Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

みんな好きだ!!

2016-05-28 00:10:00 | コラム
久し振りに顔を拝めたSTAP小保ちゃんの、あまりの変わりように慄いた。



顔が変わったというより、痩せ過ぎて顔と身体のバランスが悪くなっている。
純白のワンピースという衣装は満点だが、ちょっとギスギス感が強くなった。

以前からいっているように、STAPどうこうは置いておいて、自分は女子として小保ちゃんが好きだ。

好きだという弱み? も手伝ってか、オリラジあっちゃんのように「あざとい」だとか「したたか」だとかいう攻撃・口撃は出来ない。

というか、生きるために「あざとさ」「したたかさ」は必要なものだと思っているから、それがどうした? みたいな感覚もあって。

そもそも自分が脛に傷を持ち過ぎている、クリーンとは「ほど遠い」人間なので、ワイセツ東大生や見るからに危ないアイドル襲撃男に対しては口汚く罵ることも出来るが、そうでないものの「いちどきりの躓き」に対し、ナンヤカンヤアアダコウダいえる資格さえないと思っている。

そういや、最近叩かれているひと、みんな好きだよ自分は。

ベッキーも。
矢口真里も。

都知事は・・・微妙だが。

ベッキーに関して、いろんなひとがいろんな角度からコメントしているが、個人的に自分が最もしっくりきたのは「今後、彼女を性的な目で見てしまう」といったバカリズムかな。

すげー分かるなと。

芸能人の、ありとあらゆることを「楽しみたい」といったのは松尾スズキだが、自分もこの感覚にちかい。

その程度で、いいと思うんだよね。


過剰なバッシング現象を憂い、「いつから日本は、こんなになった?」というひとも多い。
ネット文化と無関係でないことは明らかだが、それが顕著になったのは朝青龍と亀田三兄弟(主に、長男次男)、そして秋山成勲が「やらかした」あたりが始点のような気がする。

約10年前の話。
そう彼らは偶然か必然か、同じころに「やらかして」、同じように叩かれたのだった。




朝青龍は、ふてぶてしいものの、実際に強かったわけだし、自分はなんとも思わなかった。

亀田くんに関しては、まぁ演出であろうことは理解出来たけれども、考えかたが「昭和に過ぎて」ついていけないところはあった。
誤解を受け易い競技ゆえ、王者であれば王者らしい振る舞いをしてほしかったというところはある。
(まぁ朝青龍にも、いえることだと思うけれど)

だから好きか嫌いかでいえば「嫌い」だが、「まぁこういうのも居るよな」みたいな感覚で流すことは出来た。

出来なかったのは、秋山くらいか。
自分が尊敬する桜庭さんを傷つけたというのが最大の理由だが、誰が対戦相手であれ、ガチンコの勝負にオイルを塗りたくって臨んだのだからね、批判は免れないだろう。

自分も、当時のブログで散々罵った記憶がある。

つまりあれだ、なんでもそうだと思うが、自分が専門としていることや関わっていること、真に興味を抱いて熱心に追いかけてきたものには、それ相応の情熱を持って賛辞を送るなり酷評することは出来るけれど、それ以外に関しては、そうは褒められない怒れないのではないか、、、と。
(朝青龍と、亀田くんへの感情の差異は、そこから生じていると思う)

みんながみんな、あらゆる分野のコメンテーターになる必要はない。

でもそこにツールがあれば使いたくなるものだし、叩き易かったので乗っかってみよう・・・という行動原理も分かるっちゃあ、分かる。


自分に対する友人からのメールは、大抵が「あの格闘家、引退だってね」とか「この映画、どう?」とか「あのAV、どう?」という質問で。
自称しているから当然だが、映画と格闘技とAVに精通していると見られている。
つまりコメンテーターになっていいのは、このジャンルのみで、あとは外側から軽く楽しむというのが理想的なんだと思う。
(政治に関しては、納税して選挙で投票していれば、誰もがアアダコウダいっていいものだろうけれど)

ゆえに、STAPは知らないが小保ちゃんは好き、ベッキーも矢口真里も性的な意味で「あり。」としかコメントしない。

その程度の男だし、それ以上のことをやると、自分自身が楽しめないと思うんだけれどなぁ、、、皆さんはどうですか。

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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(174)』
コメント (1)
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