Tulip - サボテンの花 サボテンの花
1961年(昭和36年)のこの日、世界初の有人宇宙衛星船・ソビエト連邦のヴォストーク1号が打ち上げられた。
この歴史的な出来事は、全人類のための宇宙探査への道を開いた。
この日は国連が制定した国際デーの一つでもある。英語表記は「International Day of Human Space Flight」で、日本語では「国際有人宇宙飛行デー」とされる。2011年(平成23年)4月の国連総会で記念日とすることが採択された。持続可能な開発の目標を達成し、国家と人々の幸福を増進し、平和目的のために宇宙を維持することを目的としている。
宇宙船の「ヴォストーク(Восток)」という名前は、ロシア語で「東」を意味する一般名詞である。ヴォストーク1号は地球を一周し、無事に帰還。人類初の有人宇宙飛行に成功した。打ち上げから帰還までは108分だった。搭乗したユーリイ・ガガーリン少佐(Yuri Gagarin、1934~1968年)は、帰還後に宇宙から地球を見た時の感想を「地球は青かった」と表現したとされ、日本において名言となっている。
ガガーリンの言葉とされる「地球は青かった」は、日本においてのみ有名で、また原文の意味とは多少異なり、直訳だと「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」になるという。日本以外では、ガガーリンの地球周回中の言葉とされる「ここに神は見当たらない」の方が有名であるが、記録にはその発言が残っていない。色々な噂があるが、ガガーリンが宇宙へ赴いた最初の人類であることは確かである。
1921年(大正10年)のこの日、「メートル法」の採用を法制定した改正「度量衡法(どりょうこうほう)」が公布された。
それまでの長さの単位に「尺(しゃく)」、質量の単位に「貫(かん)」を基準とする「尺貫法(しゃっかんほう)」などとの併用から、長さの単位に「メートル」、質量の単位に「キログラム」を基準とする「メートル法」のみに一本化することとなった。
しかし、根強い反対運動により施行は無期延期となり、「メートル法」への完全移行は1952年(昭和27年)に「度量衡法」が廃止され、新しい「計量法(けいりょうほう)」が施行されたことでようやく行われた。「メートル法」は、大革命後の18世紀末のフランスにおいて、世界で共通に使える統一された単位制度の確立を目指して考えられた。
1mの長さの標準は、1879年(明治12年)にフランスで作られた白金とイリジウムの合金で作られた「メートル原器」を使用していたが、1万分の1mm短くなってることが分かったため、現在はクリプトン元素が発する真空中における光の波長を基に標準が定められている。
1989年(平成元年)に高知県中村市の「四万十の日実行委員会」が制定。日付は「し(4)まんと(10)」(四万十)の語呂合わせで、「四万十川」の自然を守ることが目的。
「四万十川」は、全長196km、流域面積2186km2の一級河川で、本流に大規模なダムがないことから「日本最後の清流」、また、静岡県の柿田川・岐阜県の長良川とともに「日本三大清流の一つ」と呼ばれている。「名水百選」「日本の秘境100選」にも選ばれている。ただし、政府による科学的な水質調査では、全国の調査対象河川の中で際立って水質が良いわけではない。
河川法上では1928年(昭和3年)から1994年(平成6年)まで「渡川(わたりがわ)」が正式名称だった。江戸時代には「四万十川」と書いて「わたりがわ」と呼ばれていたこともあり、また「四万渡川」と書かれることもあった。これが省略されて「渡川」の名称が発生したと考えられる。1994年(平成6年)7月25日に「四万十川」と改名された。一級河川の名称変更はこれが初めてであった。
「四万十川」には支流も含めて47の沈下橋(増水時には水面下に沈んでしまう橋)があり、高知県では生活文化遺産として保存する方針を1993年(平成5年)に決定している。
リンク:四万十の日実行委員会
日本のフォークソング、ニューミュージック界を代表する数々の名曲を送り出してきた日本クラウン株式会社のポップス系のレコードレーベル・PANAM(パナム)レーベルが制定。
日付は「フォー(four=4)ク(9)」と読む語呂合わせから。
全国各地にある「フォーク酒場」の盛況ぶりなど、新たなブームとなっているフォークソングをさらに広め、フォークソング文化の発展に寄与することが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
