暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

令和7年初釜は耕雲亭にて・・・(4)終章(おたより)

2025年02月01日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

HYさまが耕雲亭茶室の魅力や特徴を現場で説明してくださいました。

全員が入れず・・・ごめんなさい (注:HYさまは一級建築士、数寄屋建築を手掛けています)

 

つづき)

初釜終了後にお客さまからメールやお手紙を頂戴しました。ありがとうございます!

正直、疲れないといえばウソになりますが、疲れをとってくれる特効薬のおたよりを嬉しく拝読しました。

お客さまからのおたよりで別の視点から初釜のことを知ったり、新たに感動することも多く、令和7年初釜の記念に3通を記載させていただきます。

 

 WMさまから

この度、新年初釜において心のこもったおもてなしを頂き、誠にありがとうございました。

”釣月耕雲古風を慕う”の雰囲気そのままの素晴らしいお茶室にて、おいしいお茶をいただくひと時は誠に得難い経験でした。しかも特等席で! 感激の至りでした。

格調高いお道具の数々を拝見し、鳳凰の如く高みを目指す暁庵様の気概を感じ、大いに刺激を受けたことでした。

会食では和気あいあい、心打つスピーチ、寿ぎの仕舞、最後の力強い三本締めに至るまで名役者揃いで、終始楽しませていただきました。

このように華やかに笑顔で1年をスタートでき、今年はとても良い年になりそうです。

心より御礼申し上げます。

どうぞお疲れの出ませぬように、極寒の折、くれぐれもご自愛くださいませ。

拙い文にて失礼ながら 取り急ぎ御礼申し上げます。  かしこ   WM

       (耕雲亭・小間の蹲)

Rさまから

暁庵先生〜  冷たい雨が降っています。お元気でしょうか?

1月18日の楽しい初釜のお祝いにお招き頂き、ありがとうございました。私も茶友Tさんも満足感を感じながら帰りました. 

暁庵先生が紹介した「五百生」の話、当日私は理解できませんでした。ですが、帰って調べたら、感動しました。今も完全に理解できてないでしょうけど、とても素晴らしい考え方。

やっぱり、毎日の細かい、悔しいことで心が疲れますが、「五百生」を思い出すと少しでも余裕ができそうです。この教訓を忘れずに、自分の生活に取り入れていきたいと思います。感謝しております。

私は誰かを褒める立場ではありませんが、私が入らせていただいた濃茶席でT氏さん、AYさん、KRさんはとてもスムーズに連携していたと思いました。彼らは本物の茶道家のようです。

「先生のご指導を上手に受けて身につけている」と思いました。逆に正客(注:ご本人のこと)の行動は残念でした。もっと頑張らないとついて行けませんね。いつも茶の湯の経験をさせていただき、心より感謝しています。

今年も、いろいろな良い出会いや、茶の湯の思い出がたくさんできますように。

どうぞ宜しくお願い致します。    Rより

       (耕雲亭・広間の蹲)

 EKさまから

暁庵先生  大寒だというの春のような日差しがまぶしいくらいです。

先日は初釜のご招待をありがとうございました。

ホテルは駅から直結で、着替え室なども完備されていて、便利きわまりなく、お茶室も素晴らしかったです。

N先生のお薄席も華やかで晴れ晴れしく、暁庵社中の濃茶は格調高く、新春の寿ぎに満ちておりました。

お道具も眼福の品の数々、そこからのお話も弾みました。暁庵社中の方は人数も足りなくて大変だったと思いますが、誠実なお話しぶりの後見さんや、まろやかで美味しい濃茶を練ってくださったご亭主にも感謝でございます。

今年は3回目の初釜だったのですが、いまだにどこも各服の濃茶だったので、3人で回したお濃茶には、「ああ、そうそう、こんなふうだったんだ、これぞ濃茶!」と感動しました。4年ぶりの飲みまわし、ご配慮をありがとうございます。

仕舞のほうはお目汚しでしたが、いろんな方に声をかけていただき、少しはお役にたてたかなあ~と安心いたしました。

お写真なども送っていただき、うれしかったのですが、もう少し事前にYさんと打ち合わせをして、背景が食器棚?(せっかく金屏風があったのに・・・)はどうかな・・とか、外の雑音もあったので、お話のときにマイクをお願いすればよかったかな・・と反省点もございました。

