昭和も前と後、世代では考えも生き方も違うように思う、自分らの前世代生まれの人間にとって、家庭を構える結婚式って、昭和一桁の式たりを引きずり相当意味深く重い人生行事であった。
彼から招待状を受けた当時のことの記憶は薄れて思い出せないが、自分は何故か欠席してしまう。大事な大好きな親友の晴れ舞台を反故にし、祝辞依頼にも穴を開けてしまった。
あの時、それなりの訳があったのだろうが、どんなことより優先して駆けつけるべきだった。この棘の痛さに、一生苦しむことになる。
(新居挨拶)
戦争の爪痕がまだ残る終戦っ子の我々は、長子より次男三男が多く、戦後の高度経済成長の労働力として、田舎から都会に数多く流れて行った。我々もそんな中の一人であった。
彼から招待状を受けた当時のことの記憶は薄れて思い出せないが、自分は何故か欠席してしまう。大事な大好きな親友の晴れ舞台を反故にし、祝辞依頼にも穴を開けてしまった。
あの時、それなりの訳があったのだろうが、どんなことより優先して駆けつけるべきだった。この棘の痛さに、一生苦しむことになる。
自分のとった行動の浅はかさに、何度悔やんだことか・・・
(新居挨拶)
あの時から、奴とは時々は酒も飲んだのだが、心のどこかに以前の様には行かない微妙な関係が続いていた。
いつかは元に戻したい戻りたいと願って35年ほど経った平成21年、64歳で早世で旅立った訃報に接してしまった。
=つづく=
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