チェックしていたモーツァルトの番組を見た。クラシック音楽の何を知っていると言うことはないけれど、ポピュラーなモーツアルトの曲を聞いていると(ポピュラーなものしか知らないので)その時の気分が反映されて少し楽になるように思う。「アマデウス」は別としてもいろいろな映画で使われているし、なじみが深いのでとてもいい番組だった。
子供にピアノやバイオリンを習わせてモーツァルトを下手でも聞いてみたいと思ったがバイオリンの方は「アイネクライネ」でやめてしまったし我が家には娘が結婚してからはピアノの陰もない。掃除は楽になったけどちょっと寂しい。
子供の頃、その頃は堀内敬三さんの解説で日曜の朝に「音楽の泉」を放送していた。今でも忘れなければセットしておいて聞くようにしているが、分からないなりに好きで聞いていると覚えるもので、たまにはゆっくりCDを聞こうかなと言う気分になる。転勤していた頃はどの都市でも身近に音響のいいよく整備されたホールがあり、オーケストラを招いたりしていたので聴きに行っていた。ここに帰ってからは、近畿圏には立派なホールがたくさんあるのに行く機会がない。新聞を見て行きたいと思うのだがなんだか億劫になってしまっている。
モーツァルトは今生誕250年で、話題になり子供の頃からの天才ぶりは有名だが、わずか35年の生涯で10年以上も就職活動の旅を続け、貧困と家庭の不幸に付き纏われ、天国と地獄を見るような生活を送った生涯を思うと、才能に恵まれた故の幸不幸を一途に音にしていくことが彼の出来るたった一つのことで、死後になってこんなに評価されることがひどく残酷なことのように思える。
人の評価は時代の環境によって変わるのだろうが本物を見分けることが出来る人でさえ当時は純粋に音楽だけを聞き分けることが出来なかったのだろう、奇矯と思われる言動も知られているが、それも何かを創造することだけに生きた人の持つ特性かもしれない。
出演者が「彼は神に愛された人だったんですね」「天国の記憶を生まれても持っていた人かもしれない」と言っていた。
神に愛されたとしても全能の神ではなくミューズの神だけに愛されていたのかもしれない、自分のためのように未完のレクイエムを残した生涯が美しい風景とともに紹介されたいい番組だった。
すぐに影響されるのでもっとCDを増やして聴こうと思い、ザルツブルグやウィーンの町を歩きたくなっている。