とにーもんた「な」→「な」つめそうせき
いちばん好きな作家を問われ「漱石!」と大声で即答すると、「えー、ふつう過ぎて意外!!」なんていわれることがある。
うるせー、それのなにが悪い。
というか、大抵はそういうひとって漱石をイメージだけで語り、きっちり読んでいなかったりするもので。
読んでいたとしても、国語の教科書に載る「抜粋」程度でしょう。
終生の愛読書『それから』(の、結末)が到達した視覚的描写、これを超える小説技法に出会ってないですもん、いま現在も。
(・・・まぁ、いうほど自分も、いわゆる「本読み」ではないのだけれどもね!!)
さて。
漱石と映画は、相性が悪いようでいて、まぁまあ映画化されている。
なかでも『坊っちゃん』は4度も映画化(53年・58年・66年・77年)された人気作だが、
そのどれも成功作とはいえないのが残念!!(^^;)
なんかね、みんな行儀がいいんですよ結局。もっと闇雲でいい、無茶苦茶でいいはずなのに。
いま、センスある監督が『グッドフェローズ』(90)のスピード感を参考にして撮れば、そーとー面白くなるはずなのだが。
もうひとつの代表作、『吾輩は猫である』は35年に山本嘉次郎が、75年に市川崑が監督。
市川版では苦沙弥先生を仲代達矢が演じ、猫ちゃんも(まぁ)好演、
ただ市川映画としては(技術以外)見るべきところはなく、忘れられた作品のひとつといっていいかもしれない。
つまりは『ベイブ』(95)みたいな創りだからね、これまた現代の技術やセンスで撮り直せば、あるいは・・・。
市川崑は55年に『こころ』も『こゝろ』として映画化、73年には新藤兼人も『心』として発表。
誠実な創りではあるものの、三角関係モノの映画としては弱い。
2007年に連作短編『夢十夜』が、『ユメ十夜』となって発表されたのには驚いた。
実相寺昭雄や市川崑などの巨匠、松尾スズキや山下敦弘、西川美和などの俊英によるオムニバスだが、ここでは実相寺さんのケレンが群を抜いて素晴らしかった。
いつも思うがオムニバスって面白い試みで沢山創られる理由も分かるのだけれど、「そのすべて」がうまくいっているケースって稀なのよね。
ここで失敗した監督は、単独で演出した作品がコケるのよりもショックが大きいことだろう。
結局、成功したといえるのは天才モリタの『それから』(85)のみ。
代助役の松田優作、三千代役の藤谷美和子、平岡役の小林薫という完璧なキャスティング。
明治時代の歴史考証を「そこまで重要視」しなかったモリタの狙い、ここも素晴らしかった。
ただね、それでも多少の文句はあって。
それは前述した、結末の描写。
この赤い描写を映像にしてこそ、『それから』を映画にする意味があるのではないか??と思うのだよなぁ!!
というわけで、青空文庫より結末を引用して終わりにします。
…………………………………………
代助は車のなかで、「あゝ動うごく。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云つた。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従つて火の様に焙つて来た。是で半日乗り続つゞけたら焼き尽す事が出来るだらうと思つた。
忽ち赤い郵便筒が眼に付ついた。すると其赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣してあつた。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあつた。電車が急に角を曲がるとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはつと電車と摺れ違ふとき、又代助の頭の中に吸ひ込まれた。烟草屋の暖簾が赤かつた。売出しの旗も赤かつた。電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になつた。さうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗つて行かうと決心した。
…………………………………………
あすのしりとりは・・・
なつめそうせ「き」→「き」しべいっとく。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(464)』
いちばん好きな作家を問われ「漱石!」と大声で即答すると、「えー、ふつう過ぎて意外!!」なんていわれることがある。
うるせー、それのなにが悪い。
というか、大抵はそういうひとって漱石をイメージだけで語り、きっちり読んでいなかったりするもので。
読んでいたとしても、国語の教科書に載る「抜粋」程度でしょう。
終生の愛読書『それから』(の、結末)が到達した視覚的描写、これを超える小説技法に出会ってないですもん、いま現在も。
(・・・まぁ、いうほど自分も、いわゆる「本読み」ではないのだけれどもね!!)
