戸に集中し、1試合で動かす金は5億(今の50億以上)を下らないとされた。
 組織の末端である胴元(例えばF)はあがりの2割を取って残りを上納し、7割が上級幹部へ流された。胴元は張り手としても賭博に加わり、損をする事があれば、八百長により取り戻した。一方、大胴元は張り手に金を高利貸しし、金縛りにする事で背後からシンジケートを操っていく。
 こうした違法賭博は、地下水脈の様に広く深く張り巡らされ、一般人には全く縁がないものであった。事実、張り手の資格は秘密を厳守できる、社会的地位の高い人種に限られ、更にシンジケートの調査機関による厳しい審査を受ける必要があった。
 確かに、違法賭博さえなければ”黒い霧”は存在しない筈だが、高度に計算し尽くされた犯罪は社会の暗部の地下深くに潜み、しばし特権階級に属する民が犠牲になる事も、我らは認識すべきであろう。

 一方で、そうした特異的な仕組みを知らないメディアはコミッショナーの採決を手放しで称賛した。”常識に欠ける”とか”金に対して甘い”とか、この際、徹底的に膿を出し、”球界を浄化する為、社会を正す為に”との大義名分が優先され、一個人の人権などは殆ど無視されていく。
 また、70年代初頭というのは、概ね一目でヤ◯ザと判別できた時代だ。故に、庶民だけでなく、プロ野球選手も彼らを怖れた。故に、興行に出入りするのは彼らの特権でもあったし、戦後のドサクサで給与の乏しい選手の面倒を見たのも彼らだった。
 勿論、彼らは義理を傘に立て、選手らに近づいたし、あの手この手を使って丸め込む。一方、選手の方から好んで彼らと付き合ったのであれば同罪だが、脅されて付き合ったのであれば、話は変わってくる。

 結局、そんな厄介な仕組みを正確に解明しない限り、正しい裁きは出来ない筈だ。が、世間は結果だけを見て、物事を判断する。
 全国を点々とした公演の旅だが、問題は事件を知らない若者らに真実を正しく訴えるかが大きなネックとなっていた。
 

ちょっと待っててくれんですか・・

 池永氏は「復権会」の一連の運動に際し、”川上哲治氏にだけは了解を得ておきたい”と申し出た。川上氏は”内野席から応援している”と、直ぐにOKの返事が返ってきた。
 因みに、「前回」でも書いた様に、池永は2度も故郷の下関で川上監督と交渉した挙げ句、巨人を蹴ったという引け目がある。でも、これで池永は安堵したのか、”弁護士(N氏とS氏)の博多への来訪を待ってる”と意欲的な言葉を返した。
 が、この直後に”球界のドン”とされるH氏から”そんな事したら迷惑する人間が出るよ”と、電話口で脅されたという。

 池永の心は再び揺れ動いた。
 勿論、笹倉の心も沈んだ。”弁護士が博多に飛ぶなんて情報はどこから漏れたのか?偶然にしては出来過ぎである”
 確かに、H氏からすれば”脅せば黙るだろう”との魂胆はあった筈だ。推測するまでもなく、過去を掘り返される事で罪を逃れた球界人の名が暴露するのを、H氏は恐れたのである。 
 勿論、弁護士の仕事は事実関係を遡る事にある。権力者が、そうした事に横槍を突き刺すのは常套手段でもある。事実、”暗い過去を持つプロ野球OBらが復権に反対してる”(大橋巨泉談)という。
 以降、池永は再び黙り込んだ。
 2人の弁護士は”人を弁護するには依頼人の気持ちが全て。我らがいくら頑張った所で・・”と、この問題から降りる事を決意する。

 ”黒い霧”事件から丁度30年。再び黒い霧が立ち込めた。
 ”今度こそは”と用意周到に事を進めたつもりの笹倉だが、立ちはだかる厄介な壁を前にして、返す言葉を失っていた。
 一方で、支援社の1人(高校時代の監督)は”黙って耐えるのが男だという考えは古い。今は堂々と物を言う時代だ”と池永に説教をする。
 そもそも野球協約に、永久失格の”復権”の文字はない。だが、復権を認めさせるには法の力が必要である。でも、H氏の脅しで期待はあっさりと裏切られる。
 法的戦いへと腹を括った筈の池永氏だが、たった1本の電話により、再び沈黙の道を選んだのだ。ただ言えるのは、闘いを好まず黙々と我道を歩いてきた池永氏は、それ以外の人間には成り得ないという事だけである。 


