象が転んだ

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『叶えられた祈り』に見る、カポーティの喪失とアメリカ文学の王道

2019年02月27日 06時51分24秒 | 読書

”ハイソサエティの退廃的な生活、それを見つめる虚無的な青年。実在の人物をモデルにして上流階級の人々の猥雑な姿を描いた問題作。カポーティが何より完成を望みながら、遂にそれが叶えられなかった遺作。この小説を発表したカポーティは、社交界を追われ、破滅へと向かっていく”Google Booksより。

 叶えられなかった祈りよりも、”叶えられた祈り”の上により多くの涙が流される。これは”祈り”を”呪い”に置き換えると判りやすい。つまりこの作品は、カポーティの”叶えられた呪い”なのだ。いや”叶えられた筈の傑作”と言うべきか。

 
真実と幻想と

 事実カポーティは、”俺は真実を書きたい、小説というよりは報告書だ。俺としてはそれを小説と呼びたい”と、熱く冷めた目で語る。「冷血」なんかはその典型で、ルポルタージュに対する彼の強い思いが込められてますね。”冷血”ブログも参照です。
 カポーティは、この真実と幻想の2つをこの作品では大きなテーマにする。
 つまり、真実と真実だと思うものは違う。故に真実だけを追ったら、それは本物ではなくなる。勿論、人には受け容れられなくなるが、内容はずっと凄くいいものになる。

 人には受け容れられたくない(負の)現実、いや真実がある。しかし、そういった”真実”が多い程、人生という物語は豊かな色彩を放つ。
 一方で、もう一つの真実である”幻想”とは、事実を明らかにしていく事で得られる副産物である。完璧な真実に近付けないにせよ、それにより”頂上”という恍惚に到達できる幻想でもある。

 例えば女装した男。彼は実際は男であるが、自分を女として再創造(幻想)する。事情は複雑ではあるが、この幻想こそが真実により近い。オカマを例にとるとわかり易いですね(笑)。 つまり、年代物のウィスキーと同じで、真実を繰り返し蒸留していく事でより幻想に近づく人は常に幻想を追い求め、その幻想の中に真実を見出そうとする。

傷つきし者の行き着く所と

 傷つき侮辱された者の目には、真実を超えた幻想が宿る。”そんな君はいい娘だ、目を見れば判る。まるで、ドフトエフスキーの小説に出てくる人間だよ”
 つまり、酔っ払いと狂人を相手にするには、論理を貫く必要があると、カポーティは説く。

 ”貴方は天使かもしれない。涙脆い人間は皆心の冷たい人。行く所がなければ、ガス栓をヒネるだけで済むわ”
 この天使の頭の上に浮かぶ聖なる光の輪こそが、ドラッグと混沌ではなく、浪費と失敗を象徴するものだろう。 
 ”幻想というのは安物の密造酒”みたいで、素晴らしい酒だが危険なピリッとした味がする。事実、長い間ずっと苦しい生活をしてると、毎朝起きればヒステリーが起きる様な生活をしてると、今度は退屈が欲しくなる。それから長い眠りと沈黙が始まる。

 解りますね、その気持ち。1人になるという事は孤独とは異なり、退屈という精神の安静を意味するのだろうか。
 そういう私も親父が死んでから嫌な事ばかりだった。だから1人になりたかった。でも孤独ではなかった。まさに安静という名の退屈。

ゲイに対する憧れと侮蔑

 この作品の主人公は、上流社会の退廃的な生活をニヒルに眺めながらも、そんな世界に憧れる作家志望の男娼なのだが。このゲイの青年こそが著者自身の分身なんです。
 カポーティはこの作品の中で実にダイナミックにダイレクトに、そして繊細に侮蔑的に、”ゲイ”の世界を描く。

 彼はゲイの事を”キラーフルーツ”と呼ぶ。”フレオン剤で血の流れを冷凍した”様な心の冷たい、ある種のゲイの事を揶揄した表現ですが。それがエドガー・ブーバーやハドリアヌス帝を指してる事は言うまででもない。その上、”虐めの甘く鋭い快感”とか、”甘い嫉妬や優美な絶望感”や”ロマンティックなサディスト”といった際どい表現も使ってます。
 これこそがトルーマンが本音で描くゲイの世界。もうここまでくれば”ゲイ術”です(笑)。

 この冷たい心を持つゲイは、ヤマアラシの棘の数程のペニスを受け入れながらも一度もイカない。男はオリエンタルマジックを使った。スタミナではなく想像をコントロールする。SEXの間、平たい茶色の箱だけを頭の中で思い描くんです。
 つまり、性を支配するのはイメージ(想像力)なのです。”数学とSEX”ブログもよかったら参照です。

 カポーティは、ゲイ特有の”若作り”を蔑視した。若く見せようとする心意気はバカバカしくは思えなかった。その若々しい身なりは彼に似合ってたからだ。しかし、彼が50代と分ってたから、その若々しさは薄気味悪く悪徳の雰囲気を醸し出してる様に感じたと。

 確かに、服装や身なりに異常なまでに神経質で、自分をより若く見せようと輩が多い。若く見えるのは素晴らしい事だが、若く見せる事程、醜く愚かな事はない。  

才能がある奴の生き方 

 才能ある人間の唯一の義務は、自らの才能に従って生きる事だ。才能のない人間は才能のない愚かさを恨んで生きるだけだ。
 しかし、才能に従って生きる奴は、その才能に溺れて死んでいく。無才を憎しみながら生きる奴は、その無才に救われ、同情されながら一生を終える。さてと、どちらが選ばれし生き方なのだろうか?

