象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

箍(タガ)が外れる時、脳は死滅する〜フォン・ノイマンの奇行と悪夢

2021年12月18日 05時02分15秒 | 数学のお話

 箍(タガ)が外れるとは、外側から締め付けて形を維持してるものがなくなり、それまでの秩序が失われる事。緊張が解けて羽目を外す事。元々”箍”とは桶の枠組みを固定していた輪を指す語である(Wiki)。

 まさに、今の私がそんな感じである。
 (記事にもしたが)1ヶ月前、柳川駅前で飲んだのは約10年ぶりだった。その時は相変わらず寂れたままの飲み屋街だったから、箍が外れる事はなかった。
 その1ヶ月後に久留米で羽根を伸ばした時も、歓楽街は錆びついたままだった。1件目の店も同じ様に寂れたままだった。これで終わってれば、箍(タガ)が外れる事もなかった。
 その後の店で中途にイイ思いをしたから、全てが狂った様に思う。

 自分を苦難や重圧から開放し、自由や悦楽を謳歌する事は、”時には”必要である。
 長引くコロナ渦は、(元々内向的で)引き籠りがちな自分にとってはとても好都合だった。お陰で夜の誘惑とも疎遠だったし、余計な出費も掛からずに済む。
 外に出歩く事も少なくなるから洋服も買わずに済むし、モノ欲しさもなくなる。つまり、コロナウイルスは私にとっては最高の経済対策でもあったのだ。

 しかしコロナ渦が収束し、街が少しずつ開放的になると、それに釣られ開放的な気分に傾斜していく。
 勿論、溜まった鬱憤やストレスは開放しないと、自分が壊れる。
 箍(タガ)というものは定期的に緩めるもので、一度緩めたらきちんと締め上げるべきものだ。つまり、人はそうやって秩序を維持&調整してきたようにも思う。
 しかし私は、一度緩めたタガを締め忘れてしまったようだ。
 私が小難しい数学ブログをかくのも、そうした緩みやすい秩序を維持する為である。


歓楽街という名の陥落街

 私は元々お調子者である。内向的でありながら陽気な性格でもある。若い時はエロい店にもよく通ったし、エロい遊びもよく経験した。エロい女ほど(モテない筈の)私は可愛がられた。
 お陰でエロい事には、免疫がある方だと思う。しかし一旦調子づくと、止まらない悪いクセもある。
 先日の「束の間の悪夢」も全く同じパターンだった。
 腐った店だと判っていながら、敢えて飛び込んだのだ。勿論、私だけのせいではない。しかし、タガを締め忘れてたのも事実である。

 そして、昨晩もある知人からのお誘いがあった。
 正直言うと、先日のリベンジを果たしたいと思う自分がいた。しかし、(キューバ危機に直面したフルシチョフみたいに)私は不思議と冷静だった。
 ”連チャンで飲み歩いたばかりだから、流石に今日はやめとくよ”
 ”イイ思いしたんだろ?”
 ”いや、全てが外れた。だから君にリベンジして欲しいんだ。美味しい結果報告を待ってるから”
 ”相変わらずガードが堅いな”
 ”いや、タガが外れすぎて元に戻そうと必死さ”
 ”君は呑み歩くのが巧いし、器用だから、イイ思いができると思う”

 知人は少し残念そうだったが、他にも連れがいるみたいで、多少は盛り上がっていたようだ。

 電話を切ると、ある種の喪失感に浸っていた。
 ”アイツら、今頃は久留米の歓楽街で賑わってるだろうな?”
 そう思うと、無性に晩酌のペースが上がる。昨晩のハイボールを思い出し、(濃い目の)焼酎の炭酸割りを続けざまに呑むが、全く酔えない。
 炭酸が切れると、お湯割りに戻した。少しは気が楽になり、ほんのりと酔いが回ってくる。
 頭の中は、寂れた店の中で悪乗りした団体客と腐った女どものイメージで充填する。
 彼らは彼女らはどんなバトルを繰り広げてるのだろうか?
 男は何とかして女を口説き、悦楽な気分に浸りたがるが、女は男が落とすカネが全てである。女に酔う男とカネに酔う女では、結果は明らかである。
 男たちは戦いに破れさり、一人静かに家路につく。女は仕事と割り切り、まとわりついた親父たちの腐った体臭をシャワーで洗い流す。
 こうした夜の単純作業を延々と繰り返し、男も女も決まった様に荒んでいく。

 歓楽街を昼間に観察してみるがいい。まるでゴーストタウンと化した廃墟に近く、歓楽街というより陥落街である。
 しかし夜になれば、眩しい程のネオンが錆びついた店を照らし、幻想的な雰囲気と共に魂を吹き込む。

 結局、夜の街に勝者はいない。存在するのは箍が外れきった人種の腐った欲望の残骸だけである。
 私が晩酌が好きなのは、こうした人間の強欲と腐敗を外から眺める事ができるからだ。

