神融心酔 

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上海・武夷山の旅 第三日目 午前の部

2012-05-21 | 茶旅
前の晩はぐっすり寝たんですが、大雨が降っていたことはわかりました。
さすがに河の水位が上がり水もにごっていて、楽しみにしていた筏下りは中止。
あ~~ん、この旅行唯一の心残りです。
でもきっと武夷山が「またおいでね♪」って言ってくれてるんだわ!
と、思うことにしよう・・・。

で、気を取り直して三日目です。
筏下りが中止になったので、予定を繰り上げて
まずは2007年11月発売の雑誌『Coyote (コヨーテ)No.23 特集:中国茶葉街道を行く』で日本でも有名になった下梅村へ。
武夷山風景区から南へ7km、かつて清代に茶葉の交易所として栄えた村です。

何となく懐かしさがこみ上げる雰囲気。



女性はせっせと岩茶の枝取りのお仕事をしてたりしますが、男性陣はポーカーに興じる姿が目立ちます。



1700年代から1900年代にかけて、武夷のお茶はこの運河から広州経由でヨーロッパに渡り、
また山西省の商人の買い付けにより北はロシアまで販路が拡大していたそうです。
アヘン戦争(1840~1842年)の後、交易の独占権が消失し、この村はその栄華の歴史を閉じました。



この道を抜けた向こうには何が待っているのでしょう。



下梅村の運河を築いた江西省出身の趨氏の邸宅。
当時の暮らしぶりが伺えます。



中国の時代劇から抜け出たような一コマ。
私のイメージでは、ここで仁王立ちしている(妄想)のはチャウ・シンチーだな。



チャウ・シンチーにはこの格好も似合いそうな(妄想)。



余談ですが、ロシア向け茶葉交易で趨氏と手を組んだのは山西商人の常氏。
山西商人は中国の経済史において、金融業を支配していたとされ、
その中の実在の一族にスポットを当てたドラマ『喬家大院』がかなり面白いそうです。
中国の連続ドラマは長いものが多いので見るのはたいへんだけど、今度探してみよう♪


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