(風炉の最終日の床です)
10月30日に風炉の稽古が終わり、翌日から風炉から炉へ変わる作業に勤しんでいます。
最初に取り組んだのは炭の準備でした。台風の予報が出ていたので、早めに炭を切ったり、洗ったり、乾かさなくってはなりません。
いつも思うことですが、炉の炭の大きさに驚き、あっという間に箱炭斗がいっぱいになりそうです。特に胴炭は大きすぎて、うちの様な少人数の教室ではため息が出るような大きさです。
細めの胴炭、丸ぎっちょ、丸管、割管が足らないので、ツレに頼んで一尺物から切ってもらいました。
秋の陽を浴びながら庭の小さな洗い場で炭を洗い、濡れ縁に並べて干すと、その日の作業は終了。腰に来るので2時間以内で切り上げるようにしています。もう一箱分が必要なので数日かけて少しずつ準備していきますが、それでも元気に準備できることが嬉しいです。
(花は薄、紫蘭、雪柳、秋明菊)
(暑さに耐え、野紺菊が咲きました!)
今日(2日)は朝から雨になり、外の作業は一休み。
一家で横浜DNAを応援していますが、日本シリーズ第6戦が雨で中止となりました。それで、心穏やかに古い本を引っ張り出して読みだしたら、これが面白く奥深く勉強になりました。
本は「なごみ 2010年11月号」で、特集は「炉開きによせて知る 茶壷入門」です。
「唐物茶壷と茶の湯」(文・佐藤豊三 徳川美術館専門参与)より抜粋
初夏に摘んだ茶葉を精製して壷に保管し、夏を越え、立冬を迎える季節になると、炉開きをかねて壷の口切り茶事が催される。この催しは「茶の湯正月」と呼ばれるほど重要な行事で、主役が茶壷で、その多くは唐物茶壷が用いられる。唐物茶壷は、葉茶の保管・運搬・熟成に最も適した容器として鎌倉時代後期の十四世紀前期には用いられていたようである。
鎌倉時代から室町時代にかけて、唐絵・唐物が流行した。唐絵すなわち中国水墨画、青磁や唐銅花入、建さん天目、堆朱・堆黒の工芸品がもてはやされた。これらは一口で言えば、端正な美しさと姿をもった伝統の美である。
唐物の茶壷はその基準と異なり、釉薬が施されているが釉調は不均一で、一部には窯変も出ている。胎土も精製不十分な土で火膨れがあり、爆ぜたりもして、形姿は端正ではなく歪んでいる。唐物茶壷の受容は、端正な美を求める伝統の美とは異なり、不均一の美、粗野の美ともいうべき新しい美意識を日本人が求めたことにある。いわば「粗相の美」である。
この美意識がのちに珠光、紹鷗、利休らによって採りあげられ、茶の湯世界における「侘びの美」を形成していくことになる。(まだまだ興味ある内容が続きますが・・・略)
(散歩道のホトトギス)
茶摘み前に茶壷を茶商に預けて葉茶を詰めてもらい、立冬を迎えるころに茶壷が届けられ、壷の口切りが行われたそうですが、口切りの行事としてその形を今に伝えていければ・・・と、毎年「炉開きと口切りの会」を開催しています。
令和6年11月10日に暁庵の茶道教室恒例の「炉開きと口切の会」を行う予定なので、茶壷の準備や茶道具を調えなくてはなりません。
我が家にもハレの日に備えて2つの茶壷があります。もちろん唐物茶壷ではなく現代の和物ですが、最初に求めたのが丹波焼の茶壷(市野信水造)、もう一つは京焼の色絵吉野山茶壷(仁清写?、青竺造)、それぞれの形姿、釉薬や絵の違いが趣深く、どちらも大のお気に入りです。
京都の茶商に茶壷の葉茶の詰めを頼めば楽でしょうが、口切りの仕事として自分で詰めることにしています。
先ずは木の蓋や茶壷の口縁の古い紙をきれいに取り除き、新しい和紙を貼ることから始めます。毎年のこととはいえ、この作業が結構大変で難しいです。しっかり糊が乾いた翌日に薄茶の茶葉を詰め変えて茶銘を書いた半袋3つ(濃茶用)を入れて、さらに葉茶を口まで入れて、和紙で封印をします。
今年の口切りはKTさんが名乗りを上げてくださいました。前にも書きましたが、京都で暮らした3年間は口切をしなかったので、帰ってからは毎年我が家で口切りをしたいと思い、名乗りを上げてくださる生徒さんがいらっしゃる限り、続けていきたいと願っています。
今年は「口切りを拝見したい・・・」と、ゲストの方が参加してくださることになり、張り切っています。