長引くコロナ渦のお陰でまともな外出が出来ない日々が続いていた。
しかし東京五輪が閉幕し、ワクチンが普及&浸透し、人流も落ち着いたせいか、あれほど隆盛を誇ったコロナウイルスも驚くほど大人しくなった。
新規感染者は政府が発表する数字を鵜呑みには出来ないが、日本全国で177人(13日現在)と、殆ど収束した様にも思える。
我が福岡県も僅か5人と、8月の第5波の(医療崩壊をも引き起こした)あの猛威は何処へ消えたのか?と怪しく感じるほどではある。
まるで台風が過ぎ去った後の”喉元すぎれば熱さを忘れる”状態である。但し、欧米では第6波が猛威を奮い始めてるので、十分な警戒は必要だろう。
我が柳川市も9月は55人と結構な感染者数だったが、10月は僅かに11日の1人だけで、11月はゼロのまま。因みに、隣の久留米市は9月400人、10月22人、11月は僅かに1人(3日)。
これを見ても、10月から11月にかけて一気に収束してるのが解る。
なぜ、こんなに急速に激減したかは様々な報告があるが、信憑性があるのは増殖しすぎた変異株の衰退説と、(ワクチン否定派には耳が痛いかもだが)ワクチンの即効性が上げられると思う。
束の間の息抜き
そういう落ち着いた状況もあってか、ある知人が”温泉に行こう”と電話してきた。
おふくろの葬儀も諸手続きも一段落し、通常のリズムに戻りつつあるが”49日が過ぎるまでは”と、一時は丁重に断った。
しかし、久しぶりに中洲で羽根を伸ばした気持ちもあったから、知人の強い説得に負け、付き合う羽目になる。
私は柳川駅で待ち合わせする事にしたが、約束の時間になっても知人は現れない。暫くすると、スマホに”急用が出来て来れなくなった”とメールが入る。
電話で直接確認するが、(世話にもなっていた)身内の人が亡くなったという。
私は、”お楽しみはもう少し落ち着いてからだね”と電話を切った。
内心、私はホッとした。
というのも、心底楽しむ心のべき準備が出来てはいなかったからだ。
そのまま自宅に帰ろうとも思ったが、せっかくの気分転換にと、駅前近くを取り留めもなく歩き回ってみた。
柳川駅付近は再開発が進み、一寸したシムシティ状態である。流石に歓楽街は錆びついたままだが、田舎にしては豪勢な洒落たホテルが聳え立っていた。
既に日が暮れかかってたので、最上階でリッチな夕食でもと思うがとても高そうなので、近くの居酒屋の洒落た暖簾を潜ってみる。
日本酒を呑み、すぐにほろ酔い気分になる。海鮮ものは値が張るので、からあげとチーズ焼きを選んだ。元来、ケチに出来てる私はここでも値切ってしまう悪い癖が出る。
(後悔は先に立たずで)それ程に美味しいとも思わなかったが、700円を超える純米酒が胃腸に染み付き、心をも支配し、2杯目を注文する。
若い頃は純米酒ブームで盛り上がり、頭が真っ二つに割れる程に呑み歩いたもんだ。
見た目だけの洒落た居酒屋だったが、海鮮を頼んでもそれなりのヤツしか出てこなかったろう。無理矢理そう言い聞かせると少しは気が楽になった。
近くのレンタル屋でDVDを選ぶのに、結構な時間が掛かった。そのまま帰ろうかなとも思ったが、せっかくだから錆びついた飲み屋街を散策する事にした。
「ウィスキーとポテトサラダ」でも書いたが、駅前の飲み屋街は悲しい程に衰弱しきっている。勿論、若い頃はそこそこ飲み歩いたが当時もパッとはしなかった。
歩いてるうちに悲しくなってきた。
酔いがまだ残ってたせいか、何処か開いてる店を探すもう1人の自分がいる。
柳川には普通のスナックは少ない(多分数える程もない)。そんな中、派手なネオンを曝け出したフィリピンパブだけが3件ほどあって、コロナ渦で湿りきった鬱な雰囲気を払拭する勢いを魅せてはいた。
コロナも殆ど収束した筈だから、客足も少しは戻ってるだろうかと、あるスナックのドアを空けてみた。
マスターらしき元気なさそうな親父が出てきて、”もう閉めました”と呆気なく呟く。
”コロナが明けてもこんな風か?”と痛感する。
そのまま帰ればよかったのだが、諦めの悪い私は目の前の派手なチラシを目にし、そのビルの5階へを駆け上がった。
店は黒いカーテンで遮られていた。
カーテンをまくりあげると、店員が何事もなく迎えてくれた。
”まだ開いてます?”って聞くと、店員は検温計を私の頭に当て、両手をアルコール消毒をさせ、店内に招き入れる。
華奢な女
無造作に広い店内には、客が4組ほどいた。典型の田舎のフィリピンパブと言った侘しい無機質な空間だった。
一通り眺め回すが、そこにいる女達はお金を出して呑むだけのレベルには程遠い。
若い網タイツの女が横に付くと、すぐにショータイムが始まる。うんざりする様な素人の踊りを見せつけられ、ほろ酔い気分はすぐに台無しになる。
ショータイムが終わると、アルバイト風の(やる気なさそうな)女が横についた。その時、非常に華奢だがスラリとした肢体を持つ小柄な女と目があった。
美人でも可愛くも魅力的でもなかったが、暫くぶりの外人パブである。
指名すると、女はすぐに横についた。
近くでよく見ると、そこそこチャーミングではある。中途に脱色した長い髪は腰まで伸び、決して質のいい髪ではないが、触ってみると心地よい何かを感じた。
下半身が躍動する程の魅惑的な女ではないが、フィリピン女特有の粗野な乱雑さは巧妙に隠されてる様に思えた。
フィリピンパブが嫌な所は、貧相なショータイムと(農村出身特有の)粗雑な生立ちの言葉と仕草である。
彼女たちに、まともな教養と学識を求めるのは無理難題である。勿論、我ら老いぼれた客に紳士な態度を要求するのも無理な話ではある。
女の華奢な腰に手を回すと、すっぽりと自分の領域に溶け込んでいくのが実感できた。
細すぎる程の両太ももの間に手を刷り込ませると、女は不思議と抵抗をしない。
女は全てを受け入れた筈もないが、彼女のショーツの上からでも陰毛の状態が確認できたが、不思議と興奮する事もなかった。
”どっかで会ってるよね”
女は(このエロい)状況を打開するかのように呟いた。
”いや会った事はない筈だ。だってここの店に来るのも初めてだし、柳川のフィリピンパブにお邪魔するのは10年以上も前になるから”
もう一度私は、女の顔を私の方に向け、自慢のロングヘアをポニーテール状に括りあげ、頭のテッペンにかざした。
”こうした方がチャーミングに映る。ロングヘアだけじゃ芸がなさすぎる”
女はそれを嫌がった。
股間に流し込んでいた私の指を優しく払いのけ、話題を変えようとする。
私は機転を利かし、女の機嫌をとる。
”随分と細めだけど、40キロあるかないかだろうか?”
