夏休みの旅行で、新潟、長野方面へ出かけました。
7月18日、柏崎市にある「木村茶道美術館」を訪ねました。
木村茶道美術館は昭和59年11月、柏崎市の松雲山荘内に
故木村寒香庵(かんこうあん)の篤志により開館されました。
寒香庵遺愛の書、絵画、茶道具などが主な収蔵品ですが、
各界からの茶道具の寄贈品もあり、さらに発展している美術館です。
実は「木村茶道美術館」は知る人ぞ知る美術館でして、
館蔵品の茶道具を実際に使用して、
席主が説明しながらお点前してくださる茶席(清風茶席)が
毎日楽しめるのが、最大の特長です。
これは木村寒香庵の
「使ってこそお道具であり、使わなければお道具が死んでしまいます」
との考えからだそうです。
それで今回、この茶席をとても楽しみに伺ったのでした。

長岡を出発して10時に着いたので、最初のお客さんでした。
館長さんが展示中の「寒香庵好展」と「掛物展」の説明を
丁寧にしてくださり、いろいろお話が弾みました。
お好み展らしく、寒香庵が考案した富士棚が目を惹きました。
下村観山が描いた富士山の絵を生かして特別に作らせたそうです。
他にも繊細で優雅な四方卓や冠卓があり、黒漆の艶やかさに魅せられました。
茶道具では、黒楽茶碗 常慶作 銘「常盤」や
古帖佐 小服茶碗が印象に残りました。
慶長の役で薩摩の島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工が
帖佐村(現・鹿児島県姶良市)で焼物を始めた事から、
その当時のものを古帖佐焼と呼ぶそうです。

「掛物展」では、
書に興味を持ち始めた主人のお気に入りが二つありました。
一つは加賀千代女の鶯の画賛です。
字も美しく、鶯が今にも飛び立ちそうに描かれていました。
えーと、俳句は・・・メモするのを忘れました・・。
もう一つは、魯山人が良寛の書と共に絶賛したという
副島種臣が書いた「龍」の一字です。
私は松花堂筆の布袋の画賛がお気に入りです。
余白、墨の濃淡の表現が枯淡の味わいです。
布袋らしくない修行僧のような布袋さまでした。
館長さんに案内されて、お待ちかねの清風茶席へ向いました。
(2)へ
写真は、「木村茶道美術館入り口」、「松雲山荘の東屋」、
「茶席の花」です。
7月18日、柏崎市にある「木村茶道美術館」を訪ねました。
木村茶道美術館は昭和59年11月、柏崎市の松雲山荘内に
故木村寒香庵(かんこうあん)の篤志により開館されました。
寒香庵遺愛の書、絵画、茶道具などが主な収蔵品ですが、
各界からの茶道具の寄贈品もあり、さらに発展している美術館です。
実は「木村茶道美術館」は知る人ぞ知る美術館でして、
館蔵品の茶道具を実際に使用して、
席主が説明しながらお点前してくださる茶席(清風茶席)が
毎日楽しめるのが、最大の特長です。
これは木村寒香庵の
「使ってこそお道具であり、使わなければお道具が死んでしまいます」
との考えからだそうです。
それで今回、この茶席をとても楽しみに伺ったのでした。

長岡を出発して10時に着いたので、最初のお客さんでした。
館長さんが展示中の「寒香庵好展」と「掛物展」の説明を
丁寧にしてくださり、いろいろお話が弾みました。
お好み展らしく、寒香庵が考案した富士棚が目を惹きました。
下村観山が描いた富士山の絵を生かして特別に作らせたそうです。
他にも繊細で優雅な四方卓や冠卓があり、黒漆の艶やかさに魅せられました。
茶道具では、黒楽茶碗 常慶作 銘「常盤」や
古帖佐 小服茶碗が印象に残りました。
慶長の役で薩摩の島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工が
帖佐村(現・鹿児島県姶良市)で焼物を始めた事から、
その当時のものを古帖佐焼と呼ぶそうです。

「掛物展」では、
書に興味を持ち始めた主人のお気に入りが二つありました。
一つは加賀千代女の鶯の画賛です。
字も美しく、鶯が今にも飛び立ちそうに描かれていました。
えーと、俳句は・・・メモするのを忘れました・・。
もう一つは、魯山人が良寛の書と共に絶賛したという
副島種臣が書いた「龍」の一字です。
私は松花堂筆の布袋の画賛がお気に入りです。
余白、墨の濃淡の表現が枯淡の味わいです。
布袋らしくない修行僧のような布袋さまでした。
館長さんに案内されて、お待ちかねの清風茶席へ向いました。
(2)へ

写真は、「木村茶道美術館入り口」、「松雲山荘の東屋」、
「茶席の花」です。