暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

四国遍路   由岐の思い出

2009年07月12日 | 四国遍路
第一巡目、美波町由岐での忘れられない思い出があります。

二十二番札所平等寺までは山の道ですが、
そこから室戸そして高知を経て足摺岬までは海の道になります。
日和佐の二十三番札所薬王寺へ向かう途中、由岐で海に出あいました。

どこでお昼を食べるかは遍路中の楽しみの一つです。
海の道には海鮮料理のレストランがあるはずだと思い込み、
その日は昼食を何も用意していなかったのです。

由岐に近づくと、期待通りイセエビ、アワビ料理を謳った
レストランの看板が目に飛び込んできました。
イセエビも悪くないな・・・十二時を過ぎていましたが、
三キロ先のそのレストランまで歩くことにしました。

県道から少し入ったところにおしゃれなレストランを見つけ、
遍路姿のまま中へ入ると、ご主人が
「うちは予約しか受け付けていないのです。
 それに今日はこれから団体さんがお見えになるので、
 申し訳ありませんがお昼をお出しできません・・・。」
と言うではありませんか。

無理も言えないので「わかりました」とすぐに外へ出ました。
来る途中に食堂も店もなかったので、内心途方にくれながら、
店の前の縁台にリュックを下ろしました。
休まず歩いてきたので、休憩しないと私の足は一歩も先へ進めません。

すると、奥さんが黒糖入りのコッペパン二個と缶コーヒーを
載せたお盆を持ってきて
「折角来て頂いたのにごめんなさい。これはお接待です。」
はらぺこの私はお接待に感謝して、お礼に納め札を手渡しました。

木陰の縁台でレストランの番犬と一緒に
いただいたコッペパンの何とおいしかったことか。
到着した団体さんの視線も何のその、夢中で食べました。
・・・そして、この縁台こそが遍路である私にふさわしいことを
思い知らされたのです。

「いつまでも何をやっているのかッ!
 遍路はその分をわきまえて、俗世の欲望を捨て去り、
 簡素な生活をこころがけるように」
と、お大師さまに喝を入れられた思いがしました。
やっとやっと、遍路開眼です。

こうして、いろいろなことを体験しながら、
「お遍路さん」になっていきました。
                   

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四国遍路・一期一会   由岐(雪)点前

2009年07月10日 | 四国遍路

第二十番札所鶴林寺と第二十一番札所太龍寺を打って、
以前から泊ってみたかった、龍山荘に宿泊しました。

龍山荘から第二十二番札所平等寺を経て、
第二十三番札所薬王寺まで30キロの行程です。
かなりがんばって歩かなくては・・・の距離です。

月夜御水庵を過ぎ、国道へ出ると道が二つに分かれています。
迷いましたが、車とトンネルが多い国道を避けて、
前回と同じ由岐を経由する海沿いの道を選びました。

今まで山道ばかりでしたので、海へ出た時の気持ち良さを
想像すると、道の遠さも厭いません。
それに、由岐には忘れられない思い出も・・・

途中に新しく遍路小屋が建てられています。
その一つ、田井ノ浜にある遍路小屋でお接待を受けました。
美波町由岐に住む三人の女性が今日の当番だそうで、
食料や飲み物をたくさん用意して待っていてくれました。

温かいコーヒーと手作りの稲荷寿司が美味しく、
お腹も心も満たされます。
先を急ぎたい気持ちもありましたが、お礼がしたくなりました。

「たまにはお遍路さんから接待されるのもよいでしょう?」
抹茶と振り出しの霰糖をお出ししました。

「こんなことは始めてです。ありがとうございます!」
と三人の女性は嬉しそう。
「この点前は何というのですか?」
「茶箱の雪点前といいます」
「あらっ、私たちにぴったり。由岐(雪)点前ですね!」

前回訪れた時の由岐での思い出を話していると、
お遍路さんの団体がやってきました。
きびきびとお接待する三人に黙礼して、お別れしました。

田井ノ浜・遍路小屋でのんびりしすぎたので、それからが大変。
今までで一番長い30キロを歩ききって、日和佐のふなつき旅館へ
着いたのは6時を回っていました。
最後はくたびれ果てて、足を引きずりながらのゴールでした。
                          
 
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    写真提供:陸の孤島だより~美波町由岐ナビ~


四国遍路・一期一会  遍路ころがし

2009年07月09日 | 四国遍路
「遍路ころがし」と呼ばれる難所のトップは、第十一番札所藤井寺から
第十二番札所焼山寺へ至る遍路みちです。

アップダウンが多く、約6時間の行程ですが、
私は昔ながらの、この遍路みちがとても好きなのです。
汗にまみれて山道を懸命に歩くと、実に爽快な気分になります。
・・・しんどいですけどね。
何故か、お大師さまの存在を身近に感じることができる
遍路みちでもあります。

「是より焼山寺まで三里」と書かれた道しるべを横目に出発です。
藤井寺から少し登ったところで、手に野草を持った
女の人が下りて来ました。
土地の方のようです。
「こんにちは。それは何ですか?」と声を掛けると
「イタドリです。こうやって皮を剥いて噛むと
 酸味があって喉の渇きを潤してくれますよ。
 少し差し上げましょう」
3本ほど有難く頂き、時々酸味のある汁を吸い、喘ぎながら登りました。

