寄せられたコメントに、”ネット社会で人は利口になった”とあった。
確かに言われてみればそうだ。ただ厳密に言えば、ネットのお陰で情報が容易く何処でも入手できる様になり、利口になった様に見えるだけであろうか。
実際はネット社会になり、いやスマホ社会になり、人類の脳は腐り、知能は確実に脆くなってると思う。
その例が、一寸した誹謗中傷による自殺の増加だ。昔の人は”死ね”と言われたくらいでは死ぬ筈もなかった。自殺するにはそれなりの深刻な理由があった。
しかし、ここ数年に起きた自殺は、専門家ですら、その理由が掴めない奇妙なものが多い。
そういう私も何十回”死ね”と言われたろうか。それでも死ぬ気なんて全然起こらない。つまり、自殺願望が強い筈の私の脳は健全なのだろうか。
”自殺する脳”や”死に急ぐ若者”でも書いたが、現代人の脳は確実に脆くなり、壊れ易くなってるのは確かだろう。
やっぱり、スマホは脳を腐らす
今や生活に欠かせないスマホが、脳科学の世界中で物議を醸してる。スマホに依存すると30~50代の働き盛りでも、もの忘れが激しくなり判断力や意欲も低下するという。
スマホの脳では前頭葉の血流が減少し、スマホから文字や映像などの膨大な情報が絶えず流入し続け、情報処理が追いつかなくなると見られてる。
「スマホ脳過労」とか「オーバーフロー脳」と呼ぶ脳神経外科医も現れ、脳の異常は一時的なのか?認知症の初期症状なのか?の議論が始まった。
また東北大学は、スマホの使用時間が長い子どもの大脳に発達の遅れが見られると発表し、一部の自治体は子どものスマホ規制に動き出した(NHKクローズアップ現代より)。
つまり、”スマホが脳を腐らす”事が脳神経学の研究で明らかになりつつある。
スマホ依存で脳の働きが鈍くなり、更に情報の洪水に晒されると、脳の検索や管理機能が働かなくなり、40~50代では脳が”ゴミ溜め”になると指摘をする専門家もいる。
考える前に情報という答えが入ってくるのだから、バカにならない筈はない。
ある生徒が教師から怒られたという。
”君は何故、教科書を見ないのか?全てを理解し、暗記してるのか?”
すると生徒は答えた。”スマホに全て書かれてあります”
すると先生は、”君は試験中にスマホが見れるとでも思ってるのか?”
生徒は黙りこけ、教室は大笑いになった。
しかし、これは笑い事ではないのである。これこそが、スマホ依存症に陥った現代っ子の思考回路なのだ。
勉強をしなくても勉強が出来なくても、知能が低くても、スマホが勉強してくれるし、記憶してくれる。俺が持ってるスマホは高性能だから、自分は勉強する必要も考える必要もない、とでも思ってるんだろうか?
それでもスマホはやめられない
しかしこれは、子供だけの問題ではなく、中高年者の問題でもある。
身の周りには友人はいないが、ネット上には多くのフォロワーがいる。毎日沢山のイイネをコンスタントに貰えるし、コメントには殆ど同意してもらえる。ブログは生きがいであり、ブロ友は心の支えである。
つまり、こういったSNS依存の中高年が沢山いるのだ。
勿論、生きがいがある事は悪い事じゃない。それに生の人間関係には露骨で微妙なトラブルがつきまとう。ネット上だと、イイね繋がりの中で優雅に自分を表現でき、自由自在に振る舞う事が可能だ。
そういう私も、一種のブログ依存ではある。
しかし幸か不幸か、SNSの世界でも現実社会と同様に、友人と呼べる者は殆どいない。逆にそれが、スマホ依存症を阻止する要因になってるのだろうか?
