暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

令和7年初釜は耕雲亭にて・・・(2)祝い膳を囲んで

2025年01月28日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

    (耕雲亭隣接の和食レストラン「源氏香」・・・向かって左側)

つづき)

耕雲亭隣接の和食レストラン「源氏香」の広間で一同揃って祝い膳を囲みました。

全員が席に着いたところで暁庵とN先生が新年のご挨拶をし、N先生の音頭で盃を高く上げて乾杯し、祝い膳を賞味しました。

初釜へ馳せ参じてくださったお客様に「何をお話したらよいかしら?」と考えましたが、「五百生のお茶のご縁」のお話をしました。

  聞法因縁五百生(もんぽういんねんごひゃくしょう)

  同席対面五百生(どうせきたいめんごひゃくしょう) (仏語)

私たちは前世のことはわかりませんが、五百ぺん生まれ変わりした長い深い因縁のおかげで、尊い仏の教えを聞くことができました。そして今、席を同じくし、顔を合わせることができました。なんとありがたく不思議なお茶のご縁であろうか・・と思います。どうぞこのご縁を大切にし、今年もお茶を楽しみながら精進いたしましょう。

・・・というようなことをお話したような・・・

「源氏香」心づくしの献立を記載します。

御椀  清汁仕立  花葩餅しんじょう

          鶯菜 梅人参 木の芽

上段  祝儀肴  鶏松風 海老切竹 梅花百合根 常緑黒豆 金箔

    祝小付  紅白膳(寿海苔 数の子) 防風

    御造り  鮪 鯛 褄一式 山葵 加減醤油

下段  口取り  厚焼玉子 海老芝煮 金柑密煮 

         からす鰈煮焼 蒲鉾 巻き生姜

    煮物   飛龍頭 梅麩 菜花 共地餡 柚子

    揚げ物  ふぐ香り揚げ 青唐 レモン

    物相飯  菜飯(じゃこ有馬煮) 香の物

甘未(デザート) 牛乳ぷりん ラズベリーソース 

飲み物  酒  ノンアルコール飲料など

       (富士山と三保の松原)

宴がたけなわになった頃に金剛流をお習いのEKさまに一指し舞っていただきました。

謡曲「羽衣」です。

「解説」もしてくださり、誰でも知っている物語ですが、天女が白竜に「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」言うところでは思わず「はっ・・」とし、EKさまが天女のように見えました。

EKさまはキリリとした袴姿で登場し、まるで天女のように軽やかに舞ってくださいました。

おめでたい絵柄の舞扇がさながら羽衣が優雅に空間をたなびいているように思え、初春の寿ぎの舞を楽しむことができ、感謝でございます。

能「羽衣」について(「能」より抜粋)

昔話でもおなじみの、羽衣伝説をもとにした能です。昔話では、天女は羽衣を隠されてしまい、泣く泣く人間の妻になるのですが、能では、人のいい漁師・白龍は、すぐに返します。

羽衣を返したら、舞を舞わずに帰ってしまうだろう、と言う白龍に、天女は、「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と返します。正直者の白龍は、そんな天女の言葉に感動し、衣を返すのです。

天女の舞はこの能の眼目で、穏やかな春の海、白砂青松、美しい天女の舞い、そして遠く臨む富士山。幸せな気分にしてくれる能といえるでしょう。

 

余興としてクジ引きをしました。当たりくじは松1本、竹2本、梅5本です。

松と竹は菓子折(石井製)ですが、梅は暁庵近くの本村神明社の「えんむすび」のお守りです。

「えんむすび」というと男女の縁結びを思い浮かべますが、このお守りはステキな「お茶のご縁」をその方の努力で結んでほしいと願って選びました。

また、梅が当たった方には今思うことや、今年の抱負などを語っていただき、それぞれの方のお話が今なお生き生きと心に残っています。そのお一人HYさま(一級建築士です)から耕雲亭の数寄屋建築について小間で説明してくださるとのご提案があり、お世話になりましてありがとうございます。

・・・こうして祝い膳を囲む会食も終わりとなり、最後にT氏に締めをお願いしました。

T氏の音頭で勇ましく元気に「三本締め」をし、終了です。  つづく)

 

