若い頃は麻雀が盛んだった。今の若い人はあまりやらないらしい。遊べるものが多いし、麻雀は時間がかかる。家族にも評判は良くない。もっぱら対戦相手は親戚中の強者、義父や叔父、おじさん達。小遣いたんまりの連中で、こちらは貧乏暮らし、負けることは許されない麻雀だった。負けられない麻雀ほど面白くないものはない。上がりに賭けるなど言語道断。リーチはかけられない、ひたすら我慢の麻雀だ。麻雀で勝つことは難しいことではない、負けないことが難しいのだ。麻雀はツキだと思っている間は、トータルで勝てない。「麻雀放浪記」の阿佐田哲也、(ペンネームは朝だ徹夜だから)、五味康祐、小島武夫らの本を買ってひたすら読んだ。興味のないことが覚えられないので学業はふるわなかったが、無学ではない。いったんツイたときの麻雀はこたえられない。2巡目、西待ちでリーチを掛けた。一発で出た。国士無双だった。相手は対子(トイツ)落としだった。4人いても一人抜けで3人麻雀をした。萬子(マンズ)を抜いて行う。高得点になるので、人気がある。正月などは三日三晩、紅白も見ずに熱中する。3人なので北は風にならずドラになる。一度天鳳(てんほう)になったことがある。なったことがあるというのは役満の
上がりを認められなかったからだ。北が2枚あり、ケツから引いたら上がっていた。結局ツモ、ドラドラの5200しか認められなかった。30年麻雀やって1度しかない幻の役満に終わった。その後麻雀から遠ざかった。