先日と先々日と、リーマンブログのバックナンバーを読んで下さった方、有難うです。アップデートのお陰で非常に数式が見難くなりました。お陰で、”ブログ村”のランキングは圏外にまで落ち込みました(悲)。
ブログとはいえ、ユーザインタフェースというのは、心臓部なんですね。書き手よりも読み手を無視したら、SNSやネットは成立しないという典型でしょうか。Gooの運営部もよくよく反省して欲しいもんです。
先日、paulさんのコメントに、ガロアはモハマド・アリの、”蝶の様に舞い蜂の様に刺す”様に数学に取り組んだとあったが、まさに言い得て妙ですね。
オイラーが、”息を呑む様に数学を奏でた”のとは対照的です。それに対し、リーマンは堅固な”知”のハンマーで、難題に真正面から対処した。一方ラマヌジャンは、魔法を操る様に数学を操ったんです。
さてと、昨日はエヴァリスト・ガロアの生涯について触れましたが。今日はその天才を超えた天才ガロアを探る旅という事で、ガロアが生み出した”群”から探っていきたいと思います。
ガロアが生み出した群とは?______
ゼータとガロア表現の関係と繋がりは、リーマンの謎”その10”でも少し述べましたが。今日はゼータではなく、ガロアが生み出した”群”についてのお話です。
このガロアが考えた”群”とは、昨今の抽象的に展開する”群”ではなく、視認し易い”群”というか、解りやすい表現にした”群”というか。
つまり、”群”という抽象的な概念を、判り易い線形群に埋め込み、全て単純な”行列の言葉”で群を”表現”する事を、”ガロア表現”というのですが。いまいちピンと来ませんな。
事実、数学で”群”(group)と言うと、殆ど近寄りがたいですね。数学な得意な人もこの”群論”では大半が頓挫しますかな。
でもガロアが生み出したこの”群”こそが、数学の根本的な概念を新しく生み出し、現代数学の扉を開いたんです。前回の”ガロアの不憫な生涯”ブログ参照です。
しかしガロアが、この”群”を生み出したのは、有名な代数方程式の解の公式の研究途中の事です。19世紀の初めには既に、ノルウェーのニルス・アーベル(1802〜1829)のよって、”5次以上の方程式に解の公式が作れない”事が証明されてました。
厳密に言えば、”5次以上の方程式を代数的に解く事は不可能”だと。後にも述べますが、代数的に解くとは、四則演算と根号の有限個の組合せで解が表せるという事です。数学用語ってホント気難しいですね。
そこでガロアは、この証明を”解の置換”という概念を使い、自明な形で解明したんです。これを”ガロア理論”と呼びますが。当時の偉大な数学者達が理解出来なかった事を、高校生のガロアは既に発見してたんです。
コメントにもあった様に、この”置換”の概念こそが、代数でガチに固められた方程式を”蝶の様に舞い蜂の様に刺す”的な手法で解き明かそうとしたんですね。”置換”という言葉を”フットワーク”に例えれば判りやすいかな。
ウィキ的に言えば、代数方程式や体の構造を "ガロア群" と呼ばれる群を用いて記述する理論とあるが、やっぱ分からんですな(笑)。
しかし悲しいかな、20世紀の数学で進行した抽象化により、ガロアが生み出した群は、本人の意図するものからは大きく変貌します。
故に、未だに”群論”というと、誰もが顔を背けなたくなる学問になってしまったんですね。
群とは一体何なの?__________
ウィキ的に言えば、XからXへの自己同型の集まりを満たす性質を、代数的に抽象化する事。
堅苦しく言えば、”群”(Group)とは、図形の対称性、つまり、ある図形をそれ自身に移す様な合同変換全体の事ですが。合同変換とは、平行移動、回転、折返しの事を言います。
数式で言えば、ある演算○に対し、結合法則:a○(b○c)=(a○b)○cが成立し、”単位元”と”逆元”が存在する数の集合です。上で述べた合同変換の3つの移動では、結合法則が成立し、単位元と逆元が存在しますね。
因みに、単位元とは、a○e=e○a=aとなるeの事で、逆元とは、a○b=b○a=eとなるbの事です。掛け合わせても値が変わらんのが単位元で、掛け合わせて単位元になるのが逆元と覚えときましょう。
