UNA GIORNATA ORDINARIA

こんなわたしのありふれた一日

被爆電車に乗って。

2015年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

今年は、広島に原爆が落とされて70年となる年で、NHKなどでも特集番組を放送しているが、TBS系列の地元放送局RCCが広島電鉄とコラボして、当時広島の街で市民の足となっていた市内電車をもう一度走らせている。

今、市内を走っている電車は、スマートで車高が低く乗りやすく音も静かな車両が多い。

高校生の時には毎日通学で乗ったものだが、満員なので入口の階段の所にでも入り込んで乗ったこともあった。床も木製、椅子は別珍のような緑色の生地で、当時はエアコンはなく、暑い夏には窓全開だったような記憶がある。

さて、今回のこの企画は戦前、広島の街を走っていた電車は何色だったのか、というところから始まったようだ。

現在でも見られる古いタイプの電車は、グリーンとベージュのツートンカラーが多いように思うが、戦前は違っていたようだ。

だが戦後70年も経ち、当時の電車のことを記憶している人が僅かになっているし、残っている写真は白黒で、何色だったのかが分からない。

そして、被曝した電車をレストアしていたら下から青い色の層が出てきて問題解決、そして被爆電車は完成した。

この電車に乗るためには予約が要り、8月までの週末のみ、一日2回の運行と知って慌ててインターネットで予約したら、ご丁寧に速達で「乗車証」なるものが送付された。

広島駅前から西広島駅前、そして折り返し広島駅前まで、途中乗り降りなしで一人500円。

6月28日、日曜日、朝10時30分、広島駅を出発進行。

車内は、当時の電車を再現して木製の床や建具、真新しいのだが雰囲気はある。

電車の運転も昔のタイプ。聞けば、このタイプはまだ今でも走っているそうだ。

各所に大型テレビが配置され、この企画の説明や被曝当時の映像などが説明されていて、見入ってしまった。

車窓から見える景色は見慣れた広島の街なのだが、ここだけ異空間のような気がする。

通常のルートを通っているので、停留所や道の所々では記念に収めようとカメラを向ける人も多く、特に相生橋付近では原爆ドームと一緒に写せるであろう場所に大型のカメラを構えた大勢の人が待ち構えていた。

西広島駅に到着したのは11時ちょっと過ぎで、安いけどゆっくりで有名な電車は誰も乗せなければ30分でここまで来れるんだと実感。

ここで10分少々の休憩ですと言われ外へ出た。

夫が「写真を撮ってあげる」というので電車の前でポーズをとっていたら、若い男性に声をかけられている。

スマホである。

きっとさわったこともないであろう、「撮れるんかいな?」と思いながら近づいたら、英語で何やら会話中。

外人さんなの?

聞けば香港から広島に来ているとのことで、電車と歴史に興味があって乗ってみたんだそう。

20年前に行きました、とか憶えている香港の街の名前、昔の空港のことなど夫と一緒になって話したら「11歳でした」と言われた。

帰りも同じルートを戻り、広島駅に着いたのが12時。

昔の停留所などが記載された地図をお土産にもらって電車を降りた。

香港の「彼」にもバイバイした。

現在に戻された気分になった。

 


人生初の田植え、5月22日。

2015年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

いつも買う広島県産のお米のキャンペーンに応募したら、品物は当たらなかったが無料で「田植えに参加しませんか?」の案内があり、そういえば今まで田んぼに入ったこともなければ苗を触ったこともないことに気付き、階下に住む仲良しの奥サンを誘って参加した。

いくらバスで連れて行ってくれるとはいえ、県北の神石高原町までは遠い。素人対象の企画だからそんなにたいそうなことではないと思っていたが、田の中へは裸足で入っていただきます、とか念のため着替えもお持ちください、タオルや日よけ、飲み水は忘れずになんて言われ、前日まで彼女と会うたびにあれこれ想像しながら打ち合わせ。お互い50を過ぎての初体験にドキドキ。

当日は、ラッキーなことに曇り空。集合場所の広島駅へ行くと、小さな子供を連れた若い夫婦がほとんどで、今の若い親たちに彼女と感心した。農協の担当者を入れた総勢約40名。

8時半出発、山陽道を福山まで進み、そこからは山道をうねうね、11時過ぎに町のコミュニティーセンターに到着、荷物を置き、靴を脱ぎサンダルになってもう一度バスに乗り込み、いざ田んぼへ。

ほとんど田植は終わっていたが、そこだけが何も植わっていない田んぼがあり、思っていた以上に広い。

「皆さん、入ってくださ~い」と促され、しかし裸足で田へ入るのにかなりドキドキしたのだ。何せ初めてだし、意外に深く脛の真ん中くらいまである。

地区の担当者が両方から目印が付いたヒモを張り、そこにみんな一列に並んで、目印のところにもらった苗を3本ずつくらい植えていくのだ。

苗なんて初めて見た。濃い緑色が美しく、意外と細い。

泥の中に植えるのも、ぐっと差し込まないと倒れるし、ところどころ泥のないところもあったりして、初めのうちは苦労した。地元のおばちゃんたちが、「こうよ、こう」と身振り手振りで植え方をあぜ道から指示してくれてだんだん上手になった気に。

前へ前へとヒモは進み振り返ると、おお、なかなかの植え具合!と彼女と感激したり、とか言っているとあっちの方で子供がひっくり返って泥まみれ、おっと自分も危ない、あら今度はこっちの子、なんていう風に楽しく、約1時間半、およそ200坪くらいの田植えが終わった。

田の水は冷たかったが、前日までの好天気に泥は生温かく冷えることはなかったが、さて終わって田の周りにごうごうと流れている小さな水路に足を入れたらなんと冷たいこと。足を洗うなんて出来ないくらいで出たり入ったり。聞くと、この水は山からの水で飲めるそうだ、そりゃそうだ、この後この水を田に入れるわけだから。

さっきのセンターへ戻ったら、町のおばちゃんたちお手製のお昼。

お昼はとうに13時過ぎでお腹ペコペコ、まずはおにぎり、そして筍の木の芽和えや名産のこんにゃく料理、ホウレンソウの和え物、けんちん汁をご馳走になったがどれもすごくオイシイ。

そしてお土産にホウレンソウとラディッシュをたくさんもらい、再びバスに揺られて広島駅に到着17時過ぎ。

「明日疲れが出てくるヨ~」と帰りにおばちゃん達に言われた通り、翌日はぐったり・・・。

秋にはぜひ収穫もしたいものだ。

 


ゴールデンウィーク2015

2015年05月07日 | 日記・エッセイ・コラム

待ち遠しかったゴールデンウィークは終わり、今日から「通常業務」となった。

今年は、夫の休みが飛び石で、遠出はせず近場でお金も使わずの地味な連休だったが、それでも毎日面白く過ごした。

26日は呉へ開催中の「魯山人展」を見に行った。

これまで色々見たが、この方の器は料理を元に作られているから、お皿にしても壺にしても実際に使ってみたいと思ってしまう。

朝早くJRを乗り継ぎ開館と同時に入って見て、今度はてくてく歩いて「長迫公園」へ。

夫が以前仕事中に見つけたすごいところに連れて行ってくれると言う。

そこは一見斜面の下のただの公園だが、その斜面にはなんと90以上の旧帝国海軍の慰霊碑がずらりと並ぶ。

「大和」「三笠」「伊勢」など、大きな石の慰霊碑にはずらりと名前が彫られ、花も手向けられている。

一番上に登ると、眼下には呉港を眺め、ここにある理由が分かる気がする。

潜水艦の慰霊碑「伊○○」とあるのもたくさんある。

この公園の脇には小さな建物があって、そこはこの保存会が資料館としてたくさんの写真や資料を展示し、ボランティアの方が常駐し説明をされているようだ。

中に入ると年配の男性がとつとつと船の説明をされた。

夫は広島の生まれで、軍港だった昔に興味があり、かなり詳しく、その人も驚いていた。

有名な大和ミュージアムは以前行ったことがあるので今回は入らず、そのまま海へ出た。

デッキ状になっているのは、実寸の大和の甲板だということで、どれだけ大きかったのか驚くばかり。

広島も軍港だったが原爆で何も残っていないし街並みもすっかり変わってしまった。

呉にはまだ昭和の香り残るところがたくさんあり、住んだこともないのになぜか懐かしい気持ちになれるのである。

 


勝沼のワイン。

2015年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

まだ30代で若かった頃、転勤で神奈川にいた友人宅へ遊びに行くことになり、真夜中の高速を寝ずして行ったことがあった。

その友人の奥さんは甲府に実家があり、そのときちょうど4月の夫の誕生日で、これまた「信玄公祭り」があるから行こうということになり中央道を飛ばして行くと、あたりは桃が満開で眠気が吹っ飛んだことを憶えている。

甲府に着いて、のこのことそのご実家に上がり、お祭りのご馳走を頂いたとき、お宅にたくさんワインの一升瓶があった。

さすが、日本のワイン処、日本酒並みなんだと感心したのだが、その味は爽やかで日本のワインも捨てたものじゃないと思ったものだ。

今月、今は関西に住むその友人の車の調子が悪く、広島に来た。

誕生日を憶えていてくれたのかどうか、「ほい」と手渡してくれたのが、その一升瓶ワイン。

 

夫は、甲府以降、彼に「甲府の人が飲んでいるようなワインがほしい」と言っていたようである。

栓を開けるのも日本酒同様、瓶ごとグラスに注ぐのはなんだかすごく呑兵衛のようで、デキャンタに移してみるのだが、飲み口が爽やかで料理と合わせると甘みが出て旨い。

だからあっという間にデキャンタはカラになる。

こんなにあってもあっという間になくなりそうだ。

昨夜はブリをニンニクとオリーブオイルで塩焼にし、バルサミコを少々。

豚バラと大豆のトマト煮も。

おいしいお酒があると献立も華やかになるものだ。


梅を見に行く。

2015年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム

3月に入り、だいぶ日が長くなったものの、暖かい、寒いが交互に訪れ身体が対応するのが大変である。

今日も朝から冷たかったが、もうそろそろ梅林公園の梅が見ごろなのではと出かけた。

もう少し、といったところか。

よく咲いているのは数本の木で、全然なのもあった。

昨年、一昨年の記事をみると、2月にはもう梅を見にいっているではないか。

今年は寒い、と夫が言うはずである。

今週末は気温が少し高くなるようで、これで一気に花開いてくれることだろう。