私はとにかく数式でも絵でも文章でも、頭の中でイメージして描く事が好きだ。
故に、SNSをダラダラと眺める事は好きじゃないし、フォロワーの記事を全て読むなんて出来る筈もない。読んだとしても、2つか3つであろう。それも大半が流し読みだし、イイネなんて苦痛に過ぎない。
つまり、私にとって、ネットやSNSの世界なんて最初からどうでもいいのだ。そこに考えるヒントがスペースがあるだけでいい。ネットは、私にとってはまっ更なキャンバスであり、思考を組み立てる場であるだけでいい。
ネット上を騒ぎ立てる幼稚なフェイクや陰謀説は、排出するガラクタ同様に、私にとってゴミ溜めに過ぎない。モノと同様に、情報というのは”下らないゴミ”ほどイイネは群がるし、生き延びるのだろうか。
しかし、それかと言ってネットやスマホを全く無視できる筈もない。そういう私だって男である。最低でも数日に1回はポルノサイトを覗くし、腐ったガラクタの中から掘り出し物を見つけた時は嬉しいもんだ。
それでもスマホが悪いのか
SNSがスマホが脳を腐らすとは、言い換えれば、スマホに依存する中毒症こそが、SNSに依存する強迫症こそが脳を腐らす。
スマホにSNSに責任はない。ネットで囁かれてる事が大半がインチキだとしても、それらに依存しようとする我らに責任がある。
同じ様に、ネット上のランキングや誹謗中傷やフェイクに責任はない。それらを真に受ける我らが悪いのだ。
しかし我らサピエンスの脳は、情報の洪水により、自ら思考し吟味する習性を失いつつある。
今や思考の根本に情報がある。本来なら思考の中枢には知能があるべきだが、知能に取って代わり情報がデンと君臨してしまった。
つまり先程の子供の様に、”答えはスマホだけが知っている”となる。答えは自ら生み出すもので、スマホに記憶されるべきものじゃないのにだ。
そういう私も記憶の大半はスマホに依存する。こうやってダラダラと書いてるのは、自分の考えをスマホに記憶させる為だ。
もともと記憶力に乏しい私の脳にとって、スマホは好都合である。忘れた時はスマホで確認すればいい。スマホで物忘れが加速するというが、その物忘れを支えてくれるのもまたスマホなのだ。
つまり、記憶という側面だけで言えば、スマホは頼り甲斐のある身近な優等生でもある。先程の子供じゃないが、スマホは何でも覚えててくれるのだ。
しかし、思考という点ではスマホは百害である。でも、AIが進化し、私が書いたブログをAIが学習し、自動でブログを書いてくれたらとも思う。
パニックに陥った時、スマホが自動で様々なデータベースを取得し、高度なアルゴリズムで計算し、自分にあった対処法を瞬時に導き出してくれたら。
そうすれば、私はブログを書かなくても済むし、ネットもニュースも人のブログも読まなくて済む。パニックになったとしても、スマホが弾き出す模範解答を当てにすればいい。
私はひたすら考えるだけでいい。思考の自由と機会は無限に広がり、良い事ずくめの様だが、それでも脳は腐っていくのだろうか。
最後に〜スマホか?思考か?
ブログを初めて2年以上経つが、楽しい事ばかりだった。自分の思考を開放する事がこれほどまでに至福な空間を提供してくれるもののかと、感謝!感謝!ではある。
しかし、思考を解き放つ事で、脳がスカスカになった様な気もする。勿論、空洞化した脳にネット上で新たに仕入れた情報や知識を注ぎ込む事で、脳の空洞化を防ぐ事は可能だが、今度は思考の空洞化が問題となる。
この思考の空洞化が、脳を腐らす事と同義だとしたら?
ネット上には沢山の情報で溢れている。
常に我々は、それら情報を自らの思考で吟味し、取捨選択する。
情報の断捨離じゃないが、不必要になったら捨てるしかない。しかし、現代人の脳は常に情報で満たされている。考える脳を失った現代人に、SNS依存症に陥ったサピエンスに、果たしてそれが出来るのだろうか?
しかし、どんなつまらない情報も考えようによっては有用になる。廃材も熟練工の手に掛かれば、立派な補強材になる。
昨日もシャッターの取付をしてもらった際、取り外したシャッターの一部を補強材として再利用されてあった。これぞ熟練工の匠の知恵なのだ。
つまり、古くて使い道のない情報も、知恵次第では人類を救う補強材になるかもしれない。
今では”誹謗中傷”という言葉が話題となってるが、何年かしたら忘れ去られるだろう。しかし、”脂肪中傷”と一文字だけ書き換えれば、まだまだ使えなくはない。勿論、”死亡中傷”としたら笑えない言葉だが。
つまり、情報が多すぎると、思考が空洞化し、昔ながらの匠の知恵が欠乏してしまう。SNSやネットで世の中は便利にはなったが、熟練工がもたらす”匠の知恵”には遠く及ばない。
スマホを取るか、匠の思考を取るかは、あなた次第・・・
正直、ここまでスマホやSNSが世界中に繁殖するとは思いませんでした。ネット社会というよりスマホ社会です。インターネットやウインドウズと言ってた頃が懐かしいです。
脳を腐らすどころか、人類を制圧しそうな勢いです。
でもスマホで脳が腐っても自業自得ですから文句は言えませんね。
そういう私は読まなくても興味がなくとも、フォロワーといいねオプションもそのままにしてます。結局読もうが読ままいが、ネットは何処かで繋がってますから。
でも一切やめる必要は何処にもないですね。ここまで来たら、脳が疲れるのを待つだけです。
我らが思ってる以上に人間の脳みそは丈夫に出来てるかもです。