      令和7年の初釜・・・(3)へつづく  (4)へ  (1)へ 

                 令和7年の初釜に向けて・・・台目濃茶

 


令和7年初釜は耕雲亭にて・・・(1)濃茶席

2025年01月26日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

(ロイヤルパークホテル東京日本橋の耕雲亭・・向って右の建物、ビルの5階です。)

     (耕雲亭小間・・・躙口と貴人口があります)

1月18日(土)、令和7年の初釜を昨年と同じロイヤルパークホテル東京日本橋の耕雲亭で開催しました。

S先生のもとで共に研鑽に励んでいるN様と共催の初釜で、小間の濃茶席は暁庵社中、広間の薄茶席はN様社中が担当しました。

今年は1席7~8名様で6席とし、総勢45名となりました。

「初釜へ来てくださるかしら?」と恐る恐るお声掛けしましたが、たくさんのお客様が馳せ参じてくださって、本当に有難く感謝しています。

濃茶席は四畳半台目、寒かったのと時間の都合で蹲を省略し、躙口から席入していただきました。

濃茶第1席のお客さまは、お正客Oさま、Oさま茶友のNさま、小堀遠州流のYさま、Kさま、Sさま、社中のAYさんとT氏(詰)です。

 

台目床の御軸は「暁雪満群山」、坐忘斎家元のお筆です。

「暁」は「明時」あかときの転じた言葉で夜半から夜の明ける頃までを言うそうです。

暁、雪を冠した山々が連なり、暗い山の端が徐々に茜色に染まっていきます。日が昇り、雪山の頂を明るく照らし、その暁光は群れている山々を普く照らし、どの山も見事に輝きはじめました・・・壮大で清々しい暁の景が目の前に浮かんでくるようです。

昨日(17日)の「今日庵東京稽古始め」のお家元のお点前や心に残るお話を思い出しながら御軸を掛けました。

     (蝋梅と春曙光を竹花入にいけました)

花は蝋梅と椿「春曙光」、竹花入は京都鷹峯・光悦寺の古竹を以って作られ、池田瓢阿作です。

香合は染付「一輪」(京焼)、嵐雪の「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」の俳句から名付けました。

お客さまとご挨拶を交わした後、花びら餅(横浜市旭区・石井製)をお出ししました。

KTさんが濃茶2碗(それぞれ2人分と3人分)を心を込めて練り、3碗目(2人分)は水屋から半東Y氏がお持ちしました。

濃茶は喫みまわしとし、茶碗の拝見も清めずにそのまま拝見に回して見ていただきました。

・・・実は茶友Rさまから「拝見は茶碗だけでなく、濃茶の香り、緑の色合い、練り具合なども含めて観賞の対象だと思うので、清めずそのまま拝見したいです」というご意見を伺い、各服点になって久しく、濃茶について大事なことを忘れていたような気がして・・・

「お濃茶が良く練れていて美味しく、濃さも飲みやすかったです」というお正客Oさまの言葉に安堵しました。きっとKTさんも・・・。濃茶は坐忘斎家元好の「延年の昔」(星野園詰)です。

釜は梅と竹の地紋のある芦屋写、本栗の炉縁は村瀬治兵衛作です。点前座の水指は萩四方、十二代坂高麗左衛門造、仕付け棚に置かれた薄器は紅毛茶器、手塚玉堂作です。

 

濃茶器は藤村庸軒好みの凡鳥棗で、庸軒流の茶人であった伊藤庸庵の箱書があります。仕覆は茶地唐花鳳凰文緞子、仕覆は小林芙佐子仕立です。

凡鳥棗の本歌は初代中村宗哲作。「凡鳥(ぼんちょう)」は「鳳」(ほう、おおとり)の字を二分したもので、鳳凰は梧桐(あおぎり)にのみ棲むという中国伝説があり、凡鳥棗の甲に桐紋蒔絵が描かれています。         

伊藤庸庵は、戦後(昭和30年代頃)横浜市神奈川区に住んでいた庸軒流の茶人です。「茶道望月集」復刻版の出版など庸軒流を盛んにするべく活躍しました。藤村庸軒好みの「凡鳥棗」写しをいくつか造り、これはその一つです。(参考:「庸軒流・伊藤庸庵を尋ねて・・・」

