先日、脳神経科の先生と話をしていた。私よりも若く40代前半くらいだろうか、非常に聡明な方だった。しかし、紹介状の内容がいい加減で、少し腹を立てておられた。私にも見せてもらったが、素人レヴェルのそれだった。
”これだけじゃ、何も分からない。もう少し具体的な事を書いてもらわないと”という感じだった。
私は微かな記憶にある事を必死で説明したが、当然説得力に欠ける。でも最後は何とか解ってくれたみたいで、すっかり機嫌は良くなってた。
私もそうだが、最近の医者は少し怒りっぽい様な気がする。ブログやネットでもそういう声をよく聞く。何か質問したら怒られたとか、少しでも口答えをすると途端に不機嫌になるとか。
ある知人が言ってたが、日本の医者は欧米に比べ、少し質が落ちる様に感じると漏らしてた。東大医学部出の奴が言うのだから、全く外れてはいないと思う。
確かに、皆が皆、故中村哲医師の様な筈もないが、ひと昔に比べ、エリートの意識は強くなってる一方、平均した医者の質は明らかに落ちてる様に思える。
TVのワイドショーにも、脳神経科の教授が登場するが、安っぽいアイドル風に飾り立てられ、”ヤッパリ医者は病気を直せない”(要Click)と真から思ってしまう。
職業に人間に、貴賤はない!
少し前置きが長くなったが、今日は私の”理想の医師像”である、中村哲氏について書きたいと思う。
中村さんに関しては、様々な自伝本が出版されており、彼の名前を知らぬ日本人はいないと思う程に有名な方だが、改めて中村哲という人間の実像を振り返ってみたい。
中村氏の家族の家は、福岡県の大牟田にある。私の地元から15キロほどしか離れてないから、余計に愛着が湧く。しかし、その中村氏もアフガニスタンで銃撃に倒れ、73歳の生涯を閉じた。
福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表である中村氏は、同国の乾いた大地に用水路を造る為、医師でありながら自ら重機を操った。その中村さんが幼少期を過ごしたのが、港湾労働者が多くいた北九州市若松区だ。
”職業に貴賤はない”
人として大切な事は何か?を教えた祖母の言葉と、故郷の景色に溶け込んだ労働者の姿が彼の人生の原点だった。
常に、”命の不平等”を強い口調で嘆いてた中村氏は、自然や昆虫をこよなく愛し、人間社会の不条理に非常に敏感だった。
正しい者が勝つと信じて突き進む、真の正義を実践する人間だった。”最初はチョウが見たくて海外に行ったのに、目の前の困った人を助けたい”と、汗を流し続けてきた30年間だった。
平和は積極的であるべきだ
ある記事に寄せたコメントだが、中村哲さんのアフガニスタンでやってきた功績や苦難は、極論を言えば、ノーベル平和賞複数個分に相当するものだと思う。
戦争扇動者や子供に賞を渡すくらいなら、稚弱で安直な温暖化を喚く生意気なガキに渡すくらいなら、中村氏にもっと早くノーベル平和賞、いや医学賞を渡すべきだった。そうすれば、ノーベル賞の本来の意義も価値も大きく変わった筈だ。そして、公人としてもっと命を大切にして欲しかった。
ノーベル賞は故人には与えられない、というチンケなルールも存在するが、そんなのはどうでもいい。でも冷静に振り返ると、ペテンの様な賞は貰わない方が、真の名誉の為か。
”世界は捏造と錯覚で成り立っている。平和は戦争以上に積極的でなければならぬ”との中村氏の言葉に、惨状に決して絶望しない不屈の闘志と貧しき人々への絶対的な信頼を見た思いがする。
事実1992年、ダラエヌール診療所が襲撃された時、中村氏は”死んでも撃ち返すな”と叫んだ。戦場に身を晒した兵士なら、発砲しない方が勇気の要る事を知っていたのだ。お陰で、地元人の大きな信頼を得た。
1986年から、アフガン難民の為のNGOプロジェクトを立ち上げ、掘った井戸の数は1600本、用水路の全長は25km超えた。著書「医者よ、信念はいらない、まず命を救え!」の中で、”若者は悪事でもしない限り、大体やり替えがきく。恐れずに正しいと思う事を利害に囚われずに貫く事だ。それに私は医者の仕事は殆どしていない(笑)、土木技師の仕事をしておる”
全く、今現在の”病気を直せない”お金目当ての医者に、一番聞かせたい言葉だ。
因みに、全長25kmの用水路は砂漠を緑化させ、約10万人の農民が暮らしていける基盤を作った。言い換えれば、10万の命を救った事になる。