新たな展開

 ゲームは、初っ端から振り出しに戻った。
 だが、池永救済の理由がブレる事はなかった。つまり、98年のコミッショナー側の復権拒否の”一致した”見解には、明確な矛盾が存在した。H氏の”脅し”による横槍はそうした矛盾を物語るものでもある。
 一方で、法的手段が意外にも当てにならない事も痛感したし、自身の講演会も限界に来ていた。そこで、相談役の1人である小野ヤスシが”マスコミを総動員し、自分のやり方で進めてみる”と言い放つ。

 確かに、支援者には其々の思いがあり、様々なやり方がある。火の手は色んな所から上がった方が有効に働く筈だ。
 つまり、提訴や訴訟が無理なら、再び懇願に縋るしかない。それも大掛かりな程に有効になる。事実、東京プリンスホテルでの大支援パーティーには、400名以上の各界の有志や著名人や有名人が集結し、”池永の復権なくして民主化はありえない”との声まで聞こえてきた。
 一方で、復権の動きは政界でも大きなうねりとなり、合計51名もの国会議員が賛同した。だが2001年3月の国会で”これは人権問題だ”と、途中から相談役に加わった楢崎欣弥民主党衆議院議員が発言し、コミッショナーを国会に招聘するものの、多忙を理由に無視を決め込んだ。
 つまり、コミッショナーの背後に自民党や読売総帥のH氏がいるのは明らかだったが、結局は問題が国会に上がっても、分厚い壁は微動だにしなかったのである。

 笹倉は、ここまで復権運動が社会的な広がりを見せ、多数の議員の賛同を得た事だけが救いだった。”諦めずに、このまま運動を続けるしかない”と自分に言い聞かせた。勿論、大きな壁が崩れる保証は何処にもないのだが・・・
 しかし、同年秋に開幕したマスターズリーグで池永氏が登板した事が大きな話題となり、復権の大きな変換点となる。つまり、世論は確実に池永に傾いていた。一方、早とちりしたファンや支持者らは永久失格処分の解除と勘違いし、祝電や励ましの手紙が相次ぐ。
 だが、池永の”もう許して頂きたい”との言葉には、池永氏が言い残した、未だに語らない何かがある事の裏返しでもあったし、皮肉にも復権の起点に繋がっていく。

 復権会はその後、2002年2月に1998年6月の嘆願書却下に対する反論書を添え、全12球団のオーナー及びコミッショナー事務局へ提出した。請願自体は却下されたものの、”時代が変われば世代も変わり、球界の権力構造も変わる”と確信していた笹倉には、この結果は想定内でもあった。
 ただ、”なぜコミッショナーは頑なに池永の永久追放に拘るのだろうか?黒い過去を持つプロ野球OBらが復権を嫌がってるという現実だけなのか?コミッショナーが掲げる倫理とは一体どういう類のものなのか?”
 笹倉は自問自答を繰り返し、”今も確実に存在する野球賭博と八百長の恐れこそが復権拒絶の黒幕ではないか”と予想したが、やがてそれが正しかった事が明らかになる。


”生け贄”の事実と”見せしめ”の真実

 事実、黒い霧事件から30年以上経っても、野球賭博は未だに蔓延っていた。故に、池永を”見せしめ”として、選手に対し”脅し”として使っていた。
 でも、なぜ池永なのか?
 つまり、雑魚を切っても事態は収束しない。黒い霧事件の危機的状況の中で、球界は超大物を切る事で、世間に示しをつける他なかった。従って、池永は”生け贄”にされ、その途方もない犠牲により、”球界存続の危機を救った”との見方も出来なくはない。
 事実、池永ら西鉄選手の処分を持って、黒い霧事件は収束するかに思えた。が、その後も黒い疑惑は燻り続け、疑いのある選手は40名を超え、19人が処分を受け、そのうち9人が永久追放となる。
 黒い霧事件の調査と処分は約2年で終りを告げたが、結局は球界の自己防衛と組織の存続を最優先した結果の対応に過ぎなかった。
 特に、西鉄の選手に振り下ろした”伝家の宝刀”である野球協約も、最後は死文にせざる負えなかった。こうして助かった選手らの一部が球界の支配者に登り詰め、池永復帰に反対を唱えるのだが、これ程の運命の皮肉もない。