暁庵が3年間の京都暮らしを引き上げる時、姫路在住の庸軒流の茶友から「横浜に住む暁庵さんに、横浜に縁のある伊藤庸庵が作らせた「凡鳥棗」をぜひ使ってほしい」と頂戴した御品です。

茶杓は、紫野聚光院の梅の古木を以って作られ、川本光春作です。「東北」という能に和泉式部が愛でたという「軒端の梅」が登場します。それで梅に因み聚光院・小野沢虎洞師に「東北」(とうぼく)という銘を付けていただきました。

     (京都東山・東北院に咲く「軒端の梅」)

茶碗は次の3碗です。

主茶碗は、黒楽で4代一入作、藪内流7代桂陰斎の銘「不老門」、15代直入の極めがあります。

「不老門」は、中国・唐の都にあった門で、この門の周りでは時がゆっくり流れるという言い伝えがあります。銘「不老門」にふさわしく詫びた趣きの茶碗で、不揃いの口周りですが、茶杓がぴたりと納まり、使う度に作り手の息づかいや心意気を感じます。アバタのようなこぶ、引き出し火箸の跡など見所が魅力になっています。

替茶碗は李朝の青磁雲鶴です。遠州流小堀正安蓬露(茶道具の目利きに優れ、後の権十郎といわれた)の箱書の歌から銘「玉帚」(たまははぎ)です。

   初春の 初子(はつね)のきょうの たまははぎ

         手にとるからに ゆらぐ玉の緒   (大伴家持 万葉集)

歌の意は、「初春の初子の今日、玉帚を手に取ると、玉が揺れて音をたてます」

   (青磁雲鶴の箱書:遠州流小堀正安蓬露)         (玉箒:正倉院御物)             

もう一つの替茶碗は赤楽で

6代左入作、初代長次郎の「木守」写、15代直入の極めがあります。

本歌は長次郎七種の1つですが、1923年関東大震災で被災し原形が失われてしまい、この写しが「木守」を伝える貴重な一品かもしれません。かつて利休が長次郎の茶碗を数個取り寄せ、門下の大名たちに贈ったところ、この茶碗だけ手許に留め置いたため、柿の木守にちなんで「木守」と呼ばれました。

午前の部3席が終わり、池をはさんで向かい側にある和食レストラン「源氏香」で一同揃って初釜の祝い膳を囲みます。 つづく)

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                 令和7年の初釜に向けて・・・台目濃茶

 


令和7年の「今日庵東京稽古始め」に出席して

2025年01月20日 | お茶と私

       (京都の今日庵のお床です・・・今日庵HPより)

 

1月17日(金)、令和7年(きのと歳)の「今日庵東京稽古始め」へ行ってまいりました。

昨年11月の三笠宮妃百合子殿下の薨去により、恒例の「初釜式」に代わって今年は「稽古始め」として行われました。

・・・「何を着ていったらよいかしら?」と迷っていましたが、今日庵へ出席した茶友から「皆様、着物はいつも通りでしたよ」という情報があり、唐子模様のブルーグレイの色留袖に白地銀箔に御所車の行列が刺繍された帯を着ていきました。(書いておかないと忘れてしまうのでゴメンクダサイ)

しばらく待合席で待った後に(待合の掛物「梅の画」)、式場へ移動し展観席から始まりました(11時のお席でした)。濃茶席と薄茶席の会記と立派なお道具類が並べられ、箱書もたくさんあり、もうここだけで頭の中が満杯になりました(メモもカメラもなく覚えられませんで・・トホホ)

「稽古始め」の式場へ入ると、点茶盤が設えられた立礼席で50人ほどの喫架と椅子が用意されていて中ほどに座りました。

床には、緑鮮やかな結び柳が風情好く、今年の勅題「夢」に因んで元伯宗旦筆の御軸「夢想」が掛けられています。点茶盤には坐忘斎家元好みの皆具が据えられていました。

はじめに、千 宗室お家元と千 玄室大宗匠が新年のご挨拶をされました。素晴らしいお話なのでお家元のお話から書いておきます。

「今はわからないことがあると、スマホやPCで検索してすぐに「わかった」「知った」ということになりますが、「わかった」「知った」はゴールではなく、始まり(スタート)なのです。「知った」と思ったことから必ず1つか2つ、「わからないこと」が生じ、それを調べると又「わからないこと」があり、次々と「わからないこと」を調べ、深く掘り下げていくことが、茶の湯には大切だと思います」