フォークソングについて
「フォークソング(Folk Song)」は、音楽のジャンルの一つ。「Folk」は「民謡、民俗」を意味し、元来は民謡や民俗音楽を指すが、民謡から派生したポピュラー音楽をも含める。
本来のフォークソングの演奏は、古典的なアコースティックギターやアフリカ系アメリカ人の楽器・バンジョーなどを使用し、フォークロック(Folk Rock)やロック(Rock)のように電気楽器は使わないのが伝統的な音楽表現である。
日本において1960年~1970年代に活躍した主なアーティストとして、岡林信康、高田渡、加川良、遠藤賢司、ザ・フォーク・クルセダーズ、中川五郎、マイク眞木、森山良子、ビリーバンバン、加藤登紀子、赤い鳥、ガロ、吉田拓郎、井上陽水、かぐや姫、海援隊、イルカ、さだまさし、松山千春などが挙げられる。
正しい指圧の普及を通して、人々の健康に貢献しようと特定非営利活動法人・日本指圧協会が制定。
日付は4月8日は仏教の開祖・釈迦の生誕の日で、釈迦の慈悲の心は指圧の母心に通じるものがあることから。また、「し(4)あつ(8)」(指圧)の語呂に似ていることもその理由のひとつ。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
指圧とは、手指を用いて、人体の外表に圧を加えること、また、全身に定められたツボと呼ばれる指圧点を押圧することで本来人間の身体に備わっている自然治癒力の働きを促進させ、体調を整える日本独特の治療法である。
例えば、体のある部分に、だるさ、うずき、痛みなどを感じると、自然にそこに手が届き、その状態に応じて、さすったり、なでたり、押したりして、自ら痛みを柔らげようとする。このような人間の持って生まれた本能的操作が、指圧の原点である「手当て」の始まりと考えられる。
リンク:日本指圧協会
東京都中央区京橋に本社を置き、牛乳・乳製品・菓子・加工食品などを製造・販売する株式会社明治が制定。
記念日は「プリン体と戦う乳酸菌」をキャッチコピーとする「PA-3乳酸菌」を使用した独自の価値をもつヨーグルト「明治プロビオヨーグルトPA-3」の発売を記念したものである。
日付は発売日である2015年(平成27年)4月7日から。この記念日をきっかけにプリン体への理解を深め、より健康的な食生活を送ってもらうことが目的。記念日は一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
「プリン体と戦う乳酸菌」は、明治が保有する数千種類の乳酸菌ライブラリーの中から、プリン体への可能性に着目して選び抜いた「PA-3乳酸菌」で、正式名称を「Lactobacillus gasseri(ラクトバチルス・ガセリ) PA-3」という。日頃プリン体を気にして生活している人をターゲットとした商品となっている。
プリン体について
プリン体とは、細胞の中の核酸(DNAとRNA)などに含まれる成分であり、実は、生物が生命活動を行う際に必要不可欠なエネルギーの源である。
プリン体はほぼ全ての食品に含まれていて、食品中では旨味の成分であり、細胞数の多いもの、細胞分裂の盛んな組織に多く含まれる。プリン体の多い食品として、煮干し、干し椎茸、鶏・豚・牛のレバー、カツオ、納豆、クロレラ、ローヤルゼリーなどが挙げられる。
プリン体は体内で分解されて、尿酸になり、尿酸プールに貯められ、最終的には尿などと一緒に排泄される。
プリン体の過剰な摂取は、高尿酸血症や痛風を引き起こすことがある。日々の生活において、健康を保つためには、尿酸の摂取・産生量と排泄量のバランスを取ることが大切である。
1世紀の未来を舞台に原子力(後に核融合)をエネルギー源として動き、人と同等の感情を持った少年ロボット・アトムが活躍する物語。米題は『ASTRO BOY(アストロ・ボーイ)』。1981年には関連書籍の発行部数が累計1億部を突破した。
本作は、1951年4月から1952年3月に連載された『アトム大使』の登場人物であったアトムを主人公として、1952年4月から1968年3月にかけて、「少年」(光文社)に連載され、1963年から1966年にかけてフジテレビ系で日本初の30分テレビアニメシリーズとしてアニメ化された。このアニメ第1作は平均視聴率27.4%を記録しその後、世界各地でも放映された。詳細は鉄腕アトム (アニメ第1作)の項目を参照。
後に『アトム大使』を『鉄腕アトム』の設定に擦り合わせて改変した『鉄腕アトム 大使の巻』として組み込まれるなど、本編がスピンオフに歩み寄る逆転現象が起きた。
