「前編」では、角幡唯介が遭遇した極寒の世界を紹介しました。今回(後編)はフランクリン隊が遭遇したであろう、壮絶な最後の紹介です。
文明の利器が揃った今の時代と、1845当時の地図すらなかった時代とを一緒には出来ない。それでも、角幡は死の直前にまで追い詰めらた。同行した”北極バカ”のプロの探検家•荻田秦永氏も、”ツキがなかったら確実に死んでた”と、振り返ってます。
「ウォールデン-森の生活」で有名な超絶主義者のH•D•ソロー(1817-1962)も語るように、”寒さこそが生き物にとって最大の難敵”なんですね。
生きる事は、食う事に他ならない
フランクリン隊の生き残りが、仲間の死肉を食って生き延びようとした同じ場所で、角幡らは、麝香牛の母親を殺害し、その肉を食い、その仔牛をも撃ち殺した。生きるとは残酷そのものなのだ。
極寒の地で、橇を引いて人力で移動する。当然の事だが腹が減る。それもハンパな空腹感ではなかった。
ここは、本書のもう1つの読みどころだ。
絶えず襲ってくる飢餓感は、危険な敵である北極熊でさえ食料に見えてくる。食料を手に入れる事、それは生存本能である。
麝香牛を殺し、命を狩り、肉を得るとはどういう事か?
飢餓に苦しんだフランクリン隊は、死んだ仲間の肉を食べた。生き残る為にできる事、それは食う事に他ならないとは、そういう事だ。
極寒の脅威がもたらす過酷さの連続。そういった諸々の等身大の恐怖と驚異に、私は最初から最後まで支配された。
読み終わった後のこの無垢な興奮状態を、どう伝えたらいいのだろう。多分、活字なんかでは伝わる筈もない。
生きる事が、如何に罪深く残酷な事かを再認識させられる。そういう視点から見ると、この無謀にも思える極地探検が、真っ当に見えてくるから不思議なもんだ。
私も様々なルポ物を読む度、万象なる感傷を覚えてきたが、この一冊はまさしく別格ですね。読んでいて、轟くような興奮と混濁した憂鬱が交互に襲う。
まさに探検ドキュメントの鏡であり、理想型でもある。
目の前にある土地が未踏であるが故、その未踏の地に囚われてしまう。そして、決まったように、自然に支配され、屈してしまう。
冒険とは、屈辱と汚辱と失敗の積み重ねかもしれない。人生が不快と愚弄と失態の積み重ねであるように。
フランクリン隊の最後と”餓死の入江”
フランクリン隊の探索は、いろいろな人によって行われ、イヌイットたちの目撃談も多い。生き残った人(アグルーカ)たちの終焉の地も大よそ特定はされてはいる。
それは、北米大陸のアデレード半島にある”餓死の入江”と呼ばれる場所だ。
この不吉な名前は、ここでフランクリン隊の多くの遺体が見つかった事で名付けられた。
隊員たちの多くは、彷徨った果てに疲れ動けなくなり死んでいった。大地に点々の残る遺体や遺品が凄惨な最期を告げていた。
角幡たちもその跡を踏みしめ、60日間をかけて、フランクリン隊が力尽きた”餓死の入り江”がある、ジョアヘブン(地図右下)という地に辿り着いた。
しかし、本当に”餓死の入り江”でフランクリン隊は全滅したのだろうか?
(前回でも言ったが)本書のタイトルである”アグルーカ”とは、元々イヌイット語で”大股で歩く男”を意味する。フランクリン隊の副官、フランシス•クロージャーもその1人であった。
フランクリン隊の消息はイヌイットたちには広く知られていた。もしかすると”餓死の入江”(ジョアヘブン)よりもっと先まで、彼らは進んでいたのではないか?
角幡たちは、この疑問の答えを見つける為、新たな旅に出る。前半のフランクリン隊の跡を追う話から、後半は本当の未知の探検になる。
やはり人の作った道を辿るより、新たに道を拓く事こそ冒険だ。そこから垣間見える1つの事実とは?
