東海道ハイキングの帰りに、バスで偶然出逢った友人から
茶会へ誘われました。
「4月に茶会があるけれど、ご一緒にいかが?」
「茶会ねぇ・・(実は茶会は敬遠気味なのです)
いつ、何処でするの?」
「去年友人に誘われて初めて行った茶会がとても良かったの。
4月18日(日)、場所は浅草の伝法院・・」
「行きます!ご一緒させてください!」
場所を聞いてすぐに行くことに決めました。
伝法院は、茶室「天佑庵(てんゆうあん)」がある浅草寺の本坊で、
今まで中へ入れる機会がありませんでした。
しかも、茶会は五席あり、その中に「天佑庵」が含まれているそうです。
天佑庵は、天明年間(1781-1789)に尾張名古屋の茶人・牧野作兵衛が
表千家の不審庵を写して造った茶室です。
不審庵写しとしては最古と言われています。
その後、向島の徳川圀順邸、上目黒の津村重舎邸と変遷を重ね、
その間、関東大震災や第二次世界大戦による被災を奇跡的に免れました。
昭和33年10月に五島慶太氏や浅草寺婦人会の尽力によって
伝法院へ移築され、「天佑(天のたすけ)庵」と名付けられて
現在に至っています。都の重宝に指定されています。

名古屋から向島の水戸徳川家への移築には、
東都茶会記の筆者・高橋箒庵が深く関わっていて
地名に因み「嬉森庵(きしんあん)」と名付けられました。
大正5年(1916)12月に高橋箒庵が亭主となり、
益田鈍翁、原三渓らが招かれた茶室開きの様子が「茶会漫録」に
益田鈍翁手記・野崎幻庵併記で書かれていて興味深いです。
益田鈍翁はその席の様子を次のように記しています。
(前略)・・次に席の全体に目を放てば、新席にてしかも新席にあらず。
最も時代ある三畳台目なるが、庵主の出入口は普通の式とは反対の側にあり、
かれこれ不思議に思いおる折柄、庵主(箒庵)はその出入口をあけてヌッと出で、
三四歩進みたる処にてくるりと廻りて挨拶す。・・(後略)
さて、茶会当日、友人に連れられて伝法院通りにある大きな黒門の
脇にある通用門から伝法院へ初めて入りました。
そこは雷門や仲見世の賑わいから想像できない静かな別天地でした。
しだれ桜と若葉を美しく水面に写す池泉廻遊式庭園は
寛永年間に小掘遠州によって作庭されたと伝えられています。
茶会は素晴らしい庭園に面した大書院で二席、新書院で二席、
そして天佑庵の五席で行われていました。
(次へ)
写真は、「天佑庵」と「小掘遠州作と伝える庭園から大書院を望む」
茶会へ誘われました。
「4月に茶会があるけれど、ご一緒にいかが?」
「茶会ねぇ・・(実は茶会は敬遠気味なのです)
いつ、何処でするの?」
「去年友人に誘われて初めて行った茶会がとても良かったの。
4月18日(日)、場所は浅草の伝法院・・」
「行きます!ご一緒させてください!」
場所を聞いてすぐに行くことに決めました。
伝法院は、茶室「天佑庵(てんゆうあん)」がある浅草寺の本坊で、
今まで中へ入れる機会がありませんでした。
しかも、茶会は五席あり、その中に「天佑庵」が含まれているそうです。
天佑庵は、天明年間(1781-1789)に尾張名古屋の茶人・牧野作兵衛が
表千家の不審庵を写して造った茶室です。
不審庵写しとしては最古と言われています。
その後、向島の徳川圀順邸、上目黒の津村重舎邸と変遷を重ね、
その間、関東大震災や第二次世界大戦による被災を奇跡的に免れました。
昭和33年10月に五島慶太氏や浅草寺婦人会の尽力によって
伝法院へ移築され、「天佑(天のたすけ)庵」と名付けられて
現在に至っています。都の重宝に指定されています。

名古屋から向島の水戸徳川家への移築には、
東都茶会記の筆者・高橋箒庵が深く関わっていて
地名に因み「嬉森庵(きしんあん)」と名付けられました。
大正5年(1916)12月に高橋箒庵が亭主となり、
益田鈍翁、原三渓らが招かれた茶室開きの様子が「茶会漫録」に
益田鈍翁手記・野崎幻庵併記で書かれていて興味深いです。
益田鈍翁はその席の様子を次のように記しています。
(前略)・・次に席の全体に目を放てば、新席にてしかも新席にあらず。
最も時代ある三畳台目なるが、庵主の出入口は普通の式とは反対の側にあり、
かれこれ不思議に思いおる折柄、庵主(箒庵)はその出入口をあけてヌッと出で、
三四歩進みたる処にてくるりと廻りて挨拶す。・・(後略)
さて、茶会当日、友人に連れられて伝法院通りにある大きな黒門の
脇にある通用門から伝法院へ初めて入りました。
そこは雷門や仲見世の賑わいから想像できない静かな別天地でした。
しだれ桜と若葉を美しく水面に写す池泉廻遊式庭園は
寛永年間に小掘遠州によって作庭されたと伝えられています。
茶会は素晴らしい庭園に面した大書院で二席、新書院で二席、
そして天佑庵の五席で行われていました。
(次へ)

写真は、「天佑庵」と「小掘遠州作と伝える庭園から大書院を望む」