先生方や他の方の話も聞き取りにくかったところもありました。もし次回、このような機会があれば改善して、もっとより良いものをお見せしたいと思います。

ラッキーなことにくじに当たり、おいしいお菓子を頂戴しました。本当に楽しい趣向でした。お忙しいのにくじまで作ってくれたAYさんに感謝です。

先生はまともにお食事も召し上がれないし、道具の準備や運搬などいろいろと大変だったと思いますが、どうぞゆっくりお休みくださいませ。社中の皆様にも心から感謝をいたします。よろしくお伝えください。

またお会いできるのを楽しみにしております。    EK

           

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               令和7年の初釜に向けて・・・台目濃茶

 


令和7年初釜は耕雲亭にて・・・(3)薄茶席

2025年01月31日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

つづき)

午後は3席、最終の薄茶席へ入らせていただきました。

広い床には見事な結び柳が飾られ、柳筒に白い椿が一輪、侘助でしょうか?

御軸は「瑞烟新」(ずいえんあらたなり」、淡々斎宗匠の御筆です。

香合はふっくらと可愛らしい於福香合(九谷焼陶幸窯)、席主のN先生そっくり・・・というお声も多かったそうです(影の声・・・ホント!)。紙釜敷は奥村吉兵衛作です。

広い床に続いて琵琶床があり、蓬莱飾りがお正月らしく素敵でした。

点前座は長板の一つ置き、水指は祥瑞です。

    (蓬莱飾りと点前座)

N先生のご挨拶の後、干菓子が運ばれました。

お点前が始まると、客の視線は一斉にお点前さんへ集中し、さぞや緊張されたことでしょう。N先生社中は昨年の初釜が茶会デビューで今回が2度目の茶会だそうですが、とても落ち着いたきれいな所作で薄茶を点ててくれました。

棗は「松梅棗」(鵬雲斎大宗匠在判箱)、茶杓は銘「佳き日」(大亀老師筒)です。

水屋から薄茶を運び出す半東さんは入れ替わり立ち代わりですが、どの方も歩き方や所作がゆったりと落ち着いていらして、この1年間の成長に目を見張る思いがし、一生懸命のおもてなしが伝わってきて嬉しかったです。暁庵社中にもきっといろいろ良い刺激になったことでしょう。

(釜は「涛声釜」(十三代宮崎寒雉造)、炉縁は黒千家桐蒔絵)

お正客M様が薄茶を頂いた主茶碗は古朝日焼、落ち着いた味わいが銘「静」(淡々斎宗匠箱)にふさわしく思いながら、客8名がそれぞれ多彩な茶碗で薄茶をいただきました。

茶碗は社中の皆さんがお持ち出しされたそうで、一つ一つ説明を伺いながら楽しみました。仁清写花鳥(通次阿山作)、朝明(永楽善五郎作)、槍梅(暁釜)、赤楽・初夢(吉村楽入作)、紅志野など・・・・。

暁庵は紫交趾・牡丹の茶碗、細かく泡立った熱い薄茶がたっぷりで美味しゅうございました! 薄茶は「江雲の白」(柳桜園詰)です。

N先生社中の皆さまはN先生が耕雲亭で担当された裏千家「初心者のための茶道教室」の生徒さんだった方々です。あれから4年が経ち、立派に成長されて初釜で立ち働いている姿を眩しく、そして嬉しく思いながら、当時の様子や苦労話を伺ったりしました。

退席するときに、N先生から袋物(ティッシュ入れ)を頂戴しました。

「90歳を超す母が「自分も初釜に参加したい!」と言って作ってくれたものですが、もしよろしかったら1つお持ち帰りください」

娘の初釜に自分も何かしてあげたい、参加したいという母上様のお気持ちに涙し、母を亡くした私にはとてもうらやましく思いました・・・。

そんな心優しいN先生やお社中の皆様と初釜を共催できたことをとても嬉しく思いました。

全6席がなんとか無事に終了した後に、濃茶席へ入るゆとりがなかったN先生と暁庵は仲良く小間の椅子席で、お家元の御軸に見守られながら花びら餅と、N先生は濃茶、暁庵は薄茶を頂戴しました。何とも言えない安堵や充実感と共にお茶が美味しく乾いた喉を潤してくれました・・・ご馳走様!。