つまり、彼らの旅は、まさに北極におけるもう1つの”世界最悪の旅”だった。
極地での壮残で過酷な体験と試練は、自らをより残酷で残忍なる存在に追い詰めるかのようだ。
結局、自然の過酷さに対し、人間の持つ残忍さで立ち向かった結果、フランクリン隊129人全員が死滅したのだ。
フランクリン隊の最後の軌跡
最後に一言。わかり易く、フランクリン隊の最後の軌跡を追ってみる。地図参照です。
過去3回の北極海遠征の経験を持つ、ジョン•フランクリンは、1845年夏、グリーンランドのディスコ湾⑤から、ビーチ島に向かい、コーンウォリス島①をぐるりと周回した。
因みに、このビーチ島で既に死者を出す。ふんだんに用意した缶詰が鉛中毒にあい、ビタミン不足になり、数人の乗組員が死んだ。
お陰で食料が半滅し、フランクリン隊を全滅させたもう1つの原因とされた。
翌1846年夏、プリンスオブウェールズ島②とサマーセット島③の間のピール海峡を下り、ブーシア半島④の西へ出て、キングウィリアム島(緑色)近くに至ったが、ここで氷に閉じ込められます。
因みに結果論ですが。ピール海峡ではなく、③の東のフリービーチヘ北上してたら助かってた。ここには遭難隊が残した食料があったとされます。それにフリービーチの沿岸は捕鯨船が良く通る場所で、早い時期に捕鯨船に救われれば多くが生き残れた。
このキングウィリアム島(緑色)の前のビクトリー岬で西に向うか?東に向かうか?
フランクリンは、2つの選択に頭を悩ませた。イラストの下の地図参照です。
ここで、西に向かい、流氷の中を敢えて危険を冒し突き進むのか(赤の矢印)。東へ向かい、陸続きな筈の場所で船を降り、陸路で突き進むのか(青の矢印)。
ここでフランクリンは前者(西)を選択した。そして、決まった様に流氷に挟まれ、ビクトリー岬で2年間雁字搦めになり、全てを失った。
もし、後者(東)を選んでいたら。陸続きであった筈の所は、僅かな隙間だが、海で分断されてたのだ。
1848年4月に船は放棄され、この時点で残っていた隊員は105名。フランクリン卿は1847年6月に既に死亡し、指揮を執ってたのは副官のフランシスだ。
北のフリービーチには食料があると知っていた筈のフランシスがなぜ、不案内な南の川を目指したのか?
角旗氏は、原因不明の体調不良に悩まされていたフランクリン隊にとって”缶詰は忌むべき食品であり、川で獲れる獲物にこそ生き延びる為の滋養がある”と、彼らは考えたのではないかと推測する。
アムンゼンの幸運とフランクリンの不運
事実、1903年にノルウエーのアムンゼン(1872-1928)は、この東の航路(青矢印)を選択した。キングウィリアム島とブーシア半島の間の、非常に狭いレイ海峡は、新しい氷が多く比較的航行可能で、この選択が北西航路横断の成功の元になった。
つまり、フランクリン隊が東へ向かってたら、冬を越し、夏になれば流氷が溶け、レイ海峡となり、航海が可能だったのだ。
しかし、フランクリンが選択した西の航路(赤矢印)は、夏でも流氷が溶ける事はなかった。
つまり、アムンゼンが選択した以外のルートは、北極海から浮氷や氷山が押し寄せるため航海が難しいのだ。全く、「真夏の後悔=航海」(カポーティ)とはこの事か。
もし、詳細な地図を持っていたら。でも、フランクリンは経験とカンを頼りに、自らを信じて突き進んだ結果がこれだ。
結局、経験とカンを頼りにした英国の探検家は、北極も南極も北西航路も、ノルウェーのアムンゼンに先を越されてしまったのだ。
しかしアムンゼンは、自力でこの北西航路を見つけた訳ではない。彼の時代には既に、この海域の海図や地図は概ね揃ってて、どの海峡ならベーリング海に抜けられるかは、大体明らかになっていたのだ。