百二歳になられた大宗匠から「茶の湯は死ぬまで勉強、死んでからも勉強・・・」と力強いお言葉をいただき、「「お先に」「お相伴します」という他人を気遣う優しい心を忘れずに「一盌の茶」とその気持ちを周りの方に広げていって欲しい」と続けられました。大宗匠の元気なお姿を見られて、もうもう感無量でございました。

 

        (京都の今日庵の濃茶席・・・今日庵HPより)

玄々斎好みの菓子・菱葩を頂戴した後、お家元が濃茶を練られました。一同、シーンと静まり返り、息をのむようにお点前を見つめます。やがて一碗の濃茶が運ばれ、お正客様が一口召し上がると、

「如何でしょうか? 少々伸ばしすぎたかもしれません・・・」

「とても美味しく頂戴しております。ありがとうございます!」

お正客様は上品な年配のご婦人で、後で山梨から来られたことを伺いました。

お家元から床の宗旦筆の「夢想」のお軸について素敵なお話がありましたので、一生懸命思い出しながら書いておきます。

宗旦の字はとても読みにくいそうで、要約すると「自在天神さまに願い事を一生懸命にお願いしていたら、なんと願いが叶い、なんとも嬉しくせいせいしし」という意味だそうです。

最後の「せいせいし」が字余りで、「」は「・・・」を表わしていて、つまり願い事が叶って「せいせいし」と思ていたら「・・・」で、なんと!夢だった。それで「夢想」の題だそうです。

さらにお家元は、私たちは神仏にいろいろなことをお願いしますが、そのお願いの仕方が間違っていることに気が付いたそうです。神仏に丸投げではなく、自分がお願いしたことを自分自身も努力することをお願いするように・・・と。

「どうぞ今年も家内安全でありますように。家内安全になるように私も努力いたしますのでお願い申し上げます」

とても心に残るお話でした・・・ありがとうございます。

まろやかによく練られた各服点の濃茶が薫りよく美味しく喉を潤してくれました。茶銘は「山雲の昔」(坐忘斎好み)、詰は竹茗堂(静岡)です。

点茶盤の皆具が遠目では唐銅皆具のようにも見えるのですが、陶器の黒渦文の皆具で作者は当代永楽善五郎でした。

展観席で拝見した茶入は古瀬戸(藤四郎)、珍しい四耳茶入で太閤秀吉から拝領の御品で、銘「七草」です。(間違っていたらゴメンクダサイ) 茶杓は大宗匠の力強い御作でしたが銘が思い出せません・・・スミマセン。

 

      (京都の今日庵の薄茶席・・・今日庵HPより)

次いで薄茶席へ移動し、千 宗史若宗匠、千 容子家元夫人、伊住弘美様、伊住宗禮様がご挨拶されました。

薄茶席の床には、「池塘春草生」又玄斎一燈筆、釣り花入に雲龍梅と可愛らしい福寿草1輪。

千 宗史若宗匠が御園棚でお点前され、お話がユーモラスでお席が楽しく盛り上がりました。

干菓子は、常磐饅頭(ほんのり温かかったです)、干支に因んだウロコの型物と松葉(飴)です。

熱く美味しい薄茶を久世久宝の茶碗で頂きました。茶銘は「海月の白」(坐忘斎好み)、詰はこちらも竹茗堂(静岡)です。

そうそう、薄茶席の主茶碗のことを書いておきます。了入作の赤楽茶碗で銘「曉雪」、会記で銘を拝見したときに「あらっ! 私のためのお茶碗みたい・・・」と嬉しかったです。赤釉に黒とグレイの釉薬の景色が「曉雪」(明け方にちらちらと降る雪)を表わしていました。

薄器は梅月棗、淡々斎好みの梅月棗の本歌(宗哲作)で一閑張溜塗の折ため、蓋裏に「好」と淡々斎花押の朱書がありました。林和靖の詩の一句「暗香浮動月黄昏」が箱裏に書き付けされています。茶杓は寒雲桜を以って銘「窓の曙」(?だったと思う)です。