 笹倉氏は本書の最後で”全てを水に流し、終わりにすべき頃だろう”と説く。
 勿論、少なくとも池永氏の永久失格処分だけは解除すべきである。確かに、100万を受理したままだった事と真実の報告を怠った事は池永氏の落ち度かもしれないが、当時の状況からしてこの2つは現実的ではないし、23歳の池永を責めるのは酷すぎる。仮に、処分を受けるとしても(前出の)FuとMuと同じ”半年の出場停止”が妥当又は上限だろう。
 一方で胴元Fは、池永と仲のいい先輩のTを使って近づき、恩義と脅しを使って池永を追い詰めた。つまり、池永は違法賭博の一方的な犠牲になっただけである。
 また、球界にどの様な権力構造があろうと、池永の復権は全く正当なものであり、それ以外の選択肢はない筈だ。

 2005年3月1日のコミッショナー実行委員会および同年3月16日のオーナー会議において、不正行為とその処分について定めたプロ野球協約第177条の改正が承認され、これにより、処分対象者からの申請による球界復帰への道が開かれた。
 この協約改正を受け、池永氏は球界への復帰を申請し、同年4月25日に復権を果たす。

 笹倉氏は言葉を濁しているが、”球界のドン”と言えば、誰もが知る読売グループの総帥のW氏であろう事は想像に難くない。
 Hというイニシャルにせざる負えなかったのは、令和の時代になっても昔ながらの権力構造が変わらない事を意味するし、プロ野球界の組織が未だにタテ社会から抜けきれていない事を実証するものだ。因みに、ウィキで調べても、権力(ドン)の存在は明らかにされてはいない。


最後に

 読売グループと自民党と違法賭博組織との繋がりは、我ら庶民が思う以上に深く根強いものがあり、簡単には死滅しない事を物語る。
 勿論、野球以外でもあらゆるスポーツで八百長や違法賭博は成される訳だから、野球賭博だけのせいにするのも矛盾と限界がある。
 著者は”復権を認めた事で、野球というスポーツの真の発展へと踏み出し・・”と締め括るが、プロスポーツが違法賭博の餌食となる現実が存在する限り、”黒い霧”は延々と繰り返される。

 事実、2015年にも巨人軍4選手の野球賭博関与が発覚し、うち3名は永久追放処分を受けた。その1人である笠原は”山口鉄也・内海哲也・宮國椋丞・菅野智之も賭博をやっている。巨人はかなりの事件を揉み消してる”などと、球団の暗部を泥酔しながらも告発した。
 多分、笠原が言った事は本当だろう。故に、池永の復権を許せば、黒い霧の真相は全てが白日の下に晒され、違法賭博だけが地下深くで生き延び、栄光の巨人軍は死滅する。
 因みに、この年をもって読売の渡辺はオーナー職を辞すが、かつては”政界のフィクサー”とも呼ばれた男も今は98になる。
 年齢だけが理由でない事は明らかだが、”権力は死なず、ただ消えゆくのみ”という事だけは言える。

 今に思えば、”池永への脅しは読売への脅し”でもあった。その池永氏は脅しに屈したのではなく、球界の事を思い、自らの正義を貫き、再び沈黙を守り続けた。
 勿論、沈黙が正しかったのかは分からないが”もう許して頂きたい”という言葉に、”自分の事で周りが迷惑するのは勘弁してほしい”との渾身の願いが込められてる様に思える。
 35年に渡る自分との闘いは、こうして幕を落とすが、そこには35年前の若く未熟な自分を見つめる58歳の池永氏がいた筈だ。

 もし、こうなる事が判ってて、再び先輩のTから100万を差し出されたら、池永氏は同じ様に受け取るのだろうか?
 多分、それは誰にもわからない。つまり、35年間の試行錯誤の結果、理想の答えは導けなかったのだから・・・それが”勘弁してほしい”との言葉になったとすれば・・
 そう、人生に答えというものは最初から存在しないのだ。

 


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