さて。
漱石と映画は、相性が悪いようでいて、まぁまあ映画化されている。
なかでも『坊っちゃん』は4度も映画化(53年・58年・66年・77年)された人気作だが、
そのどれも成功作とはいえないのが残念!!(^^;)
なんかね、みんな行儀がいいんですよ結局。もっと闇雲でいい、無茶苦茶でいいはずなのに。
いま、センスある監督が『グッドフェローズ』(90)のスピード感を参考にして撮れば、そーとー面白くなるはずなのだが。
もうひとつの代表作、『吾輩は猫である』は35年に山本嘉次郎が、75年に市川崑が監督。
市川版では苦沙弥先生を仲代達矢が演じ、猫ちゃんも(まぁ)好演、
ただ市川映画としては(技術以外)見るべきところはなく、忘れられた作品のひとつといっていいかもしれない。
つまりは『ベイブ』(95)みたいな創りだからね、これまた現代の技術やセンスで撮り直せば、あるいは・・・。
市川崑は55年に『こころ』も『こゝろ』として映画化、73年には新藤兼人も『心』として発表。
誠実な創りではあるものの、三角関係モノの映画としては弱い。
2007年に連作短編『夢十夜』が、『ユメ十夜』となって発表されたのには驚いた。
実相寺昭雄や市川崑などの巨匠、松尾スズキや山下敦弘、西川美和などの俊英によるオムニバスだが、ここでは実相寺さんのケレンが群を抜いて素晴らしかった。
いつも思うがオムニバスって面白い試みで沢山創られる理由も分かるのだけれど、「そのすべて」がうまくいっているケースって稀なのよね。
ここで失敗した監督は、単独で演出した作品がコケるのよりもショックが大きいことだろう。
結局、成功したといえるのは天才モリタの『それから』(85)のみ。
代助役の松田優作、三千代役の藤谷美和子、平岡役の小林薫という完璧なキャスティング。
明治時代の歴史考証を「そこまで重要視」しなかったモリタの狙い、ここも素晴らしかった。
ただね、それでも多少の文句はあって。
それは前述した、結末の描写。
この赤い描写を映像にしてこそ、『それから』を映画にする意味があるのではないか??と思うのだよなぁ!!
というわけで、青空文庫より結末を引用して終わりにします。
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代助は車のなかで、「あゝ動うごく。世の中が動く」と傍の人に聞える様に云つた。彼の頭は電車の速力を以て回転し出した。回転するに従つて火の様に焙つて来た。是で半日乗り続つゞけたら焼き尽す事が出来るだらうと思つた。
忽ち赤い郵便筒が眼に付ついた。すると其赤い色が忽ち代助の頭の中に飛び込んで、くるくると回転し始めた。傘屋の看板に、赤い蝙蝠傘を四つ重ねて高く釣してあつた。傘の色が、又代助の頭に飛び込んで、くるくると渦を捲いた。四つ角に、大きい真赤な風船玉を売つてるものがあつた。電車が急に角を曲がるとき、風船玉は追懸て来て、代助の頭に飛び付いた。小包郵便を載せた赤い車がはつと電車と摺れ違ふとき、又代助の頭の中に吸ひ込まれた。烟草屋の暖簾が赤かつた。売出しの旗も赤かつた。電柱が赤かつた。赤ペンキの看板がそれから、それへと続いた。仕舞には世の中が真赤になつた。さうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと焔の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きる迄電車に乗つて行かうと決心した。
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あすのしりとりは・・・
なつめそうせ「き」→「き」しべいっとく。
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(464)』