下北半島とのんびりオートバイ

下北半島をのんびりツーリングした記録。また、青森県内やその他の地区の旅の記録です。へたくそライダーの日記です。

父が永眠いたしました。

2020年03月06日 | つれづれ

初七日が終わりました。

享年94歳の大往生でした。
うちの奥さんが、介護をしてくれました。
 20年前に母を、そして、三年前から父を看てくれました。
 全く、頭が上がりません。
 父は、デイサービスやショートに行くと、なかなか人当たりがよく、職員の方々にも評判はよかった?(≧▽≦)
 
奧さんは、介護のために、自分の自由時間を捨てました。
毎日、1~2時間ごとに父の様子を看てくれました。
 もちろん、シモの世話も···。
 自分の親なのに、私は、「出来ませんでした···(😭)」(男はダメですよね。)
 



円通寺さんでのお通夜とお葬式。

コロナウイルスのせいもあり遠方の親せきは誰も参列できず、また、父の兄弟や親族がすでに亡くなっていたり、高齢で参列できない、ということで、わずか20数人だけのお通夜でした。
 
そのかわり、香典はたくさんの方々からいただきました。
ありがとうございました。
 
初めて、父の経歴を知りました。
日記があり、そこに、自分史がありました。
 
大湊海軍工作部、静岡浜名海兵団、大湊海兵団、横須賀海兵団、宮城県海軍火薬庁、など海軍畑を歴任?(海軍のたらい回し…かな)
主戦後はむつ電報電話局を退職(現在NTT)になりました。
 
穏やかに老後を過ごして、買い物、裁縫、好きな読書など楽しんでいました。
孫(娘)たちが帰省してくると、思いっきりの笑顔で、お小遣いをあげていました。
孫(娘)の願いは5年間かなえられました。
認知症を患ったときは、義姉(60数歳の妙齢)にまで、お小遣いをあげようとして、慌てて止めました。(笑い)
 
92歳という大往生でした。
その日、病院の先生と「看取り介護」の話し合いがありました。
治療や手術をしても、ただ苦しめるだけだと。また延命治療をしても、助かる可能性は低い、と。
安らかに、母の元(父の妻)に逝かせてほしい、と伝えました。
 
そのあと、面会しましたが、やはり息があがってきていました。意識ももうろうとしていました。
 
その2時間後、施設から電話があり、「呼吸が停止しています」・・・。
駆けつけてみると、安らかな寝顔?
 
看護師さんが、説明してくれましたが、実は、死んだのが信じられず、つい「あれ、死んでいるんですか?」と訊ねてしまいました。(泣き)
 
それだけ、寝顔と間違えるくらい安らかでした。苦痛にゆがんだ顔では、なかったのが幸いでした。
 
父との思い出は、あまりないものの、これで母・父を亡くした寂しさを痛烈に感じています。
「笑顔がかわいい」(和尚様)、「素敵な笑顔でした」(施設の職員さん)という言葉に救われています。
 
 
さようなら。あの世でまた息子にしてください。
 
 
コメント (2)
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