LEDの車用バックランプを買った。爆光という名につられ、Tポイントも溜まってたので軽い気持ちで買ってしまった。結果は失敗だった。雨の日の夜はやはり暗いままだ。
2週間後、IHフライパンを買ったが、これは正解だった。今まで辛抱して使ってた古く歪んた奴に比べ、熱伝導が全く違った。特に揚げ物は1/3の時間でカラッと揚がるようになった。
生来の貧乏なのか?典型のケチなのか?私は買い物というものをあまりしない。爆買なんて全く記憶にない。ここで言う買いモノとは”耐久消費財”の事ですよ。
昨年は僅かに6件、それもネット通販のみ。クエン酸(2度)に、ハゲ防止の薬(3度)に、スペアキーといった具合だ。
洋服に至ってはここ10年、全く買ってない。会社で支給される作業着だけ。下着は百均の奴をしぶとく使ってる。ここ数年、お酒と食い物と便秘の薬以外、外でモノを買った記憶が殆どない。
何故そんな”絶滅危惧種”になったのか?それにはちゃんとした理由がある。
そういう私も若い頃は、貧乏ながらにどうでもいいモノをよく買ったもんだ。
お金持ちは余計なモノを買わないとか、超のつくケチだとか言われる。それは大体において当ってると思う。親父がその典型だった。
そして私は悲しい事に、親父の”ケチの遺伝子”だけを受け継いでるのだ。丁度チャーチルが”失脚の遺伝子”だけを受け継いだように(笑)。
データが証明する無駄使い
私が過去にどれだけ無駄な買い物をしてるか?実際、2008年から12年までの6年のデータを取って詳細に調べた事がある。それには商品名や送料や価格から、有効度(6段階)までご丁寧に記されてる。
結果解った事は、買い物の”8割は全くの無駄”である事が判明した。残りの1割5分がどっちつかずで、見事に”当り”の買い物は、中国製の液晶TVだけ。ヤフオクで落とした激安の中古PCもお買い得だったが、2年ほどで壊れたので、評価はCにした。
古本をアマゾンでよく買ったが、大半は読んでない。図書館で借りた方がずっと熟読する。私にとって”タダ程安いものはない”のだ。
車だって、3回ほど買い替えたが。中古の2台(パルサーとブルーバード)はアカンね。新車で買ったスカイライン(R32)は、最初の2年はいい買い物に思えたが、それ以降はローンが負担になるだけの典型の”地金”に過ぎなかった。
お袋が所有してたカローラ3ドアHBとマーチは、安くていい買い物だったが。悲しいかな共にぶつけ、お釈迦になった。
今は、お袋所有のノート(E11)に乗ってるが、これが一番いい買い物だったかもしれない。
自宅の屋敷に関しても、3度の改装(リフォーム)と3度の建て増しをしたが。どれも中途半端で、今から思うと典型の穀潰しに終わった。
2人しかいなのに、3件分の屋敷があるのはどう考えても無駄。何故お袋は屋敷を広くしようと思ったんだろうか?
少人数の家庭なら、コンテナハウスやユニットハウスの方がずっと理想の買い物に思える。
携帯やスマホに関しても、結構買い替えたが、SH903だけだったか。SHARPの液晶がとても美しかったのが印象に残る。
贅沢品は殆が外れ?