1980年には日本テレビ系でカラー版の第2作目のアニメが制作され、さらに1作目と同じくフジテレビ系にて2003年に『ASTRO BOY 鉄腕アトム』として3回目のリメイクが放映、2009年にはCG映画『ATOM』が公開されている。
現在の日本のロボット工学者たちには幼少時代に『鉄腕アトム』に触れたことがロボット技術者を志すきっかけとなっている者も多く、日本のロボット技術の発展には本作が大きく貢献しているとされる。一方で、反原発派からは原子力の利用に対する現状との関係を批評・批判する書籍も出されている。なお、原作者は原子力発電を推奨する意図はないと述べている。
日付は「よ(4)こ(5)ちょう」(横町・横丁)と読む語呂合せから。
「横町の日」は、横町の温かさを大切にしようと命名されたとの情報があるが、制定した団体などは定かではない。
「横丁の日」は、東京都港区南青山に本社を置き、地域の魅力ある食材・料理を提供する個性的な店舗が集まった飲食施設「横丁」を展開する株式会社アスラボが制定し、2018年(平成30年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
アスラボの「横丁」は全ての飲食を一つの席で一度の会計で楽しむことができ、飲食店の人には少額資金での開業・出店が可能となるなどの特長がある。「横丁」を通じて地域の熱意ある起業家を支援し、地域経済を盛り上げることを目的としている。
リンク:アスラボ
横町・横丁について
横町とは、横丁とも書き、表通りから横へ入った町筋。また、その通りのことである。通りに商店や飲食店などが立ち並ぶ商店街のことを「~横丁」の形で呼ぶことがある。
東京・上野にある「アメヤ横丁」(通称:アメ横)や東京・吉祥寺にある「ハーモニカ横丁」(通称:ハモニカ横丁)などがある。また、北海道・札幌のすすきの地区にあるラーメン店街は「札幌ラーメン横丁」と呼ばれている。
1875年(明治8年)のこの日、明治天皇が水戸家の下屋敷を訪れた際に、お花見のお茶菓子として木村屋(現:木村屋總本店)の「あんパン」が出された。
明治初期、銀座の木村屋がパンを売り出しだが、日本人の口に馴染まずなかなか売れなかった。そこであんをつめて売ると、饅頭に似てしかも変わった風味だということで大ヒットした。
当時天皇の侍従をしていて「あんパン」好きであった山岡鉄舟は、木村屋の木村安兵衛に「これまでは京都の和菓子をお出しすることが多かったが、純日本製の「あんパン」をお出ししたらどうか」とアドバイスした。
木村安兵衛は、それまでの「あんパン」に工夫をこらし、日本を代表する花である八重桜の塩漬をいれた「桜あんパン」を開発した。天皇はこれをいたくお気に召し、木村屋の「あんパン」は皇室の御用達となった。その後、一般にも市販されるようになると、また大ヒットしたという。
記念日は、東京都江東区有明に本社を置き、各種パン・和菓子・洋菓子の製造・販売を行う株式会社木村屋總本店が制定。2001年(平成13年)に一般社団法人・日本記念日協会により認定・登録された。
悪意のない嘘をついてもよいとされる日。イギリスでは嘘をつける期限を正午までとする風習があるが、それ以外の地域では一日中行われる。
日本語では直訳の「四月馬鹿」や漢語的表現の「万愚節(ばんぐせつ)」ともいう。英語では「April Fools' Day」であり、「April fool」はその日にだまされた人を指す。「エイプリルフール」の起源は諸説あってはっきりしていない。
かつてヨーロッパでは3月25日を新年とし、4月1日まで春の祭りを開催していたが、1564年にフランスのシャルル9世が1月1日を新年とする暦を採用した。これに反対した人々が、4月1日を「嘘の新年」として馬鹿騒ぎするようになったのが由来とする説がある。
他にも、キリストが生前にユダヤ人に馬鹿にされたことを忘れないための行事という説もある。元々はヨーロッパの風習とされるが、インドが発祥という説もある。
インドにおいて悟りの修行は、3月20日頃の「春分」から3月末まで行われていたが、すぐに迷いが生じることから、4月1日を「揶揄節(やゆせつ)」と呼んでからかったことに由来する説である。
この説によると、インドの「揶揄節」が西洋に伝わったものが「エイプリルフール」、中国に伝わったものが「万愚節」になったとされる。
日本には江戸時代に中国から「万愚節」が伝わったという説や、大正時代に欧米の「エイプリルフール」が伝わったという説がある。現在の日本では一般的に「エイプリルフール」として市民生活の中に定着している。