 

皆さま、ありがとうございました。  つづく)

   

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令和7年初釜は耕雲亭にて・・・(2)祝い膳を囲んで

2025年01月28日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

    (耕雲亭隣接の和食レストラン「源氏香」・・・向かって左側)

つづき)

耕雲亭隣接の和食レストラン「源氏香」の広間で一同揃って祝い膳を囲みました。

全員が席に着いたところで暁庵とN先生が新年のご挨拶をし、N先生の音頭で盃を高く上げて乾杯し、祝い膳を賞味しました。

初釜へ馳せ参じてくださったお客様に「何をお話したらよいかしら?」と考えましたが、「五百生のお茶のご縁」のお話をしました。

  聞法因縁五百生(もんぽういんねんごひゃくしょう)

  同席対面五百生(どうせきたいめんごひゃくしょう) (仏語)

私たちは前世のことはわかりませんが、五百ぺん生まれ変わりした長い深い因縁のおかげで、尊い仏の教えを聞くことができました。そして今、席を同じくし、顔を合わせることができました。なんとありがたく不思議なお茶のご縁であろうか・・と思います。どうぞこのご縁を大切にし、今年もお茶を楽しみながら精進いたしましょう。

・・・というようなことをお話したような・・・

「源氏香」心づくしの献立を記載します。

御椀  清汁仕立  花葩餅しんじょう

          鶯菜 梅人参 木の芽

上段  祝儀肴  鶏松風 海老切竹 梅花百合根 常緑黒豆 金箔

    祝小付  紅白膳(寿海苔 数の子) 防風

    御造り  鮪 鯛 褄一式 山葵 加減醤油

下段  口取り  厚焼玉子 海老芝煮 金柑密煮 

         からす鰈煮焼 蒲鉾 巻き生姜

    煮物   飛龍頭 梅麩 菜花 共地餡 柚子

    揚げ物  ふぐ香り揚げ 青唐 レモン

    物相飯  菜飯(じゃこ有馬煮) 香の物

甘未(デザート) 牛乳ぷりん ラズベリーソース 

飲み物  酒  ノンアルコール飲料など

       (富士山と三保の松原)

宴がたけなわになった頃に金剛流をお習いのEKさまに一指し舞っていただきました。

謡曲「羽衣」です。

「解説」もしてくださり、誰でも知っている物語ですが、天女が白竜に「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」言うところでは思わず「はっ・・」とし、EKさまが天女のように見えました。

EKさまはキリリとした袴姿で登場し、まるで天女のように軽やかに舞ってくださいました。

おめでたい絵柄の舞扇がさながら羽衣が優雅に空間をたなびいているように思え、初春の寿ぎの舞を楽しむことができ、感謝でございます。

能「羽衣」について(「能」より抜粋)

昔話でもおなじみの、羽衣伝説をもとにした能です。昔話では、天女は羽衣を隠されてしまい、泣く泣く人間の妻になるのですが、能では、人のいい漁師・白龍は、すぐに返します。

羽衣を返したら、舞を舞わずに帰ってしまうだろう、と言う白龍に、天女は、「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と返します。正直者の白龍は、そんな天女の言葉に感動し、衣を返すのです。

天女の舞はこの能の眼目で、穏やかな春の海、白砂青松、美しい天女の舞い、そして遠く臨む富士山。幸せな気分にしてくれる能といえるでしょう。

 

余興としてクジ引きをしました。当たりくじは松1本、竹2本、梅5本です。

松と竹は菓子折(石井製)ですが、梅は暁庵近くの本村神明社の「えんむすび」のお守りです。

「えんむすび」というと男女の縁結びを思い浮かべますが、このお守りはステキな「お茶のご縁」をその方の努力で結んでほしいと願って選びました。

また、梅が当たった方には今思うことや、今年の抱負などを語っていただき、それぞれの方のお話が今なお生き生きと心に残っています。そのお一人HYさま(一級建築士です)から耕雲亭の数寄屋建築について小間で説明してくださるとのご提案があり、お世話になりましてありがとうございます。

・・・こうして祝い膳を囲む会食も終わりとなり、最後にT氏に締めをお願いしました。

T氏の音頭で勇ましく元気に「三本締め」をし、終了です。  つづく)

 