「長戸庵」で、60代後半の男性二人連れに会いました。
コッヘルで湯を沸かし、インスタントラーメンを作っています。
聞けば、その二人は連れではなく、Aさんが朝食を食べていないと聞いて、
Bさんが手持ちのラーメンを作ってあげていたのでした。

山道ばかりの焼山寺へ行くのに朝食も食べず、食料も持たず、
おまけにBさんのお世話になって・・・
いったいAさんは何を考えて遍路しているのかしら?
そして、Bさんはとても立派な方だなぁ!と密かに思いました。

「柳水庵」の遍路小屋で、再びBさんにお会いしました。
Aさんとは歩く速度が違うので、先に来たそうです。
「一服差し上げたい」と尊敬の念をこめて申し出ました。

「焼山寺の山の中で、こんな体験ができるなんて。
 今回思い切って遍路へ来て、本当に良かったです!」
とても喜んでくれて、私も感激しました。

Bさんは尼崎の方で、不景気のため3月で仕事が打ち切られたので
四国遍路へ来てみたそうです。

先を急ぐBさんとエールを交換し、柳水庵でお別れしました。
                          

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四国遍路・一期一会  尺八さん

2009年07月08日 | 四国遍路
尺八さんとの最初の出会いは第十二番札所・焼山寺です。
焼山寺宿坊を出立すると、遍路道への分岐点に
お遍路さんらしい男性が立っていました。

遍路道を進むと、なんとその人が後から付いて来ます。
鬱蒼と杉の木立に覆われ、シャガが咲き乱れる遍路道は
急坂で、転びそうになりながら下りました。

すると思いがけず、尺八の音色が聞こえてきたのです。
遍路道のBGMにぴったりと思いながら、足を緩め
哀調を帯びた尺八の音色に聞き惚れました。

高く、低く、心の奥深く染み渡る曲です。
焼山寺下の「杖杉庵」を過ぎると、
その人の姿は急に見えなくなりました。

尺八さんと再会をしたのは第十九番札所立江寺です。
寺へ着くと尺八が聞こえたので「もしや?」
やはりあの時の尺八さんでした。

私のことを覚えていてくれて、焼山寺遍路道の心に沁み入る尺八は
「たむけ」という曲だと教えてくれました。
「これから献茶をするので、あとで一服差し上げたい」
と申し出たら、とても喜んで、私の点前を静かに見守っています。

「美味しいお茶を頂いて、何かお礼をしたいのだけれど・・・」と尺八さん。
「お礼はいりません。でも、よかったら一曲吹いていただけませんか?」
「それでは、はぜ取り唄を一曲。」

「はぜとり唄」は九州の民謡です。
はぜ(和蝋)を取るには、幼い時からはぜに身体を慣らし、
かぶれない体質にしていくそうで、過酷な労働の唄なのだそうです。

「はぜ取り唄」は静かに物悲しく、参拝者が少ない境内へ、
そして私の心の中へと拡がっていきました。

尺八さんとの出会いと再会。
無心に吹いている尺八の音色。
何とも言えないシアワセを感じて、涙が出そうになりました。

「そうだ! 私はこういう瞬間を求めて遍路の旅へ出たのだ!」

立江寺の前で尺八さんと握手をして分かれました。
戴いた「納め札」で静岡県菊川の人と知りました。
                            

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四国遍路・一期一会  石井町の渡辺さん

2009年07月07日 | 四国遍路

今日は七夕です。
天帝の怒りに触れて、引き離された彦星と織姫が
年に一度許されて、天の川を渡り逢瀬を楽しむ日です。

年に一度どころか、もう再び逢うことはないであろう
四国遍路中の一期一会、愛惜をこめて綴っています。

平成21年4月、第七番札所十楽寺の休憩所で
名西郡石井町在住の渡辺さんに出逢いました。
渡辺さんは歴史と地質が好きな女性で、
この辺りは渡辺さんのドライビングコースだそうです。

抹茶を一服飲んでいただきました。
徳島駅で購入した和三盆の干菓子をお出ししたら
「この近くに和三盆を製造している岡田製糖所があるので案内したい。
 お茶をしている貴女に役に立つと思うので・・・」
と車で連れて行ってくださいました。

和三盆糖は藍とともに阿波徳島を代表する産物です。
岡田製糖所は「竹糖」と呼ばれる砂糖きびを今でも栽培し、
機械をあまり使わずに伝統の製法を受け継いでいました。

店内で熱い緑茶をいただきながら、
つまんだ和三盆の霰糖の美味しかったこと!
上品な甘みはコクがあるのに、しつこさがありません。
緑茶の味が見事に引き立ちます。
早速、霰糖を買って振り出しへ入れました。

外へ出ると、早や夕暮れが迫っています。
宿舎の安楽寺まで送ってくださった渡辺さんと
握手をしてお別れしました。
                

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   写真は岡田製糖所の霰糖と振りだしです。