群は、平面上では、2×2の行列で、N次元ではN×Nの行列で表現され、群の大きな特徴である、図形の対称性を研究する分野を”群論”といいます。この群論のお陰で、代数学が幾何学で記述される様になったんです。これは現代数学史にて、とても画期的な事だったんです。詳しくは、これもリーマン”その10”を参照です。
でも全く分からんね。そこでもっと分かり易く言うと、”群”とは、モノを2つ組み合わせ、別の新たなモノを作る集合の事。この”2つのモノを組み合わせる操作を”演算”と呼びます。ただそれだけのコッテス。
例えば、2つの食べ物を掛け合せ、新たな食べ物を作る時、食べ物以外になったら、群とは言えない。それに新しい食べ物は元の2つの食べ物に戻る必要がある。この性質を”自己同型”というんですね。
故に、整数上での足し算や掛け算も群(加法群や乗法群)になってますね。N次元マップ上でも群は成り立つんです。2つの変換(移動・回転・折返し)を掛け合せ、同マップ内の新しい位置に到達する時ですね。上述した合同変換とはこの事です。
つまり、群とは代数でも幾何でも使える便利ツールなんですな。
群は何の為にあるの?_________
でもこの”群”が、数学において何の役に立つの?って思ってる貴方、なかなか鋭いですな。
数学とは元々、とても抽象的な学問です。この難解で複雑多岐な数学を理解する為には共通の性質だけを抜き出し、ある統一性(秩序)を探る必要がある。そこで、群論の、”2つのモノを合体させると新しいモノができる”という性質を使うんです。
丁度、ホモサピエンスが言葉による”虚構”を使い、サピエンスという大きく繁殖した集団を統制し、繁栄させた様にです。
つまり、秩序を探り、統一を図るというのは、人類においても数学においてもとても重要な事なんです。”ホモサピエンス”ブログ参照です。
勿論、バラバラなものから共通部分だけを無理やり抜き出すので、例外も数多く存在しますが。群を満たすものだけでどんどん進めていくんです。そうやって代数学は大きく飛躍したんです。
ただ、群を拡張しようとすると、例外も多く混ざる為に、どうしても抽象的になります。薬の副作用と同じですね。
しかしガロアは、この抽象的になりがちな”群”を自明な形で表現したかったんですが。彼が描いたのとは程遠く、再び抽象的な群論に落ち込んだ事は、如何にガロアにツキがないのかを、如実に物語ってますね。
今日はここで終わりにします。次回は、ガロア群と解の置換の関係について述べる事にします(多分)。
Hoo 嬢のコメント凄すぎる。群の定義が一発で分かった感じがする。
合同変換って、セックスの体位の事だったんですね。愛と性の関係が自己同型だったとは。逆も真なりなんですね。
確かに、性こそが等身大の自分を映す鏡ですもん。又、性こそが人類を1つにまとめ集団化したんですかね。
グループ=群とはよくいったもんです。嗚呼、今日は色々と勉強になりました。
群とSEXの奇妙な関係です。これで貴方も群に対する苦手意識が少しは和らぐでしょうか。
つまり、SEXは合同変換であり、自己同型写像でもあるんですね。全てが自分自身に等身大に跳ね返るんです。
グループ(群)を成す事で繁栄した我らホモサピエンスは、群と密接に繋がる生き物なんです。
色女に引っ掛かった。詰まんない決闘にを申し込まれた。もう俺には時間がない。
これはガロアの最後の有名なセリフですね。ここにおいても、性と数学は密接な関係にあるんですか。
ガロアの数学には興味はないんですが。生きざまは、憧れます。卓越した数学者であり革命家でもあったんですね。
私も同じ様な経験があるから、理解できますが。ガロアは典型のイケメンだから、見た目で女を選んだんでしょうか。
今の時代だったら、世界中の美女抱き放題だったんでしょうが。生まれた時代が悪過ぎたね。
でも短命なの。天才過ぎたのかな?
数学にも軽快なフットワークが大切だって?転んだサンはボクシングみたいに数学を相手にしてるのかな?
群がsexに似てることは何となくわかったようなわからないようなだけど。
リーマンだって、若い頃はとてもハンサムですよ。Hoo嬢の目が点になるほどのね。