暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「野月の飯後の茶事」・・・その3

2021年10月18日 | 社中の茶事(2018年~)

            (後座の床は「白珪尚可磨」)

(つづき)

日の入りは17時13分、露地はまだ明るく灯火はいりませんが、茶室はだいぶ暗くなっています。秋の日は短く、あっという間に暗くなっていき、濃茶の時間は刻々と部屋の暗さが増していく時間でもあります。

後入りの鳴り物は喚鐘です。大小中中大の5点鐘が夕闇近い露地に響きました。

後座では床と点前座横に灯火を置きました。

床のお軸は「白珪尚可磨」、紫野黄梅院の太玄老師の御筆です。

 

     (手前は織部焼の南蛮人燭台です)

蝋燭の灯が揺らぐ中、濃茶点前が進められ、丁寧に練られた濃茶が出される頃には暗くなったので、半東が手燭をお出ししました。

濃茶は坐忘斎御家元好「雅松の昔」、賓水園詰(愛知県西尾市)です。愛知県はご亭主AYさんの故郷でもあり、西尾市は抹茶の生産が盛んだそうで、とてもまろやかで美味しい濃茶です。

茶碗や茶入は1年をかけて故郷の骨董店、旅行先の窯元、茶道具屋を探しまわり、素敵なご縁があったそうで、どれもご亭主の思い入れの溢れたものばかりです。

主茶碗は黒楽、八事窯(名古屋市昭和区)4代目中村道年作です。替茶碗は赤楽、安加比古窯(愛知県蒲郡市)初代加藤竹宝(酉翁)作でした。

茶入は古瀬戸の撫肩衝、形も優しく釉薬の景色も味わい深いものでした。鵬雲斎大宗匠の御銘で「鳴子」、仕覆は紺地花鳥緞子です。

薄茶になり、箕に盛られた菓子が運ばれました。飯後の茶事は菓子茶事ともいわれ、菓子が楽しみな茶事でもあるのですが、全国津々浦々(?)から選ばれた3種の菓子はどれも素晴らしく、ご亭主の並々ならぬ気合を感じます。

「秋やまじ琥珀(甘柿)」は霜月製(京都市北区西賀茂)、「窓(もなか あんバター・栗)」は茶菓工房たろう製(金沢市)、「秋の花(落雁)」創作菓子・悠製(鳥取市)でした。

 

         (箕に3種の干菓子が盛られました)

薄茶点前は半東HM氏がつとめました。ご亭主は安心して半東にお任せして、茶碗や棗などのお道具や、お客様との素敵な縁のお話がいつまでも弾んだことでしょう。

薄器は江戸時代に作られた小棗で箱書き(月廼家宗庵)に「野月棗」とあり、武蔵野蒔絵(月とススキ)が描かれています。灯火に照らされるとススキが揺らめくように見え、一段と味わいが増すようです。

1年ほど前に故郷の茶会でこの「野月棗」に出逢い、その後ご縁があってAYさんの元にやって来たました。

箱裏に和歌が書かれていて、この棗と和歌に因んで「野月の飯後の茶事」としました。

   武蔵野は月の入るべき山もなし

        草より出でて草にこそ入れ   

薄茶は坐忘斎御好「月陰の白」、中村茶舗詰(島根県松江市)です。

最後に茶杓ですが、濃茶と薄茶共に同じ茶杓で、玉龍寺(三重県)の明道老師作、銘「好日」です。

 

     (真っ暗闇の露地)

お終いの挨拶を交わす頃には露地は真っ暗闇、足元行灯だけが浮かび上がっています。

一期一会の万感の思いを込めて、亭主がお客さまをお見送りしました。

東南の空には清々しい野月(月齢3.7)が顔を出し、「野月の飯後の茶事」を祝っているようでした。

(つづく)

 

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