御終いにくじ引きがありました。当りはお香合とか・・・もちろん外れで残念です。

お家元心づくしのお土産と辻留のお弁当が配られ、14時頃お開きとなりました。  

 


令和7年初釜に向けて・・・台目濃茶の稽古

2025年01月15日 | 暁庵の裏千家茶道教室

(初稽古のお軸は「関 南北東西活路通」 東福寺・西部文浄師)

 

   ロイヤルパークホテル東京日本橋の耕雲亭

  (ビルの5階とは思えない緑豊かな佇まいが素敵です)

 

暁庵の裏千家茶道教室初釜を昨年と同様、ロイヤルパークホテル東京日本橋の耕雲亭でN先生のお社中と共催で行います。

耕雲亭の四畳半台目の小間で暁庵社中が濃茶席を、六畳の広間でN先生社中が薄茶席をそれぞれ担当します。

それで初釜に向けて1月11日から稽古を開始し、早速AYさんとKRさんが初稽古にいらっしゃいました。

「台目構えには台子が封じ込められている」(南方録)というS先生のお言葉通リで、濃茶では炉の台子飾りのような点前座の飾りつけです。

先ず点前座の畳の横四分の一、縦は向こうの壁と台目柱まで二分の一の位置に水指を置きますが、ここに台子があると思うとわかりやすいかもしれません。そして中央に茶入を飾っておきます。

今年は炭手前をしないので仕付け棚に薄器を飾ります。

  (耕雲亭小間の点前座・・・昨年の初釜の写真です)

茶碗を前に置いて茶道口に座り、襖を開けて濃茶点前が始まりました。いつものように茶碗を運び出し、茶入と置き合わせ、水屋へ下がります(バックで)。茶道口は常に客付きの足で越します。

建水を運び出し、襖を閉め、建水を持って炉の外隅をめざして座りますが、台目座りと言って、炉縁より握りこぶし1個くらい下座へ座ります。この位置はお点前さんの体格などにより多少変わります。

柄杓を構え、建水から蓋置を出して定座へ置き、柄杓を蓋置に置く時、「カッ!」という気合の入った音を出すようにご指導しています。これから眼目の濃茶を練るにあたり、「カッ!」は「喝!」に通じるように思えるからです。

注)禅宗における「喝」は、修行者に対して指導者が叱咤するときに用いられ、言語や文字では表現しにくい絶対の心理を示したり、悟りへの転機を与えたりするために用いられる叫び声とされている。これは間違った考えや迷いに対して叱ったり、励ましたりするときに使用される。

禅宗の修行僧ではありませんが、お茶の神様から「喝! 姿勢を正し、雑念を払い、心を込めてお茶を練るように・・・」という励ましのように聞こえるのです。

しかし、意に叶った良い音を出すのは難しく、これも修練が必要だと思いますが、道具つまり竹の蓋置も重要です。

その昔、敬愛する茶事の師匠は住み込み修行中、「良い音を出したくって、稽古前に早くに水屋へ行って音を出し、竹の蓋置を選ぶことから始めた・・・」そうです。

未熟な私はその意味するところを深く考えずに「へぇ~」と聞き流していたような・・・自分の思うような結果を出すにはそれなりの努力をしなくては得られない、絶えず自分で考えて努力せよ!喝!・・・という有難い師匠の教えでした。

 

今回、お稽古していて思うことは、コロナ禍の各服点の時期が長すぎて、2人分や3人分の濃茶を練る修練が足りないことです。とりあえず、2人分練って、相客と一緒に自服してもらい、温度、練り加減、量、濃さなどを自己評価してもらいました。

「練り加減は良いと思いますが、もう少し薄いほうが飲みやすいと思いました」

「少しぬるかったので、もっと熱々の濃茶を差し上げたいと思いました」

「これで良いと思ったのですが、飲んでみると量が全く少なかったです」

・・・そうなの。自分で練った濃茶を飲んでみないとわからないので、まずは飲んでもらっています。

「とても美味しゅうございました。香りも素晴らしく、濃さもお練り加減もほど好く、2人分を全部一人で飲みたいほどでした・・・」

このようなお客様のお声を頂けるように頑張りましょうね。

初釜当日は、きっと心を込めて一生懸命練ってくださることでしょう。今から楽しみ・・・

 

