スピンオフ銭明日編集長

モットーは"年を重ねる毎に幸せになる"銭明日編集長の日記

風水学

2020年03月27日 | Weblog
  自分が起業して10年近く経ち、盛岡バイパス北の上堂ってとこに事務所を移転し、29年ほどお世話になった。
 その頃の中心商業地区は盛岡駅〜盛岡城周辺であり、郊外のこの地域はまだ日の当たらない地区であったが、盛岡を代表する会社やDIYホームセンターや遊技施設が張り付いて"上堂安倍館振興会"組織もあり、盛岡のラスベガスとして会員も多くて徐々に活況を呈し始めていた。


 会社寿命30年説と言うが、どんな業種でも永遠ではない、それは取扱い商材やお客様の事情もあるが、多重債務や経営者の不慮の事故による場合もある。
  29年(自分社長22年、2代目社長7年)で自社事務所がありながら、この地区を去ろうとしたのには、それなりの思いがあった。


 
  社長の自殺死や突然死、社長の病死、老舗企業の倒産、暴力団に関係する倒産、スーパーや開業医の閉鎖、等々がこの地域で相次いだ時期があった。
 この地区は十一世紀の史実「前九年の役」の主戦場である。大和朝廷に滅ぼされた、安倍一族の最後の戦さ場、厨川の柵がある。


 平泉に繋がる地元の豪族、安倍一族の無念が眠るこの地区は、本当の地名は上堂ではなく、神道ではないかと判断し、風水学によって移転したのは今から13年前であった。
                                               =おわり=