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                 令和7年の初釜に向けて・・・台目濃茶

 


令和7年初釜は耕雲亭にて・・・(1)濃茶席

2025年01月26日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

(ロイヤルパークホテル東京日本橋の耕雲亭・・向って右の建物、ビルの5階です。)

     (耕雲亭小間・・・躙口と貴人口があります)

1月18日(土)、令和7年の初釜を昨年と同じロイヤルパークホテル東京日本橋の耕雲亭で開催しました。

S先生のもとで共に研鑽に励んでいるN様と共催の初釜で、小間の濃茶席は暁庵社中、広間の薄茶席はN様社中が担当しました。

今年は1席7~8名様で6席とし、総勢45名となりました。

「初釜へ来てくださるかしら?」と恐る恐るお声掛けしましたが、たくさんのお客様が馳せ参じてくださって、本当に有難く感謝しています。

濃茶席は四畳半台目、寒かったのと時間の都合で蹲を省略し、躙口から席入していただきました。

濃茶第1席のお客さまは、お正客Oさま、Oさま茶友のNさま、小堀遠州流のYさま、Kさま、Sさま、社中のAYさんとT氏(詰)です。

 

台目床の御軸は「暁雪満群山」、坐忘斎家元のお筆です。

「暁」は「明時」あかときの転じた言葉で夜半から夜の明ける頃までを言うそうです。

暁、雪を冠した山々が連なり、暗い山の端が徐々に茜色に染まっていきます。日が昇り、雪山の頂を明るく照らし、その暁光は群れている山々を普く照らし、どの山も見事に輝きはじめました・・・壮大で清々しい暁の景が目の前に浮かんでくるようです。

昨日(17日)の「今日庵東京稽古始め」のお家元のお点前や心に残るお話を思い出しながら御軸を掛けました。

     (蝋梅と春曙光を竹花入にいけました)

花は蝋梅と椿「春曙光」、竹花入は京都鷹峯・光悦寺の古竹を以って作られ、池田瓢阿作です。

香合は染付「一輪」(京焼)、嵐雪の「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」の俳句から名付けました。

お客さまとご挨拶を交わした後、花びら餅(横浜市旭区・石井製)をお出ししました。

KTさんが濃茶2碗(それぞれ2人分と3人分)を心を込めて練り、3碗目(2人分)は水屋から半東Y氏がお持ちしました。

濃茶は喫みまわしとし、茶碗の拝見も清めずにそのまま拝見に回して見ていただきました。

・・・実は茶友Rさまから「拝見は茶碗だけでなく、濃茶の香り、緑の色合い、練り具合なども含めて観賞の対象だと思うので、清めずそのまま拝見したいです」というご意見を伺い、各服点になって久しく、濃茶について大事なことを忘れていたような気がして・・・

「お濃茶が良く練れていて美味しく、濃さも飲みやすかったです」というお正客Oさまの言葉に安堵しました。きっとKTさんも・・・。濃茶は坐忘斎家元好の「延年の昔」(星野園詰)です。

釜は梅と竹の地紋のある芦屋写、本栗の炉縁は村瀬治兵衛作です。点前座の水指は萩四方、十二代坂高麗左衛門造、仕付け棚に置かれた薄器は紅毛茶器、手塚玉堂作です。

 

濃茶器は藤村庸軒好みの凡鳥棗で、庸軒流の茶人であった伊藤庸庵の箱書があります。仕覆は茶地唐花鳳凰文緞子、仕覆は小林芙佐子仕立です。

凡鳥棗の本歌は初代中村宗哲作。「凡鳥(ぼんちょう)」は「鳳」(ほう、おおとり)の字を二分したもので、鳳凰は梧桐(あおぎり)にのみ棲むという中国伝説があり、凡鳥棗の甲に桐紋蒔絵が描かれています。         

伊藤庸庵は、戦後(昭和30年代頃)横浜市神奈川区に住んでいた庸軒流の茶人です。「茶道望月集」復刻版の出版など庸軒流を盛んにするべく活躍しました。藤村庸軒好みの「凡鳥棗」写しをいくつか造り、これはその一つです。(参考:「庸軒流・伊藤庸庵を尋ねて・・・」