 

   (「源氏香」心づくしの料理も楽しみ・・・)

 

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続・茶道具こわい・・・城端塗と城ヶ端塗

2025年01月11日 | 茶道具

(外に広がる畑や野山を見ながら食べるベランダ席・・・Cafe&レストラン「杜」にて)

 

「茶道具こわい・・・令和6年師走」の続きです。

14年前のこと、城端塗の棗を追い求めて、富山県城端(じょうはな)町へ旅したことがあります。

(以下、ブログからの抜粋です)

富山県南砺市出身のSさんから南砺市の話を興味深く伺っていると
城端(じょうはな)という地名が出てきました。
「じょうはな? どんな字かしら?」
「高岡から出ている城端線の終点で、絹織物で栄えた町です」
すると、Nさんが
「城端といえば城端塗を思い出します。
 以前、先生宅で見せて頂いた棗が素晴らしくて・・・」
城端塗の棗のことを話すNさんの声音がいつまでも耳に残りました。

それから二、三日後、小京都のテレビ番組を見ていると、偶然「城端」でした。
古い織物工場や街並み、曳山祭や祭の準備の様子が紹介されていて、
行ってみたい・・と思いました。
調べてみると、城端曳山祭が5月5日(宵祭4日)とわかりました。
GWの旅行先は金沢・能登(輪島)へ決まっていたのですが、
急遽、金沢・南砺へ変更し、城端と曳山見物が旅のハイライトになりました。

さて、城端塗ですが、城端へ行けばきっと出合える気がしていましたが、
未知の町、しかも曳山祭の最中ということもあり、難しかったです。(以下省略)

 

その旅の折にはご縁がなくすっかり忘れていたような・・・いいえ、漠然とですが城端塗の棗を長い間探していたような気がします・・・。

東京美術倶楽部・正札市で赤楽茶碗の他にもう一つご縁があった茶道具があります。城ヶ端(じょうがはな)塗の茶器です。

2階の特選売り場に城ヶ端塗と書かれた茶器が展示されていました。

とても古いもののようで、「ヒビあり」という表示と100万円近い値札があって、手に取るのも怖く、城端塗を城ヶ端塗と呼んでいるのかしら?・・・と。勝手に城端塗=城ヶ端塗と思い込んだようです・・・。

あの時にもっとしっかり出品者にお尋ねしておけば良かったと後悔しています。

そのあとで4階の売り場で城ヶ端塗の茶器に出会いました。

「唐子蒔絵茶器 城ヶ端塗 前畑春斎」とあり、赤地に唐子たちが遊んでいる蒔絵が色鮮やかに描かれています。

形が面白く置蓋になっているのも、かわいらしい唐子の文様も気に入り、この茶器を使ってみたいと購入を決めました。

 

   (ベランダ席は寒いので膝毛布、中は薪ストーブが暖かです)

家に帰ってから説明書を読み、城ヶ端塗とは城端塗とは違うことがわかりました。

説明書には次のように書かれていました。

城ヶ端蒔絵茶器(じょうがはなまきえちゃき)

薄茶器の一種。朱・緑・黄・黒などの色漆で文様を描き、その輪郭線と細部を金蒔絵として、朱または黒漆地に研ぎ出し手法で図柄を表わした特殊な蒔絵茶器。

初期作品は文化文政期(1804~30)の制作と思われ、明治・大正・昭和にも同系統の茶器が作られている。

文様は水仙・松竹梅・菊・牡丹獅子・鳳凰その他があり、木地は極めて薄く、置蓋作りが多い。

紛らわしいが、城端蒔絵(治五右衛門塗)とは技術・感覚共に全く異なるものであり、蒔絵の技術は極めて高度で、洗練されたものが多い。治五右衛門塗の彩色技法を採り入れた江戸での製作品ではなかろうか。

 

        (城ヶ端塗の茶器)

追い求めていた城端塗の棗は今回も幻に終わりましたが、入手した城ヶ端塗茶器がこれからいろいろ活躍してくれそうです。 楽しみ!