また「天、共に在り、アフガニスタン三十年の闘い」では、”アフガニスタンは車に日の丸を掲げていれば一番安全なのです”とあった。それだけ戦場のアフガニスタンでも中村氏は神様的存在だったのだ。
しかし、それ以後のイラクへの自衛隊の派兵により、現地の人の日の丸への印象が変わってしまった。そして今回の銃撃だ。
ワクチンよりもキレイな水を
その中村氏も当初は失敗続きで、多額の寄付金で診療所を作り、ワクチンを接種するもバタバタと子供が死んでいく。泥水を啜る子供にワクチンも栄養剤も効き目がある筈もなかった。
そこで、”寄付よりもワクチンよりもキレイな水だ”という事をようやく悟り、医者の仕事を捨て、1600本の井戸と25kmの用水路を掘リ続けた。用水路建設を決意し、”高校生の娘から教科書を借り、苦手な数学を再学習”し、河川工学をマスターした。
重機をも自ら操縦する中村氏の突破力と突進魂は神懸かっていた。ここまで来ると、”非政府支援”とか”国境なき医師団”の領域を遥かに超えていた。
そんな中村氏の逸話として、アフガンのある病棟に”靴屋”を作り、現地の技術でサンダルを作り配布したら、足の切断手術が激減したという。援助物資として先進国から靴を送っても、すぐに売って金に替える人々を見て、中村氏が打った手だった。
そんな中村医師も、現地の人々の生命や生活と願いを最優先し、”催しものと議論ずくめの割に中身のない”「海外医療協力」と決別した。
苦戦続きのアフガン復興支援活動の中で、”首都カブールだけに集中し、学校教育のあり方や男女平等の徹底などを論じる傍ら、多くの人々がその日の糧にも喘いでいる事を知っているとは思えない”と、中村氏が多くの救援団体に批判的なのは当然だろう。日本など先進国の中東政策はもとより、反政府的なNGO等にも反省を迫る。
夢中で駆け抜けた30年間
事件は、悪化する治安に細心の警戒をしながら活動する中で起きた。
”あと20年は活動を続ける。この仕事が新たな世界に通ずる事を祈り、真っ白に砕け散るクナール河の、溌剌たる清流を胸に、来たる年も力を尽くしたい”と力強く語ってた矢先の事だった。
”生きておれ、病はあとで治す”
”100の診療所より、1本の用水路”
この2つが、常に合言葉だった。
机上論ではなく現場を見る事、白黒ハッキリつけたり、死を憐れんだり美化したりして他人が他人を語ってはいけない。日本の理や日本人の感覚を持ってアフガンを語ってはいけない、偉大な指揮者が居れば人は従いてくるを行動で実証した。
つまり、中村氏は”緑のアフガニスタン”を目指し、夢中で30年間を駆け抜けたのだ。
こうした世界でも類を見ないNGO支援の模範中の模範の中村氏だが、生前に”アフガンはテロよりも干ばつの方が怖い”と言っておられた。しかし、銃撃で一生を終えるとは悔やんでも悔やみきれない。
せめて、国民栄誉賞くらいは与えるべきだ。イチローや嵐にやるくらいならね、でも安倍にはそんな感覚はないだろうな。その安倍も中村氏には冷ややかだ。
勿論、中村氏も安倍政権に関しては、”こんな政権ならいらない。憲法には従うべきだが、政権に従う必要はない”と鉄槌を下す。
”ハーイ、アグネスアンタもか”(要Click)でも書いた様に、バカの一丁覚えみたいにワクチンや栄養剤の宣伝をする、日本ユネスコ(ユネスコも含め)が余計に偽善ぽく感じた。
最近の怒りっぽい医者を見てると、不自由な土地に身を晒し戦い続けた中村氏の不安気な表情が、天国から見え隠れするようだ。
安倍にとっては、中村氏よりもジャニーズの嵐の方が都合がいいんですかね。
不条理を一番嫌う中村氏が不条理な死を迎えるとは、全く残念でたまりません。
コメント有難うです。
お金儲けの為だけの職業になったんだろう
中村氏も、こういった利潤最優先の医療業界に嫌気が刺したんですね。
サンダルのお話は面白かった。
医者が病気を治すんではなく
環境を改善することが病気をなくす。
私達は病気に掛かるとすぐに病院へ行き、安心と治癒をお金で買いたがるが
病気を引き起こす環境を考えることはまずない。
中村さんの言葉は1つ1つがとても重たく感じました。
おっしゃる通り、医者が病気を治すんではなく、環境を改善しない限り、診療所やワクチンがなんぼあっても病気はなくならない。
ユニセフは”ワクチンが足りない”とカネをしつこく要求してますが、この時点で世界を蝕む営利企業なんですね。
中村哲さんも天国で”ユニセフよ戯言はいらん井戸を掘れ”って叫んでるんでしょうか。