暁庵が3年間の京都暮らしを引き上げる時、姫路在住の庸軒流の茶友から「横浜に住む暁庵さんに、横浜に縁のある伊藤庸庵が作らせた「凡鳥棗」をぜひ使ってほしい」と頂戴した御品です。

茶杓は、紫野聚光院の梅の古木を以って作られ、川本光春作です。「東北」という能に和泉式部が愛でたという「軒端の梅」が登場します。それで梅に因み聚光院・小野沢虎洞師に「東北」(とうぼく)という銘を付けていただきました。

     (京都東山・東北院に咲く「軒端の梅」)

茶碗は次の3碗です。

主茶碗は、黒楽で4代一入作、藪内流7代桂陰斎の銘「不老門」、15代直入の極めがあります。

「不老門」は、中国・唐の都にあった門で、この門の周りでは時がゆっくり流れるという言い伝えがあります。銘「不老門」にふさわしく詫びた趣きの茶碗で、不揃いの口周りですが、茶杓がぴたりと納まり、使う度に作り手の息づかいや心意気を感じます。アバタのようなこぶ、引き出し火箸の跡など見所が魅力になっています。

替茶碗は李朝の青磁雲鶴です。遠州流小堀正安蓬露(茶道具の目利きに優れ、後の権十郎といわれた)の箱書の歌から銘「玉帚」(たまははぎ)です。

   初春の 初子(はつね)のきょうの たまははぎ

         手にとるからに ゆらぐ玉の緒   (大伴家持 万葉集)

歌の意は、「初春の初子の今日、玉帚を手に取ると、玉が揺れて音をたてます」

   (青磁雲鶴の箱書:遠州流小堀正安蓬露)         (玉箒:正倉院御物)             

もう一つの替茶碗は赤楽で

6代左入作、初代長次郎の「木守」写、15代直入の極めがあります。

本歌は長次郎七種の1つですが、1923年関東大震災で被災し原形が失われてしまい、この写しが「木守」を伝える貴重な一品かもしれません。かつて利休が長次郎の茶碗を数個取り寄せ、門下の大名たちに贈ったところ、この茶碗だけ手許に留め置いたため、柿の木守にちなんで「木守」と呼ばれました。

午前の部3席が終わり、池をはさんで向かい側にある和食レストラン「源氏香」で一同揃って初釜の祝い膳を囲みます。 つづく)

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                 令和7年の初釜に向けて・・・台目濃茶

 


令和7年の「今日庵東京稽古始め」に出席して

2025年01月20日 | お茶と私

       (京都の今日庵のお床です・・・今日庵HPより)

 

1月17日(金)、令和7年(きのと歳)の「今日庵東京稽古始め」へ行ってまいりました。

昨年11月の三笠宮妃百合子殿下の薨去により、恒例の「初釜式」に代わって今年は「稽古始め」として行われました。

・・・「何を着ていったらよいかしら?」と迷っていましたが、今日庵へ出席した茶友から「皆様、着物はいつも通りでしたよ」という情報があり、唐子模様のブルーグレイの色留袖に白地銀箔に御所車の行列が刺繍された帯を着ていきました。(書いておかないと忘れてしまうのでゴメンクダサイ)

しばらく待合席で待った後に(待合の掛物「梅の画」)、式場へ移動し展観席から始まりました(11時のお席でした)。濃茶席と薄茶席の会記と立派なお道具類が並べられ、箱書もたくさんあり、もうここだけで頭の中が満杯になりました(メモもカメラもなく覚えられませんで・・トホホ)

「稽古始め」の式場へ入ると、点茶盤が設えられた立礼席で50人ほどの喫架と椅子が用意されていて中ほどに座りました。

床には、緑鮮やかな結び柳が風情好く、今年の勅題「夢」に因んで元伯宗旦筆の御軸「夢想」が掛けられています。点茶盤には坐忘斎家元好みの皆具が据えられていました。

はじめに、千 宗室お家元と千 玄室大宗匠が新年のご挨拶をされました。素晴らしいお話なのでお家元のお話から書いておきます。

「今はわからないことがあると、スマホやPCで検索してすぐに「わかった」「知った」ということになりますが、「わかった」「知った」はゴールではなく、始まり(スタート)なのです。「知った」と思ったことから必ず1つか2つ、「わからないこと」が生じ、それを調べると又「わからないこと」があり、次々と「わからないこと」を調べ、深く掘り下げていくことが、茶の湯には大切だと思います」