 エロ好きな数学者は少なくない。
 ハンガリー(ブタペスト生まれ)の数学者であるフォン・ノイマン(1903-1957)は、コンピュータ・原子(プルトニウム)爆弾・ゲーム理論・天気予報などの原形をつくった20世紀を代表する(アインシュタインをも感服させた)大天才である。
 因みに、推定IQは300ともいわれ、東大医学部レベルなら1週間ほど勉強すれば入学できるほどだったとされる。
 天才だけが集まるプリンストン研究所の教授陣の中でも、桁違いの超人的な計算能力を発揮し、”人間のフリをした悪魔”とも呼ばれた。
 ”コンピュータの父”として知られるノイマンをネットで検索すると、その名が冠された専門用語が50種類以上発見できる。
 まさに天才を超えた最凶の脳を持つ奇才である。


フォン・ノイマンの奇行

 ノイマンと共に”マンハッタン計画”を推進したレオ・シラード(1898年生)、ユージン・ウィグナー(1902年生)、そして”水爆の父”エドワード・テラー(1908年生)の3人の物理学者と、さらに”暗黙知”で知られる哲学者マイケル・ポランニー(1891年生)、ホログラィーを発明した電子工学者デーネシュ・ガーボル(1900年生)、”放浪の天才数学者”ポール・エルデシュ(1913年生)も、オーストリア=ハンガリー2重帝国時代のブダペスト生まれである。
 ノイマンの親友でノーベル物理学受賞者のウィグナーは、”なぜ当時のブダペストにこれほど多くの天才が出現したのか?”という問いに対し、次の様に答えている。
 ”その質問は的外れだね。なぜなら天才と呼べるのはただ一人、ジョン・フォン・ノイマンだけだから!”

 マンハッタン計画では、ノイマン、ウィグナー、シラード、テラーの4人の天才ハンガリー系科学者が集結した。人間離れした高度な知能から”火星人”と呼ばれた彼らがいなければ、長崎型(プルトニウム)原爆の開発は短期間では成功しなかった。少なくとも、長崎の惨劇はなかったかもしれない。
 ノイマンが考えたのは、臨界点に達していないプルトニウムの周囲に32面体型に爆薬を配置し、一定の高度で爆薬に点火し、その爆発の衝撃によりプルトニウムを臨界量に転化させる方式だった。
 彼らは、この一連のプロセスを正確に制御する為の複雑な数値計算を(自らが開発したコンピュータを使って)僅か半年で行った。

 原爆投下のリストは”皇居・横浜・新潟・京都・広島・小倉”であった。ここでノイマンは皇居への投下に強く反対し、もし皇居への投下を主張するなら”我々に差し戻せ”と主張する。
 彼は、戦後の占領統治まで見通して皇居への投下に反対し、お陰で日本は命令系統を失わないまま3ヵ月後に無条件降伏できた。その意味で、ノイマンは無謀な日本陸軍の”一億玉砕から日本を救った”とも考えられる。
 一方でノイマンが強く主張したのは、京都への原爆投下だった。日本人の戦意を完全に喪失させる事を最優先し、”歴史的文化的価値が高いからこそ京都へ投下すべきだ”と主張した。
 勿論、この”狂った”主張は受け入れられなかった。しかし皮肉にも、何度か立ち会った核実験で自らが浴びた放射線がガンの原因となり、53年の生涯を閉じる。

 そのノイマンですら、箍が外れる事があった。故郷のハンガリーが旧ソ連に蹂躙された時は”核攻撃”を強引に主張した。
 また私生活ではカジノで出会った女と再婚したり、女性秘書のスカート覗きが趣味で、数学とコンピュータしか頭にないお祭り好きなアダルトチルドレンには奇行も多かった。
 自らの研究室に女性を呼び込み、キャバクラみたいに飾り立てる事もあったとか・・・
 しかし、実際のノイマンからは職人の様な謙虚な姿も浮かび上がってくる。それこそが奇行ばかりがイタズラに強調され(「博士の異常な愛情」)、これまで見落とされてきたもう1つ実像なのだろうか。


最後に

 結局、20世紀を代表する大天才ノイマンも原爆開発に関わった時点で、箍が永遠に外れ、自分を見失ったのかもしれない。
 ノイマンの数々の奇行は本当だと思う。
 箍が外れた人間はどんな天才でも秀才でも必ず奇行に走る。
 原爆投下後の広島と長崎は見事な復活を遂げたが、ノイマンの最期は(がんが脳にまで転移し)2+3の掛け算すら出来なくて死んでいった。

 人は誰でもタガが外れる事がある。
 しかし、自分という生き物の醜い本質を見抜いていれば、その外れたタガを締め直す事はできる。
 今の自分は一時の開放的な余韻に浸り、微妙な危機的状況にある。いや、深刻になり得る危機の入り口にいるのかもしれない。
 昨晩は中途な酔いの中で、ノイマンの奇行をふと思い出してしまった。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (びこ)
2021-12-18 05:55:12
「英雄は色を好む」でしょうか?

性的妄想は頭でなされるものだから、頭脳優秀な人ほど実はエロいということを聞いたことがあります。
返信する
ビコさん (象が転んだ)
2021-12-18 10:58:01
英雄だけでなく
男というものは色を好み、終いにはド派手な色を好むエロ爺に成り下がっていくんですよ。
頭の中で冷静に描いてる間は平和なんですが、精神薬と同じで中毒になると手が付けられなくなる。
そういう私も反省しきりですが、コロナ明けの年末という事で、自分を開放しすぎたんですかね。
返信する

コメントを投稿