夏の果物はスイカが一番、そう思っているのは自分だけではないだろう。
スイカの原産地は南アフリカで4000年も前からあったそうだ。シルクロードを経由して中国から伝わったので西瓜となった説、ポルトガル人が持ち込んだ説があるようだ。
昭和中頃、運動会って楽しみがない時代の健康作りを兼ねた、全員参加型のスポーツ振興策であって、地域仲間とのコミュニケーションを司る、一大イベントとなって定着していた。
そんな夏場には必ずスイカが振る舞われていた、スイカ割り競争も楽しい思い出だった。輸入果物も少ない時代、スイカってみんなの心の中で忘れることが出来ない。
今度は滝沢スイカを楽しんで、この暑い夏を乗り切ろうと思った。
今年も友達から尾花沢スイカを頂いた。暑い夏には何よりにも変え難い逸品である。大きさも中身も文句なし。
近隣にも滝沢スイカがあり有名であるが、毎年頂くので地元産を買わないで首を長くしていた。
スイカの原産地は南アフリカで4000年も前からあったそうだ。シルクロードを経由して中国から伝わったので西瓜となった説、ポルトガル人が持ち込んだ説があるようだ。
日本国内の産地出荷量では熊本が1位、次いで千葉県、3番目が山形県となっていて、ここ10年順位が変わっていない。尾花沢スイカは日本の特級品だ。
昭和中頃、運動会って楽しみがない時代の健康作りを兼ねた、全員参加型のスポーツ振興策であって、地域仲間とのコミュニケーションを司る、一大イベントとなって定着していた。
その頃の夏場気温も真夏日を超えることは稀で、運動会は夏場の行事として、定着していた。
老若男女が一堂に介して、部落の予選会で競い合い、その代表が地域で決勝戦を争って順位を決めたものだ。最後には必ずリレー競技が組まれ、燃えに燃えて楽しかった。
そんな夏場には必ずスイカが振る舞われていた、スイカ割り競争も楽しい思い出だった。輸入果物も少ない時代、スイカってみんなの心の中で忘れることが出来ない。
ソールフードとしてスイカを通して、人々が繋がっていた気がする。
誰もが貧しかったが地域の暖かい和みがあった。
時は過ぎても、暑い夏はスイカの人気は変わらないし、結構栄養価もあり、貴重な果物である。
今度は滝沢スイカを楽しんで、この暑い夏を乗り切ろうと思った。
=おわり=
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