百二歳になられた大宗匠から「茶の湯は死ぬまで勉強、死んでからも勉強・・・」と力強いお言葉をいただき、「「お先に」「お相伴します」という他人を気遣う優しい心を忘れずに「一盌の茶」とその気持ちを周りの方に広げていって欲しい」と続けられました。大宗匠の元気なお姿を見られて、もうもう感無量でございました。

 

        (京都の今日庵の濃茶席・・・今日庵HPより)

玄々斎好みの菓子・菱葩を頂戴した後、お家元が濃茶を練られました。一同、シーンと静まり返り、息をのむようにお点前を見つめます。やがて一碗の濃茶が運ばれ、お正客様が一口召し上がると、

「如何でしょうか? 少々伸ばしすぎたかもしれません・・・」

「とても美味しく頂戴しております。ありがとうございます!」

お正客様は上品な年配のご婦人で、後で山梨から来られたことを伺いました。

お家元から床の宗旦筆の「夢想」のお軸について素敵なお話がありましたので、一生懸命思い出しながら書いておきます。

宗旦の字はとても読みにくいそうで、要約すると「自在天神さまに願い事を一生懸命にお願いしていたら、なんと願いが叶い、なんとも嬉しくせいせいしし」という意味だそうです。

最後の「せいせいし」が字余りで、「」は「・・・」を表わしていて、つまり願い事が叶って「せいせいし」と思ていたら「・・・」で、なんと!夢だった。それで「夢想」の題だそうです。

さらにお家元は、私たちは神仏にいろいろなことをお願いしますが、そのお願いの仕方が間違っていることに気が付いたそうです。神仏に丸投げではなく、自分がお願いしたことを自分自身も努力することをお願いするように・・・と。

「どうぞ今年も家内安全でありますように。家内安全になるように私も努力いたしますのでお願い申し上げます」

とても心に残るお話でした・・・ありがとうございます。

まろやかによく練られた各服点の濃茶が薫りよく美味しく喉を潤してくれました。茶銘は「山雲の昔」(坐忘斎好み)、詰は竹茗堂(静岡)です。

点茶盤の皆具が遠目では唐銅皆具のようにも見えるのですが、陶器の黒渦文の皆具で作者は当代永楽善五郎でした。

展観席で拝見した茶入は古瀬戸(藤四郎)、珍しい四耳茶入で太閤秀吉から拝領の御品で、銘「七草」です。(間違っていたらゴメンクダサイ) 茶杓は大宗匠の力強い御作でしたが銘が思い出せません・・・スミマセン。

 

      (京都の今日庵の薄茶席・・・今日庵HPより)

次いで薄茶席へ移動し、千 宗史若宗匠、千 容子家元夫人、伊住弘美様、伊住宗禮様がご挨拶されました。

薄茶席の床には、「池塘春草生」又玄斎一燈筆、釣り花入に雲龍梅と可愛らしい福寿草1輪。

千 宗史若宗匠が御園棚でお点前され、お話がユーモラスでお席が楽しく盛り上がりました。

干菓子は、常磐饅頭(ほんのり温かかったです)、干支に因んだウロコの型物と松葉(飴)です。

熱く美味しい薄茶を久世久宝の茶碗で頂きました。茶銘は「海月の白」(坐忘斎好み)、詰はこちらも竹茗堂(静岡)です。

そうそう、薄茶席の主茶碗のことを書いておきます。了入作の赤楽茶碗で銘「曉雪」、会記で銘を拝見したときに「あらっ! 私のためのお茶碗みたい・・・」と嬉しかったです。赤釉に黒とグレイの釉薬の景色が「曉雪」(明け方にちらちらと降る雪)を表わしていました。

薄器は梅月棗、淡々斎好みの梅月棗の本歌(宗哲作)で一閑張溜塗の折ため、蓋裏に「好」と淡々斎花押の朱書がありました。林和靖の詩の一句「暗香浮動月黄昏」が箱裏に書き付けされています。茶杓は寒雲桜を以って銘「窓の曙」(?だったと思う)です。

御終いにくじ引きがありました。当りはお香合とか・・・もちろん外れで残念です。

お家元心づくしのお土産と辻留のお弁当が配られ、14時頃お開きとなりました。