ようやく京都から、第7宿目です。
当時の阪之下宿は、現在の三重県亀山市関町坂下になる
らしいです。
この絵は阪之下と関の間の峠茶屋の光景で、向かい側に
見えるのが「筆捨峰」となっている筆捨山です。
名前の由来は、室町時代の巨匠狩野元信がここの絶景を
描こうとして出来ず、筆を投げ捨てたためとのことです。
先に峠を創ったので、ちょっと配置に難が出ました。
山間に滝がありますが、本当はないようです。
原画はこちらです。
当時の阪之下宿は、現在の三重県亀山市関町坂下になる
らしいです。
この絵は阪之下と関の間の峠茶屋の光景で、向かい側に
見えるのが「筆捨峰」となっている筆捨山です。
名前の由来は、室町時代の巨匠狩野元信がここの絶景を
描こうとして出来ず、筆を投げ捨てたためとのことです。
先に峠を創ったので、ちょっと配置に難が出ました。
山間に滝がありますが、本当はないようです。
原画はこちらです。
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