ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

ふとしたことから、小石川後楽園に行ってきました

2010年10月08日 | 季節の移ろい
 あの水戸黄門ゆかりの特別史跡・特別名勝「小石川後楽園」に行ってきました。
 東京都新宿区の飯田橋駅辺りで時間をいくらか過ごす必要があり、どこに行くか思案したうえで、小石川後楽園を選びました。日ごろは、行けそうでなかなか行かない所です。ウメやサクラのベストシーズンには残念ながら行ったことがありません。東京の庭園にベストシーズンに行くのは至難の業です。今回も、予想以上に入園者が多くいました。

 地下鉄丸の内線の後楽園駅からでも、JR飯田橋駅からでも、ほぼ同じ距離と聞いて、飯田橋駅から歩きました。徒歩8分との表示でした。途中にキンモクセイの木が多く、独特の香りが漂っていました。

 小石川後楽園は水戸徳川藩の中屋敷(後に上屋敷)としてつくられたもので、庭園は2代目藩主の水戸光圀(水戸黄門)の代にできたそうです。10月初めは、花木の端境期でした。春から夏にかけてのウメ、サクラ、フジ、ハナショウブ、スイレンの見ごろが終わり、草木の緑が少し紅葉する前の様子でした。


 中に設けてある小さな田んぼで稲刈りが終わり、稲穂が天日干ししてありました。田んぼは、ハナショウブやフジ棚のある地域の近くに毎年つくられます。


 畔のような感じの所に、ヒガンバナが咲き、緑色のバックに鮮やかな深紅の花が目立ちました。すぐ側に、ハギが植えてあり咲いています。一般的な濃い桃色のハギの花は少し盛りを過ぎていました。白色の仙台ハギが見ごろでした。

 屋敷と庭園は、現在は東京都文京区後楽にある東京ドームや後楽園遊園地、小石川後楽園などの集合地域になっています。小石川後楽園の中心となる、大きな池の「大泉水」を囲む森のバックは東京ドームが借景になっています。東京ドームは白い大きな雲が背後にあるように見えます。


  高層ビルがいくつか、森の上に出ています。江戸時代の水戸藩士が想像もしなかっただろう景色になっています。

 「後楽園」とは、中国の「岳陽桜記」(がくようろうき)の文章の「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」に由来する名前です。小石川後楽園は、水路を巧みに配した構成の庭園です。江戸時代の神田上水を引き込み、疎水から大きな池の大泉水に流れ込んでいました。滝もあります。池の一部はハス池です。ハスも花が終わり、逆三角錐の独特の実ができていました。大きなコイが多数、泳いでいました。コイの餌を狙って、カルガモが寄ってきます。カラスも狙っています。

 当初思ったよりも入園者が多数いました。年配者の方を中心に皆さん、ゆったりと散策していました。次回は、ウメかサクラか、ハナショウブの最盛期に来たいと考えました。6月上旬のハナショウブの開花期はなかなか見ごろだそうです。飯田橋駅から少し歩くと、江戸時代の雰囲気を感じられる庭園があることが、東京の魅力の一つです。