スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

インド駆け足の旅

2012年02月03日 | Weblog
1月の銭明日ブログ登場が一度きりであった、何故か最近熱が入らなくなってきている。
自分史の様な、独り言の様な、戯言の様なものと捉えているが
加齢と共に日々の生業に刺激が薄くなって来ていることが影響しているのだろう。
1月ブログも続編を書こうと“つづく”にしておいたが、もうそんなムードでもない厳寒の2月になってしまった。

我が社の創立記念日は2月17日に設定してある。
今年40周年という節目の年にあたるが、その記念イベントとして旅行を企画した。
震災後と言う事で躊躇もあったが、我々にできる県土への応援は会社が元気である姿だと思っている。
元気さを伝播する会社も必要だろう。
そんな次第で先発の一班として1月末にインド(正確には北インド)を駆け足で巡って見た。


世界遺産 クトウプ・ミナール 光塔(デリー市郊外)
ヒンディとイスラムの様式が入り混じった、インド最高の塔


世界遺産 クトゥプ・ミナール(第一班記念写真)
デリー市郊外 イスラム寺院遺跡(1198年頃の作)

人口13億、国土面積は日本の10倍。
南アジアの中心という事からしても、数日の滞在では何ともならない。
世界4大文明発祥の地であり、宗教はヒンドゥ教。
インドカレーが有名なくらいは聞いてはいたが、殆どは知識がない。

エキゾチック、魑魅魍魎、西遊記、サリー、魔法使い、ヨガ、ぞくぞくする美女、今はIT。
そう言えば昔タイガー・ジェット・シンと言う悪役の強いプロレスラーが居たな~、旧過ぎかな(●^o^●)


霧の中のタージ・マハル廟(アグラ城からの眺望)

成田からインドまで10時間かかる。
盛岡からバスで夜中の0時に発ち、デリーのホテルに着いたのは翌日の20時(時差3時間半)ほぼ一昼夜の片道である。
自分としては20年ほど前に行ったブラジル以来の長旅であった。
この歳ではいささか堪えた。(+o+)

世界の宗教シェアはキリストが33%、イスラムが17%、ヒンドゥが13%、仏教が6%とネットにあった。
然しインドでは70%がヒンドゥだそうである、そして仏教はヒンドゥを祖にした新興宗教であるそうだ。

インドには世界遺産が文化遺産と自然遺産を合わせて27件もあるようだ。
超有名なタージ・マハルを代表に今回4か所廻ったが、タージ・マハルはイスラムのモスク(礼拝堂)であったとは!


世界遺産 タージ・マハル廟(北インド アグラ市)
第五皇帝シャー・シャハーンが亡き愛妃の為に建設した大理石廟(1630年頃の作)


世界遺産 タージ・マハル廟(第一班記念写真)

今回の観光にはヒンドゥ世界遺産はなかったが、デリーのヒンドゥ寺院にも足を踏み入れた。
何とも奇異で明るい神様方が多くいた。
素朴な仏教寺院に慣れ親しんでいる身には正直馴染めない。
極楽浄土とはとても思えない神々のいでたちである。
信者はほぼこの国だけであるそうだから、不思議な宗教である。


世界遺産 フマーユーン廟(デリー市郊外)
ムガル帝国の廟建築の原型を示す(1565年頃の作)


世界遺産 フマーユーン廟(第一班記念写真)
デリー市郊外 イスラム寺院遺跡(1198年頃の作)

この国の近代化へのインフラ整備は始まったばかりのようである。
農村部の風景はと言えば牛や家畜が堂々と道路を横行している。



特に牛は母なるものとして大事にされているし、牛糞を加工したものがこの国では日々の煮炊き燃料であるようだ。
牛糞は身近に手に入るクリーンエネルギー?のバイオマスというところで、13億のエネルギー源にはこの先も必要なものではなかろうかと思った。
農村部はのんびりと時間が流れている感じで、40~50年前の日本の生活模様を思い出させる。


世界遺産 タージ・マハル廟の巡礼者

反面首都デリーの町はビルが乱立し建築中の建物も多く、人口が1300万人とあった。
喧騒とした車の洪水で高速道路の出口ゲートを見ただけでも20個くらいはあり、交通渋滞が半端じゃない大都会である。

近未来に世界一の人口になるこのインドはリーダー次第ではあろうが
信仰深くて優秀で勤勉な国民が、いずれ降りかかるであろう宗教による争いをうまく調和して
宗教を心のよりどころにした、ゆっくり緩やかな成長を国づくりの基本にして
限りなく高いポテンシャルの魅力ある大国として世界の中心を目指して貰いたいものである。
大いに期待できる。

人懐っこいインド人(特に若い女性)と多種多様なカリーの味が忘れられない。アルビダ!


<銭明日二世こと菅村経悦>
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