空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「ムーン・パレス」 ポール・オースター 柴田元幸訳 新潮文庫

2016-07-07 | 読書




マーコは18歳でニューヨークに出てきた。母は11歳の時、雪の日にトラックに轢かれて亡くなっていた。コ
ロンビア大学の一年生の時に、寮からアパートに引っ越し、シカゴの伯父が千冊以上もある本を餞別にくれた。父は最初から居なかった。 
伯父と住むようになったが、この伯父はクラリネット吹きだった、気持ちのお落ち着かない人で、何か始めると次々に頭に夢想、幻想が現れ、それに導かれて纏まらない暮らしをしていた。

トラック会社の補償金と伯父の援助で暮らせたが、伯父が旅先で亡くなり、本は伯父の気分やを写して脈絡もなく読んだ順に部屋に残った。生活は逼迫してきた。ひとつの箱を開けては、読んだ分から売りに行った。大学は伯父の願いだったのでやっと卒業する。


---伯父さんの過去に足を踏み入れるたびに、現実社会において物質的な変化がもたらされた。それらの変化の具体的な具体的な結果はいつも僕も目前にあった。逃れるすべはなかった。残存する箱の数と、消滅した箱の数の和は、つねに一定なのだ。部屋の中を見回すだけで、事態は否応なしに目に入ってきた。部屋は僕が置かれた状況を測定する機器のようなものだった。僕というものがどれだけ残っていて、どれだけなくなってしまったか。。ぼくはそうした変容の犯人にして目撃者であり、たった一人の劇場における観客だった。自分の四肢が切断されるのを、僕はつぶさに見届けることができた。自分自身が消えて行く過程に、逐一立ち会うことが出来た---


こうしてアパートも出て公園をさまよい、風邪で死の幻が見えてきたとき、友人のジンマーと中国人キティーに助けられる。

動けるようになってジンマーがくれた「パンセ」のペーパーバックだけを持って老人の付き添いになる。

ここからこの物語は実に奇妙な展開になる。下肢の動かない90も過ぎた枯れたような老人は、家政婦に言わせれば「あの脳みその中はいつも何かぐつぐつ煮えていて確かにちょっとおかしいひと」だそうだ。
変り種の導師としての、エフィング。世界の神秘へと招きいれようとするエフィング、エキセントリックな先達、身勝手と傲慢、意地悪爺さん、燃え尽きた瘋癲男、すさまじい罵倒の言葉。そんな老人に半ば惹かれ、自分をおさえながらこの仕事を最後までやりぬいた。告別用の参考だというので老人の一代記を聞く。彼の話はまるで「ほら吹き男爵の冒険」かと思えるほど、虚実の曖昧な波乱万丈の物語だった。盗人の上前をはねた莫大な資金を資金にして今も暮らしている。だが、どこかにいる息子を探したいと人並みの感情がわいていた。

探し当てた息子は、小さな大学で教える教授だったが、彼と親しくなった。
物語を書いていると言う。そして「ケプラーの血」という題名の原稿を送ってきた。居なくなった父から始まる不思議なSFで自伝の様なものだった。
彼と親しくなった経緯とその後は、まるで偶然が運命のように襲いかかる、怒涛のストーリーといえるかもしれない。
人の繋がりが全編を通して暗く哀しく、オースターの作品を読んでいて、この入れ子のように構築された物語が、ウソと現実が、曖昧な現実を越えると、そこに深い、単に生きていることの不思議だけが残る。

ジンマーがいう。
「君は夢想家だからなぁ」と彼は言った。「君の心は月にいってしまっておる。たぶんこれからもずっとそうだろう。きみには野心と言うものがないし、金にもまるで興味がない。芸術に入れ込むには哲学的過ぎるどうしたものかなぁ」

しかし彼は不思議な偶然は神秘的かもしれないが、何らかの必然が働くこともあると知ってしまった。
ユタから徒歩の旅に出て行く。
次第に不思議な世界に連れ去られるようで、一気に読んだが興味深く面白かった。

コメント
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