 このカポーティの言葉こそが、彼の人生論を凝縮してる。つまり、才能のある奴はその才に潰され、才能のない奴はその無才に救われる。”バカ程出世する”も参照です。

 カポーティには上流社会の全てが、この才能のないゲイに、いや犯罪者に見えた。頭蓋骨の形がそう思わせるのだ。
 顔はノッペリとして、パンケーキの様に甘ったるく、意志の強さと弱さが悪い形で同居する。しかし彼らは人を惹き付ける。セルロイドの様に透明で真面目な男に見えるが。そのさっぱりとした外見とは裏腹に、彼のより複雑な内面を保護し、カモフラージュする。

 確かに、こういった外見だけはサッパリ&潔癖系も多く存在しますな。人は見た目も内面も複雑系の方が、最後には格好良く見えるのに。
 ジャニーズやAKB48なんか見てると、”屑肉の寄せ集め”みたいで、育ちの悪さが異様なまでに目に付く。丁度カポーティが、上流社会の異様な醜態の様をコテンパンに扱き下ろした様に。

 つまり私もカポーティ同様、そういう厭な部分=”叶えられない祈り”が沢山あるんですかね。

 
最後に〜無垢な喪失とアメリカ文学の王道

 分裂症的だが印象的。この作品は傑作中の傑作だと思う。”未完の大作”と言われるだけあって、支離滅裂的な部分がない訳でもない。
 上流社会のリッチ族を実名でけちょんけちょんに扱き下ろす。読んでて爽快に思える時もあるが故に、カポーティー自身も堕落の底にはまっていく。
 結局、富と名声とは幻滅及び醜態そのものであり、幻惑や妄想にすらなり得ない。永井荷風の"支那街の記"に登場する糞貧しい人種と本質的には何ら代わりはない。
 偽善の富に浸るか、真実の貧しさに生きるか、そこに何ら差異はない。

 "アメリカ文学の本質は、無垢とその喪失にある"と川本三郎氏は解説してるが。カポーティーは無垢であり過ぎるが故に、何かを失った。しかし、この本の中にはそんな彼の無垢さが、色濃く直線的かつ暴力的に表現されてる。こんな純粋な小説も珍しい。

 カポーティは真実を追いかけ過ぎたのかもしれない。真実は真相に昇華し、最後には幻想に浸り、そして何かを失った。いや、何か大切なものを自らの手で封じ込んだ。
 しかし、この無垢な喪失こそが、まさしくアメリカ文学の王道ではないだろうか。

 「叶えられた祈り」の原題は、「Answered Prayers」。複数形のsがついてる事を考えると、カポーティの複雑多岐に渡る様々な無念と思いがこの作品に込められてる。勿論、叶えられなかった祈りの方が圧倒的に多かったかもだが。 
 そういう意味では、最後の最後でこの傑作が未完ながらも世に登場した事は、カポーティの小説家を超越した才能が幻想に潰されなかった事を証明してますね。

 何だかブログまでもが、分裂症的で支離滅裂になってしまいました。このブログこそが偽りない私のカポーティ譚の真相です。



4 コメント

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退屈と孤独 (hitman )
2019-03-02 03:32:39
この本は読んだことはないのですが。カポーティと言えば、ティファニーで朝食をが有名ですが。この本こそが彼の名を世界に広めたのではないでしょうか。

カポーティもフィッツジェラルドも上流社会に強い憧れを持ってますがが。カポーティの方がより大きな嫉妬が含まれてる気がします。

転んだサンのレヴューを見て、この作品が未完ながら傑作だという事が痛いほど理解できます。

猥雑だが爽快とは、全く良い得て妙です。



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Re.孤独と退屈 (lemonwater2017)
2019-03-02 16:04:57
カポーティの作品はこれが最初だったんですが、支離滅裂でしたが、とても印象に残ってますね。

フィッツジェラルドの”夜はやさし”も自堕落な作品でしたが。こっちの方がずっと強烈ですか。

とにかく未だに凄く強烈な印象に残ってる作品です。
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AKB48って屑肉なの? (HooRoo)
2019-03-08 13:54:39
日本のアイドルって屑肉の寄せ集めなの?何だか笑っちゃうな。それをいうならハリウッドも同じ様なもんかな。あら言いすぎたかな。転んだサンの悪い癖が移ったみたいね。

カポーティも好きなライターだけど、answered prayersは、暴露記事そのものって感じだけど、小説に結び付ける辺りはさすがって感じ。

複数形のSにこだわる辺りは、転んだサンもさすがね。カポーティの悶々とした無念さが読んでる方にもとてもストレートに伝わってくる。

ミー的にいえば、失礼だけど爽快、野暮だけど実直って感じかな。結局、作家もプロモーターもドスケベってこと。そういう事言いたいんでしょ?

ではバイバイ。

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Hoo嬢へ (lemonwater2017)
2019-03-08 17:17:04
屑肉とは言い過ぎかもですが、何でも集団化するやり方にはウンザリです。でもそんな安直なやり方でヒットするんですから、ハリウッドほどゲスではないにしろ、やってる次元は同じかなです。

プロモーターも政治家もドスケベでも構わないんですが、やってる事には最低限の責任を持ってほしいな。全て責任を持てとは言わないけど。

でもこういったブルーになりそうな暴露本もカポーティが描けば立派な芸術なんだよ。愚痴や嫌味すら名言になる。唯のスケベとは違うんですよ。

ではバイナラ。
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