結論を言えば、今現在地球上に出回ってる”贅沢品”の9割5分は外れだと思った方がいい。家電なら、ハイブリッドも含め中国製の安いやつで十分。日本製である必要は今や何処にもない。
車だって、安価な中国製やインド製の時代が直ぐに到来するはず。先述したが、コンパクトな車体に1000cc以上のエンジンを積めば、性能は二の次だろう。日本車によく見られる無理な軽量化は、耐久性や安全性を潰すだけだ。
住居だって、洒落た安いプレハブを沢山見かけるが、前述したコンテナハウスで十分だと思う。耐用年数が40年とマンションの60年に敵わないが、工法が進化すれば、コンテナマンションとして確立するかも。
因みに、標準の20ftサイズで150万程、これにライフラインのトイレ•ベッド•風呂を揃えても300万程か。勿論、断熱とかの問題もあるんですが。
”高価な買い物で当りは100%ない?”と思った方がいい。勿論、激安な買い物も個体差があり、外れも多いが。マイデータで見る限り、不思議な事に、安い程当りが多いのも確かではある。
因みにコールガールだって、中級の小さなエージェンシーの方が、学歴も質も高い若い娘を揃えてる。高級になる程、シャブ中に塗れ、腐った”醜婦”になりかけてる。
飲み屋だって高級クラブになる程、何もヤラせてくれない。お触りもキスも、勿論本番もダメ。肯いてる貴方、夜な夜な遊び回る金と暇があったら、たまには奥さんに夜の奉仕をして欲しいものですな(笑)。
そういう私も、若い頃は毎晩のように中洲まで遠出し、飲んだり遊んだりしたもんだ。何故かって、田舎より安かったからだ。女の質も学も高いし、可愛いし、肉体は出来立ての肉まんみたいにフワフワだ。それ以上に全てに至れり尽くせりだった。この時、”安い程いいものはない”を確信した。
悩む理由がお金なら買え
しかし、”悩む理由がお金なら買え!”という貴重なご意見もある。これに関しては全く当ってると。
ドケチな私も実は、このケースで後悔した事が一度だけある。30代前半のパソコンやネットが流行り始めた頃、中古のマッキントッシュを買うべきか?ウィンドウズのノートPCを買うか?で迷った時期がある。どちらも30万ほどだが私には大金だった。
結局、無難なノートPC(NEC製)を選択した。結果この買い物は高価なワープロに成り下がった。あの時マッキントッシュを買ってたら、今頃は優能なグラフィックデザイナーになってたろうか(いや違うか)。
お金はモノに換える事で、初めて価値を持つ。その時欲しいと思ったモノは、二度と現れないかもしれない。それに買い物の失敗は、後の人生をよりよく生き抜く為の経験や知恵になる。
しかし、お金はモノに換えた時点で、その価値はなくなる。買ったモノが価値を発揮するかどうかは投資と同じで、タイミングと運と度胸が全てだと思う。
安い買い物が全てだとは限らない。高価な買い物でも、それよりもっと高価な価値を生むかもしれない。しかしその確率は、1億円の宝くじに当たる確率よりも低いかもしれない。
つまり、買い物とは大衆の永遠の夢なのだ。庶民は買い物という夢にお金を払う生き物だ。それを否定する事は、人間の欲望や本能を否定するようなものだ。
しかし私は、夢とはお金を払って買うものではなく、描くものだと思ってる。欲しいと思ったモノは二度と現れないと言ったが、もっと欲しいと思わせるモノが再び現れるかもしれない。そのもっと欲しいモノが、ずっと安く手に入るのならそれに越した事はない。
夢だって安く手に入れば、それに越した事はない。余ったお金を他に回せるからだ。やはりお金は使う事ではなく、持つ事に意義があるのだ。いやそうでもないか。
”安くなるまで待とうホトトギス”も悪くはないか。
最後に
資本主義とは大衆消費主義でもある。99%の貧乏な大衆が、モノをむやみに衝動買いする事で資本が成り立ち、金持ちが民主主義が大手を振っていられる。
つまり、人類が私みたいなケチばかりになったら、資本主義は崩壊し、民主主義という名の虚構も消え去るだろう。
確かに僕が子供の頃は、今のように自由自在にモノが買えなかったし、モノが溢れてもいなかった。またお金があっても買えなかった。購買の実権は全て父親が握ってたのだ。そういう意味では、昔は理想的で機能的だったのかも知れない。
今では、父親の代りにネットが売買の実権を握る。父親が買ってくれるではなく、ネットがモノを買ってくれる。
ネットに支えられた大衆消費社会に、衝動買いに支えられた資本主義に、虚構に満ちた民主主義に、明日はあるのか?あるかもしれないし、ないかもしれない。
もうスマホに関しては、ただのやつを買いますよ。プンプン。
という事で、hitmanサンに一票ですよ。
安くなるまで待とうホトトギスの時代です。安かろう悪かろうが、殆ど通用しなくなったんですが。高価でいいものって探すのに一苦労します。
でも、モノが安くなりすぎると今まで以上にモノが溢れ、モノに人ヒトが支配される時代が来るんでしょうか。