”ショーケン"が死んだ。テンプターズのボーカルというより、「傷だらけの天使」が強烈すぎて、荒々しくもハンサムでコミカルな俳優のイメージが強い。それでいて「前略おふくろ様」では、卓越した渋い演技力も披露した。この頃がショーケンの全盛期だった。この頃の”ショーケン”は子供の私でも憧れのヒーローでもあった。
しかしその後は、イケメン系俳優の行く末とピタリ運命が重なった。離婚に大麻に、そして難病との闘い。後半のショーケンは、ツイてない独りの”萩原健一”で人生を終えた。
もう1人は、ナンシー梅木(1929〜2007)。彼女はショーケンとは違い、パッと見はコミカル系だが、才能は半端なかった。
戦後のGHQ支配下の日本。進駐軍の将軍の前で、得意の英語の歌を披露するとその才気は一気にブレイクし、50年代の日本ジャズ界の草分けとなった。
音楽の勉強の為とあったが、本場アメリカでの彼女の才能の肝試しである事はは明らかだった。そして1955年、ナンシー梅木はアメリカに渡ったのだ。ジャズシンガーとしての活動を本場アメリカに移すと、日本同様にその才能は開花した。
幾つかのステージで歌を歌い、名前が売れると、今度は女優としてハリウッドデビューを果たす。才気が才能を拡張させ、昇華させた瞬間だ。
第2次世界大戦が終わり、皮肉にもアメリカは日本ブームに沸いていた。
出演した映画は、マーロン•ブランド主演の「サヨナラ」(ワーナー)。この映画に出演した事で、ナンシー梅木は東洋人初のアカデミー賞助演女優賞を受賞する。それも米英以外の俳優が助演女優賞を取るのも初という空前の快挙だったのだ。渡米して僅か3年後の1958年の事だ。
その後もゴールデン•グローブ賞に3回ノミネートされ、順風満帆かと思われたが。哀しくも、卓越した才気と運命は比例しないものだ。
そして皮肉にも、この栄光が彼女の運命を狂わす。1972年僅か42才で引退。離婚を経験した後、1973年には再婚相手の夫ランドールが胃がんで死去。
最愛の夫を亡くし、失意のどん底にあった
そこでナンシー梅木は、オスカー像を自らの手で壊してしまう。その一部始終を息子のマイケルは見ていた。
あの時は理解できなかったけれど、今ならわかる様な気がすると語る。
”像を壊す事で母は、父との思い出を永遠に自分のものにしたのだ”と。
戦後まだ有色人種の差別があったアメリカで、見事なまでに”日本の花を咲かせた”ナンシー梅木(本名•梅木美代志)。その最後は美しくもあり、哀し過ぎでもある。
そして、日本中の子供を女性を虜にしたショーケン。タイプこそ違うが、後半の失速する運命はピタリと重なる。
全ては見た目なのか?答えはYESでもありNOでもある。全ては才能なのか?それも答えはYESでもありNOでもある。
でも転んだサンにとってはヒーローだったんだ。ヤンチャなお兄さんってとこ?
まだ、68歳でしょ?でも4度の逮捕と3度の結婚って、ヤッパリショーケンはヤンチャだったのよ。そういう事にしときましょ。
ではバイバイ。
実は「傷だらけの天使」に出てくる、ホーンユキのファンでもあったんです。混血だったから凄く色気があってセクシーだった。今では単なるオバサンだけどね。
何だか色んな事が次々と蘇る。一つの時代が終わったという事かな。
ではバイバイ。
そういえば、私の福岡出身の友人も、こういうタイプだったかもしれません。彼女は、何度も書きますが、美人ではありませんでしたが、日本人だけじゃなく、外人の先生にも人気がありました。本当は頭がいいんだけど、見た目はとぼけた感じの女性でした。
ショーケンの魅力は、気取らず、剥きだしな感じがよかったのかな。
ハリウッド女優の菊地凛子も美人というよりは、知的で個性的ですもんネ。
見た目では案外、日本の方がハードルが高いのかもです。アメリカでは美人でグラマーならコールガール直行ですもん。そうでもないか。