海図のない未知の世界に足を踏み入れ、複雑なカナダの群島部のどこに海路が存在しているのかを探し続け、最終的にアムンセンの成功を導き出したのは、19世紀の英国海軍と英国の国策毛皮貿易会社ハドソン湾会社の探検家たちだ。
その中でも、フランクリンは北極探検が生み出した最大のヒーローの一人だった。
フランクリン隊の英雄伝説も悪くはない。しかし、彼らのフランクリン隊の生き残り”アグルーカ”が、キナパトゥたちが住む白く輝くオアシスを、一瞬でも目にしたのでは?と想像するだけでも、とてもやりきれなくなる。
いや、彼等はそのオアシスを眺めながら、永遠の眠りに付いたと思いたい。そう思わないと、やはり悲しすぎる。
最後に、角幡唯介という人
意外に思われるが、角幡唯介は、高校が函館ラサールという事で、結構なレヴェルの知性派イケメンである。
探検家で冒険家の彼だが、拍子抜けする程に普通過ぎる優男に映る。
勿論、女性ファンも多い。”山男”というイメージ同様に、真面目で素朴、それでいて変わり者で頑固者。こんな山男と付き合う女は、命が幾つあっても足りないだろう。
探検家と小説家の二刀流と思いきや、探検家としての無謀ぶりとは対照的に、ノンフィクション作家としての安定した資質も相当なもの。まるで、沢木耕太郎さんをそのまま冒険家にした感じだ。
「空白の5マイル」では、開高健ノンフィクション賞を受賞し颯爽とデビュー。「雪男は向こうからやってきた」で新田次郎文学賞を受賞。そして、今回の「アグルーカの行方」では、講談社ノンフィクション賞を受賞した。
ノンフィクションに与えられる賞をほぼ全てを手にした事になる。内容の面白さに加え、構成力や文章の巧さも定評となった。
事実、小説家の高村薫は角幡の事を、”人間的にも探検家としても、あるいは文章家としても大変優れていると思う。しかし、それらが整いすぎている”と語る。
共著の「地図のない場所で眠りたい」は、角幡唯介という男の本音を、等身大に語ってると思う。探検家や冒険家とは、元々そういう人種だろうか。
フランクリンも、1845年のこの探検では最初から躓いた。途中で何度も頓挫した。お陰で、想定外の犠牲者を出し続けた。
しかし、彼は最初から、この”地図に書かれてない極限の地”で、最後を迎えたかったのだろうか。
つまり、探検家にとって、未踏の地とは命以上に大切な”ロマン”でもあろうか。いやそれとも、安住の地なのかもしれない。
読んだ後、そう思えてならない。
ロマンチストであり、メルヘンチストでもあるんでしょうか。凡人じゃとても真似できません。
コメント有難うです。
死をも恐れぬロマンチストってこと?
オレには真似できない
潔く死を選ぶ筈もないですが、角旗さんは危うく死にそうになります。まるで何かに吸い込まれる様にです。
でもこういったドキュメントものは、何度読み返しても神秘に映りますね。
缶詰の接合部の亜鉛が漏れてたんですかね。それで若い水兵らが中毒死し、大量に用意してた缶詰を捨てちゃった。でも後の裁判では缶詰会社には非はなかった。缶詰ばかり食ってビタミンが不足した事が壊血病に繋がったとされるが、真偽は明らかではないとされます。
とにかく、いろいろと奇妙な事が重なったフランクリン隊の探検でもありました。南極探検でも英国のスコット隊は意味不明な事を重ねました。
まるで何かに呪われたように死の縁に誘い出されたように。
多分、角旗氏はその奇妙な何かに強く惹かれたんではないでしょうか。ビクトリー岬で何があったのか?結果だけで言えば、自滅するためだけの探検ですもの。