残暑お見舞い申し上げます
昨日は立秋でしたが、まだまだ暑いですね。
お久しぶりです。
田舎へ行って体調も戻り、ブログへ復帰することができました。
8月4日から主人の故郷の愛媛県西予市へ法事で帰っていました。
西予では1か月遅れの七夕で、いろいろな七夕の逢瀬がありました。
七夕は、元は棚幡(たなばた)と書き、
お盆に故人をお迎えするための精霊棚と棚をかざる幡(はた)を設える日で、
7日の夕方からするので七夕になったそうです。
亡き両親に代り宿をしてくださった叔父さんが6日に山から竹を切り出してきました。
これに願い事を書いた短冊や折り紙を飾りつけ、7日の夕方に家の軒先に飾ります。
見慣れている七夕かざりと同じですが、これは新しい仏様がいない家の飾り方で
新盆の七夕かざりは違うそうです。
6日の昼には出発するので、名残りを惜しんで家族四人で
短冊に願いごとを何枚も書きました。
「おじさん、おばさん、ありがとう。いつまでもお元気で!」
「今度こそ痲雀の仇をとるぞ」
「お世話になりました。思い出をいっぱいありがとう」
「必ずまた来ます。元気で待っていてください」
8日には七夕かざりを諸々の厄災と一緒に海へ流したそうですが、
今では海を汚さないために焼却処分です。
無事に法事や墓参りを済ませ、旅の途中で内子町へ寄りました。
内子ではちょうど「内子笹まつり」(8月6~8日)の最中で、
商店街に笹かざりが美しく飾られていました。
大きな薬玉や吹き流しから短冊や折り紙で飾られた笹かざりまで
どれも手づくりだそうです。
内子は、江戸時代後期から明治時代にかけて和紙や
木蝋(もくろう)の生産地として繁栄しました。
蝋は、ハゼ(ウルシ科)の実を蒸してから圧搾して、絞り出した脂(あぶら)で、
蝋燭、種々の油類、薬品に使われました。
大正時代になると、世の灯りは蝋燭から電気へ移っていきます。
今でも和蝋燭を製造販売しているという大森和蝋燭屋へ寄りました。
蝋燭づくりを見学し、煤(すす)が少ないという和蝋燭を買いました。
夕去りまたは夜咄しの茶事に使う予定です。
漆喰塗籠め造りの町家、木蝋と輸出で財を成した豪商の屋敷などが
当時の町並みのまま残っていて、木蝋がもたらした栄華を今に伝えています。
笹かざりで彩られた古い町並みはちょっぴり華やかでいて
一抹の寂寥を感じる西予の旅の一コマです。
内子座については次回に・・・。
(西予の旅 次へ)
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写真は、「内子笹まつり」と「大森和蝋燭屋」です。