”元夫から家庭内暴力(DV)を受けたとの主張は名誉毀損にあたる”と、デップが元妻で女優のアンバー・ハードを訴えた。
この裁判で、バージニア州裁判所の陪審は、デップの訴えを認める評決を下した。一方でデップは、同様の裁判を英国でも起こしたが、そちらは昨年敗訴していた。
7人からなる陪審は、”悪意を持って原告(デップ)の名誉を棄損する意図があった”とし、被告(ハード)に1500万ドル(約20億円)の支払いを命じた。結局、デップによるDV被害を受けたとするハードの主張を認めなかった。
同じ様な2つの裁判で結果が正反対になった理由に、ワシントンポスト紙は”英国では裁判官が判断し、米国では陪審によって判断されたから”と、米英の司法制度の違いを指摘した。
一方、”DV疑惑はでっちあげ”としたデップの代理人による発言は名誉毀損だとして、ハードが1億ドル(約130億円)の賠償を求めたカウンター訴訟についてはその主張を認め、デップ側に200万ドル(約2億7000万円)の支払いを命じた。
以上、東スポからでした。
額が額だけに、日本でも大きな話題を呼んだ裁判だが、中身をよーく調べると笑えそうで笑えない現実も見え隠れする。
まずハードが支払うのは、原告に対する損害賠償金1000万ドルと懲罰的損害賠償500万ドル。だが、後者は同州の法律により35万ドルに下げられ、最終的に合計1035万ドル(約14億円)になった。その上、ハードが勝訴した200万ドルを差し引けば、835万ドル(11億3000万円)となる。
ハード側にすれば、20億が11億に減ったのだから(敗訴になっても)最悪は免れた格好だが、双方の支払額には年利6%が加算される。
一方で、ハード側は(当然)上訴する予定らしいが、支払額の全額もしくは何割かを”保証金”として裁判所に差し入れる必要がある。この保証金は(刑事の場合の)保釈金に相当する様なものである。
結局、裁判所側は肝心の判決は陪審員に投げ売りし、自分たちは原告と被告の双方から保証金を掠めとる。(ハリウッドとは言え)既に陰りが見え始めた元夫婦がドロ沼劇を繰り返すほどに、裁判所が儲かる仕組みである。
DV裁判は高く付くと言われるが、裁判所にとっても得るものが多い裁判でもある。
最初の判決ではデップに花をもたせた格好だが、控訴を繰り返す毎に(高みの見物状態にある)裁判官は笑いが止まらんだろう。
ハードも既に36である。老いたブロンドが一発逆転を狙うには、かなり危険な賭けをする必要がある。一方で、デップも60近い老人?だが(物好きな)ファンだけが唯一の支えであろう。
が、私的には、二人ともこれで(映画人として)死滅してくれればと願う次第である。
大衆という名の評決と正義
アメリカでは、法ではなく大衆(陪審)が審判する。老いたセレブに情をかけるかは庶民の感情次第である。陪審員たちがハードを”クソ婆”と判断したら評決も”クソ婆”である。同じ様に、デップを”クソ爺”とみなせば、評決も”クソ爺”である。
結局、(正義を下す)陪審員と言えど(平民である)大衆にとって、デップもハードも既に峠を越したセレブには違いないし、金持ち夫婦の泥沼に付き合ってる暇もない筈だ。
しかし、著名人の堕落ほど大衆の力やエネギーにもなるものもない。
事実、有名人のスキャンダルほど庶民が喜ぶものもない。同じ様に、著名人夫婦の醜い訴訟劇こそ裁判所は儲かり、正義という名の大衆は(贔屓にしてきた)セレブに評決と嘲笑という最後のトドメを刺す。
結局、セレブというのは派手なだけで(最後には大衆の反感を買い)、見かけ程には割に合わない職業なのかもしれない。事実、ドイツ語でセレブとは”外に突き出た”という意味がある。
「脳は他人を許せない」(中野信子 著)では、”人の脳は裏切り者や社会のルールから外れた明確な攻撃対象を罰する事に快感を覚える”とある。
勿論、今回のDV訴訟という泥沼劇に陥ったデップ夫妻も(常識から外れたという点では)同じであろうか。
セレブ族に”正義の制裁”が下されると、大衆の脳はドーパミン(快楽ホルモン)で満たされる。故に、我ら大衆はメディアやSNSを通じ、罰する対象を(セレブらの中に)探し求め、正義の評決を下した気分になり、その余韻に浸る。
