Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(57)

2013-11-12 00:30:00 | コラム
うぉーげー「む」→「む」らきと、なみ(村木と名美)

自分が終生の愛読書とする漱石の『それから』は・・・
「『三四郎』の“それからの物語”だから『それから』と名づけた」―というのは、漱石自身による説明。

だから三四郎/代助とキャラクター名はちがっても、同一人物と解釈して読んでもらってもかまわない、、、という意味なのだと思う。

つづく『門』をあわせて『三四郎』三部作とされているのだから、つまり『門』の宗助は『それから』の代助の「それから」ということになる。


それとは逆に、キャラクター名は同じでも同一人物による物語ではないものがある。
その代表が、チャップリンの映画だろう。

チャップリン自身が演じるキャラクターは、ほとんどがチャーリーと名づけられている。

工員チャーリー、浮浪者チャーリー、床屋のチャーリー・・・という具合に。


同一人物と捉えられるけれども、どっちかな、ちがうのかな―と思わせるのが、『用心棒』(61)とその姉妹編『椿三十郎』(62)。

主人公(三船)は名を尋ねられ“どちらの作品でも”、「○○三十郎、もうすぐ四十郎だがな」と答えている。
情に厚いところ、剣さばきからして同一人物だとは思うが、「そんなこと考えずに楽しんでくれよ」と黒澤に怒られそうである。


キャラクター名は同じ。
哀しい過去や、現在の境遇も似ている。
けれども、同一人物ではない―という物語を描き続けた映画監督・劇画家が居る。

石井隆―不衛生だった撮影所の環境で身体を壊し、一時期は映画監督をあきらめていたエロスの雄である。

石井は70年代から90年代にかけて、村木(男)と名美(女)の物語を紡いだ。

堕ちていく女の凄み、それゆえの輝き。
そんな女を守り抜こうとする男の強さと悲哀。

現在も杉本彩や壇蜜という「強烈な個性」と出会ったことにより快作を発表し続ける映画監督・石井隆の「第一次」隆盛期は、90年代前半に訪れた。


永瀬正敏(しかし、村木というキャラクター名ではない)と大竹しのぶ(名美)が室田日出男(名美の旦那)を殺害しようとする『死んでもいい』(92)、

代行屋を演じる竹中直人(村木)と、村木に恋人になってくれと依頼する余貴美子(名美)の関係がスリリングな『ヌードの夜』(93)、

そして石井映画の頂点だと思われる、94年の『夜がまた来る』。

この映画では村木を根津甚八が、名美を夏川結衣が演じ、結衣様があまりにも脱ぎっぷりがいいので、初めはAVのひとかな・・・と思ったほどだった。


石井隆は風貌と作風から、(スコセッシ同様)なんとなく冗談が通じなさそうな男に見える。
しかし、案外そうでもないかもな・・・と思ったのは、自作『GONIN』(95)で、横山めぐみが演じるタイ人ホステスのキャラクター名を「ナミィ」にしたこと。

彼女が「ナミィ」であることが分かったとき、石井ファンは劇場でニヤリとしたはずである。

なんだこのオッサン、ファンサービス出来るのか! って。


にっかつの血は引くものの、ロマンポルノとは感触が「なんとなく」ちがう。

複数ではなく、絶対にひとりで劇場に―シネコンではないことはもちろん、洒落たミニシアターでもなく、場末も場末、古くて少し臭い劇場にこそ似合う石井隆の映画・・・たまには、そういう映画体験もどうですか。


※19歳の夏―主婦と不倫していた専門学校の先輩が「お前にはこの物語、理解出来ないだろうな」といってきて、なんとなく腹が立った





あすのしりとりは・・・
むらきと、な「み」→「み」ら

…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(58)』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする