goo blog サービス終了のお知らせ 

UNA GIORNATA ORDINARIA

こんなわたしのありふれた一日

8月6日に思う。

2015年08月06日 | 日記

昭和20年8月6日、広島に原子爆弾がアメリカによって落とされて、今年で70年となる。

毎年参加しているわけではないが、区切りの年だし、これまで最後まで式典を見たことがなかったので行ったのである。

会場となる平和公園の芝生に、今年から仮説の屋根が付くことになった。

もしかしたらそこに座れるか?などど思った方が間違いで、そこへいくことすらできないくらいの人、人、人。

警察や市の職員がロープで中に入れないよう仕切るところに陣取る。

それでも次から次に人が寄ってきてすし詰め状態。

そういえば平和公園に入ったとき「冷たいおしぼり」配ってたなぁ、などど悔やみながら、ボーイスカウトの子たちからもらった今日の式典のパンフに目を通す。

「これで折鶴をお願いします」と一枚の青い折り紙が挟まれており、立って折り紙。

横の青年たちは、外国人。その向こうも外国のファミリーで、みな短パン、サンダル。でも、えらいなぁ、よその国のこういう式典に参加しようと思うんだから。

30分くらい待って、式典開始8時ちょうど。

市長をはじめとする献花が始まり、いよいよ8時15分の黙とう。

平和の鐘とセミの鳴き声で時が止まったかのようだった。

広島市長の平和宣言、放鳩、こどもたちの平和の誓い、そして総理大臣のあいさつ。

話しはじめると同時に「帰れ~!」の声があちらこちらから上がりつづけ、もう少し遠いところからはデモなのか大きな叫び声がしている。

今日は原爆が落とされた日。

いくら戦争とはいえ、こんな酷い武器を一般市民に向けたアメリカに言うならともかく、同じ国民でありながら気持ちが分かり合えないでいる現状が情けなくてならない。

日本の国民として、広島の市民としての責任。

それは、これからも絶対に戦争をしないことであり、その姿勢をアジアの国々に見せていかなければならないということ。

そういう態度なら、戦争の経験の無い若者にも出来ることだろう。

平和、平和と声高に叫ぶだけでなく、真の歴史を学び真摯な姿を見せて賢い国になってほしいと思うのだ。

実はこれは、現在のドイツの平和教育の実情を見てのことで、ドイツでは学校で挙手するとき、レストランで給仕を呼ぶときも上に真っ直ぐ手を上げてはならないんだそうだ。

そういう姿勢をあらゆる面に見せないといけないらしいのだ。

戦争責任のない子供たちまでもが、学校で人差し指だけの挙手をしている。

日本でこういうことが出来れば、「君が代」や「日の丸」は素直な気持ちで歌い見上げることが出来るだろう。