そういう私も、芸能人や政治家を悪く言う癖がある。つまり、私の脳は(他人や隣人ではなく)有名人を許せない様に出来てるのだろう(多分)。
というのも、私からすれば著名人や有名人は一種の身近な権力にしか思えないからだ。特にセレブ族は、有名と言うだけで(庶民とはかけ離れた)ド派手な生活を送りたがる。当然、セレブ同士の憎悪を伴う奇悲劇は後を絶たない。
故に、我ら大衆は有名人の不運や不幸を慢性的に願う様になる。
中野さんに言わせれば、これこそが”正義中毒”なのだが、有名人のスキャンダルが報じられる度に、”そんな事なんて許せない”と叩くどころか、”もっとやり捲くって自ら絶滅しろ”って願うようになる(多分)。
最後に
”セレブは悪”とまでは言わないが、(真面目に安月給で地道に生きる)”庶民こそが正義だ”という視座からすれば、やはり”セレブと贅沢は庶民の敵”である。その上、正義は(セレブではなく)庶民の手中にある。
セレブという理由で、DV訴訟に100億円以上も賠償請求する自惚れた人種に、我ら庶民は怒りの矛先と正義の剣を向ける。
今回の6週間にも渡った裁判では、デップ側は(ハード側のDV主張による名誉毀損で)65億円を、原告のハード側は倍の130億円を要求してたが、結果はハードに(差し引き)11億円が課された結果になった。
勿論、ハード側は裁判のやり直しを要求してるが、裁判が繰り返される度に、保証金が裁判所側に転がり込む事になる。
多分、互いが(訴訟を引っ込め)和解しない限り、裁判所が儲かるだけで、法的な解決には限界がある。
それに裁判が長引くほどに、ハードの美貌は枯れ果て、デップの神通力も地に堕ちる。陪審員と言えど、老いたセレブに肩入れする情けがある筈もない。
様々なコメントを見る限り、若干デップに有利かなとも思うが、二人の映画人としてのキャリアは(今回の訴訟劇で)終結に向かうのだろうか。
因みに、デップは”陪審員が私の人生を取り戻してくれた”と語り、ハードは”この失望は言葉で言い表せない”と語った。
しかし、我ら貧乏な庶民からすれば、”二人とも地獄の底に落ちろ”である。
つまり、私たちが言う正義とは、庶民の嫉妬と矛盾が詰まった残酷な剣なのかもしれない。
結局、庶民はセレブに憧れはするが、そのセレブを許せないのだろう。
(正義を下す筈の)庶民の脳は、常に不安定なモルヒネに悩まされてるのである。
私は侮辱されたと思っているのですが、向こうは正義の味方になったつもりで攻撃してくるから、決着がつきません。気持ちとしては、裁判にでも持ち込みたいところですが、それには裁判費用と莫大な時間を使わなければなりません。となると泣き寝入りをしたほうが賢いということになるのでしょうね。精神障害者は罪に問われないということを聞けば尚更。
でも、一方的な言い掛かりを一々相手にしてたら、キリがない。儲かるのは裁判所と弁護士だけで、当事者の二人は損をする。
ここは旦那さんに相談し、頭を冷やすのもアリですかね。少なくともブログよりはアテになる。
私もある土地の境界線でクソ爺からイチャモン付けられ、裁判になりました。が、当然決着はつかず、裁判費用の30万が掛かっただけでした。
元々買い手があった土地なので早い時期に売ってれば何て事なかったんですが、私が嫌がったのでバカを見た結果になりました。
結局この土地は売ったんですが、当時と比べれば1/2~1/3程にしかならんかったです。
法律と弁護士ほど当てにならないものもない。そういう事を教えられた変な裁判でした。
陪審員の票が集まったけど
次回はたぶん割れる
結局
お互いに裁判費用だけが掛かり
得るものが何もないドロ訴訟に終わる
交互に賠償請求(責任)を課し続け
お互いを骨抜きにする
有名(セレブ)ってのは
若い時は良いけど
歳をとると哀れなもので
有名税も高くつく
セレブ同士のドロ試合で互いが骨抜きになる。
言われる通り、セレブって若い時だけですもんね。歳食ったらエロ爺やクソ婆扱いですもの。
陪審員も内心そう思いつつ評決を下してんですかね。