それまで無表情だった女は、少しだけ微笑んだ。
”38キロくらいかな”
私は両手を女の腰と両太腿の裏側に差し込み、軽く持ち上げてみる。
フワリと空気にみたいに軽く浮き上がるではないか。そのまま、抱え上げ私の両膝の上に乗せても良かったが、それでは私がエロ爺過ぎる(笑)。
再び女の腰に手を回し、Tバックの紐を優しくつまんでやる。少し興奮した私は、強く紐を引っ張ってみた。
女は嫌がった。
”少しやりすぎよ、優しくして”
私はこんな屈託のない会話を延々と楽しむ為に、この手のスナックを訪問してるようなもんだ。
私は女の腰の後ろからゆっくりと前の方に手を回した。細すぎる程の腰回りだから、腕を巻き込む様にしても十分に”臨海領域”に攻め込む事は可能である。
引き締まった女の下腹部からVゾーンへ指を滑らせた。いやその筈だった。
女は軽く腰をひねる。
私の欲情は急カーブを上昇するかに思えた。
”何処に住んでるの?近く?”
私は少し醒めた自分を取り戻していた。
”すぐ近くだけど、君はここに来てどれくらいになるのかな”
”1年ほどになるけど、もう少ししたら一時帰国するの”
無味乾燥な会話を積み重ねてるうちに時間が来た。
(居酒屋の出費と同じで)そんなに高い会計でもなかったので延長も考えたが、中途な虚しさがどうも抜け切れず帰る事にした。
別れ際に女は呟く。
”明日も来てくれる?”
私はウソをついた。
”来れるとすれば、1週間後かな”
最後に
ビルの外に出ると、駅前の侘しくも寂しい夜景が広がっていた。
決して美人でもチャーミングでもなかったが、今の自分には(罪のないエロい気分に浸るには)程よい相手だったかもしれない。
晩年のフィッツジェラルドには愛人であるシーラがいた。ゼルダほどの質のいい女ではなかったが、そこそこの美人で才気溢れる売れっ子のコラムニストでもあった。
彼はゼルダよりも若く激しい女を見て、ゼルダに注いだ愛情が妄想であった事に気付いたのかもしれない。
勿論、ゼルダとシーラを天秤にかける事は無意味ではある。ただ、彼が小説家に拘る事なく、すんなりとハリウッドに傾倒してたなら?
いや、ゼルダへの愛情に拘る事なく、シーラにその半分でも愛情を注いでたなら、フィッツジェラルドの人生と運命は変わったかもしれない。
そう思うのは私だけだろうか?
中洲は残念でしたが
リラックス感がこちらまで伝わり
地元での息抜きはやはり田舎ならで
何とも言えない温もりを感じます。
遅くなりましたけど、ブログに何度も登場した母上様の訃報をしりました。
心からお悔やみ申し上げます。
会う予定の知人も、身内の人が亡くなったことから行動を展開するストーリーはなかなか読ませてくれました。
男の半分は☟が理想なの?
>晩年のフィッツジェラルドには愛人であるシーラがいた、、、
人にはそれぞれ色んな息抜き方法があり、
掛けられるお金にも限りがあります。
居酒屋もスナックもパッとはしなかったんですが、温もりという点では懐かしかったですね。
これからも宜しくです。
訃報って意外にも続くんですよね。
でも、人生を全うして他界するのは理想ですし、悲しみというよりホッとしたって感じです。
フィッツジェラルドも心臓発作で44歳の生涯を閉じますが、愛人の部屋で息を引き取ったのは、せめてもの慰めだったかもですね。
悲しいかな我が地元の”港”は寂れてますが、栄える程に危険や誘惑も蔓延するんですよね。
寂しさを紛らわす為には、”港”での息抜きも必要ですが、度を過ぎると自滅に繋がるのでコロナと同じで警戒も必要です。
隣町の久留米も風俗店と外人パブが何件か潰れてます。長引いたコロナ渦の影響で、昭和時代に栄えた歓楽街も死滅していくんでしょうか。
港にも寿命があるかもです。