岸本さんのエッセイのことを知った。ちょうど「中二階」を2/3ほど読んで、梃子摺って居たので、コレを訳した人って、という好奇心が、やっぱりねと言う嬉しい納得。
「中二階」は1ポイント小さくした注釈が本文に挟まって、その短いのやら長いのやらの終わりまで読んでいると、前の文章の尻尾をやっと捕まえる、そうしているうちに何か気がそれて、読み終わらないままになっている。この面白い内容と形を岸本さんが訳したのか。そういえばウィンターソンも三冊読んだ、この訳もそうなのか、ぶっ飛んでいながら、なにしろ深くおもしろかった。
そこで岸本さん研究にまとめて三冊積んでみた。すぐに読んでしまったので記録をと思ったら。、どうも長くなりそうなので 一冊ずつにした。
面白くておかしくて、読んでいるとお腹の皮がひくひくしてくる。それが胸から喉元に来て、声に出たときは実にやばい。
翻訳中に文字が気になってくる「人間」、、人の間って?
身近なものに名前をつけて友達になる冒頭の「ニグ」
足踏み式のミシンを見つけその構造を探る「マシン」、、、「中二階」のホチキスやエスカレーターの詳細描写を思い出す。
ロープウエイが風呂だった、雄大な風景を見ながらすれ違う箱に手を振る。
「ちょんまげ」と「月代」考 殿様のはげ隠しに家来が倣ったのかも、と言うのがおかしい。わはは
「Don’t Drean]を訳さないといけないのに「コアラの鼻」が気になって、アレは湿っているのか、新幹線の先に似ていてどちらもねじれば外れるだろうか。云々かんぬん コレは最高!
「生きる」、、、新しいトイレットペーパーが来て積み上げようとした、ひとつだけ残っていたのが奥に押しやられそうになった、そのときの先住のトイレットペーパーの嘆き。
翻訳家になりたいと言う人に「とりあえず普通に」という。会社勤めの数々の失敗や笑えない悩み、コレは経験しておいたほうがいい、とりあえず。
事件のづきは何で判で押したように「むしゃくしゃして」なんだろう。尋問中の刑事は最後にむしゃくしゃしてと記入。犯人は「いや」「そのうむしゃくしゃして?」などと言葉に詰まったら、訳の判らないことを話しており、と記入。訳のわからない、そこのところが知りたくなる。
などなど、読んでいても脳みそのシナプスがあっちへへろへろ、こっちへへろへろ伸びて揺れて引っ付いて、現実が過去の思い出に通じたり行き詰ったり、よじれていても暖かい気持がふんわり膨らんだり。日ごろからの疑問の回答はこんな形でもよかったのかと深くうなずいたり。気持ちよくなったりちょっと変になったり、入ってしまったが出口に迷ったり。面白くてやめられない岸本言語。そして、とどめの一言で我に返ったり帰らなかったりする。