長府毛利藩5万石の城下町として栄えた下関市長府に行ってきました。
長府は、城下町としての面影を残す努力をしていました。壇具川(だんぐがわ)は下流に錦鯉が放流され、その上流はホタルの名所です。ゲンジボタルが住む清流の小川としてよく整備されています。小さな清流沿いに10数分歩くことは、とても気分が良かったです。
上流の功山寺(こうざんじ)から下流に向かって長府藩侍屋敷長屋まで10数分で歩けます。団体の観光客はバスを下流側に停めて、観光案内の方を先頭に10数人が川沿いを登っていきます。比較的お年寄りの方が多いのですが、皆さんゆっくりと登っていきます。周囲の住宅街の景色がそぞろ歩きを誘います。
現在ホタルの生息数は、かなり少なくなっているようです。壇具川ホタル保存プロジェクト委員会によると、ホタルは今年はほとんど飛ばなかったとのことです。ホタルがごく普通の住宅地に生息することの難しさが伝わります。住宅地から排出されるものや、道路を走る自動車の排ガスが影響しているとのことです。
上流側にある功山寺は鎌倉時代に創立された長府毛利家の菩提寺です。日本最古の禅寺様式を残す曹洞宗の古刹(こさつ)です。国宝だそうです。
功山寺は、戦国時代の弘治3年(1557年)に毛利元就(もうしもとなり)に追われた大内義長(おおうちよしなが)が自害した地であり、江戸時代末期に高杉晋作(たかすぎしんさく)が挙兵し、明治維新のきっかけをつくった地です。歴史の重なりがすごいです。
周防灘に流れ下る壇具川も、弥生時代に神功皇后が出陣する際に、ここに壇を築いて祭事を行い、祭事に使った道具類を流したという故事にちなんで壇具川と名付けられたとのことです。神話時代の感じです。歴史の重みがすごいです。
功山寺の北東側には長府毛利邸(ちょうふもうりてい)があります。長府毛利家の14代当主の毛利元敏(もうりもととし)が明治36年(1903年)に建てた邸宅です。大正8年(1919年)まで長府毛利家の本邸として利用されたそうです。母屋は質実剛健な内装でした。
見所は日本庭園です。池泉回遊式庭園は石灯篭、楓(かえで)、池などが絶妙に配置されているそうです。花期が途切れ、紅葉には早い時期でした。紅葉に時がお薦めだそうです。
今回感心したのは城下町としての面影を残すために、住宅の周囲の塀をできるだけ統一し、昔の面影を残そうとしてることでした。長府毛利邸の東側から伸びている古江小路(ふるえしょうじ)は外壁が統一され、江戸時代の感じを保っています。
この古江小路の途中には。侍医(じい)・侍講(じこう)職を務めた家柄の菅家の長屋門(ながやもん)があります。観光地として打ち出すために、できるだけ城下町としての面影を残そうと努めている姿勢に感心しきりでした。
花期ではないため、少し離れた長府庭園には足を運びませんでした。サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが四季折々を飾るそうです。歩けば10数分の狭い地域で、古い町並みを残す努力を続けている成功例のようでした。
長府は、城下町としての面影を残す努力をしていました。壇具川(だんぐがわ)は下流に錦鯉が放流され、その上流はホタルの名所です。ゲンジボタルが住む清流の小川としてよく整備されています。小さな清流沿いに10数分歩くことは、とても気分が良かったです。
上流の功山寺(こうざんじ)から下流に向かって長府藩侍屋敷長屋まで10数分で歩けます。団体の観光客はバスを下流側に停めて、観光案内の方を先頭に10数人が川沿いを登っていきます。比較的お年寄りの方が多いのですが、皆さんゆっくりと登っていきます。周囲の住宅街の景色がそぞろ歩きを誘います。
現在ホタルの生息数は、かなり少なくなっているようです。壇具川ホタル保存プロジェクト委員会によると、ホタルは今年はほとんど飛ばなかったとのことです。ホタルがごく普通の住宅地に生息することの難しさが伝わります。住宅地から排出されるものや、道路を走る自動車の排ガスが影響しているとのことです。
上流側にある功山寺は鎌倉時代に創立された長府毛利家の菩提寺です。日本最古の禅寺様式を残す曹洞宗の古刹(こさつ)です。国宝だそうです。
功山寺は、戦国時代の弘治3年(1557年)に毛利元就(もうしもとなり)に追われた大内義長(おおうちよしなが)が自害した地であり、江戸時代末期に高杉晋作(たかすぎしんさく)が挙兵し、明治維新のきっかけをつくった地です。歴史の重なりがすごいです。
周防灘に流れ下る壇具川も、弥生時代に神功皇后が出陣する際に、ここに壇を築いて祭事を行い、祭事に使った道具類を流したという故事にちなんで壇具川と名付けられたとのことです。神話時代の感じです。歴史の重みがすごいです。
功山寺の北東側には長府毛利邸(ちょうふもうりてい)があります。長府毛利家の14代当主の毛利元敏(もうりもととし)が明治36年(1903年)に建てた邸宅です。大正8年(1919年)まで長府毛利家の本邸として利用されたそうです。母屋は質実剛健な内装でした。
見所は日本庭園です。池泉回遊式庭園は石灯篭、楓(かえで)、池などが絶妙に配置されているそうです。花期が途切れ、紅葉には早い時期でした。紅葉に時がお薦めだそうです。
今回感心したのは城下町としての面影を残すために、住宅の周囲の塀をできるだけ統一し、昔の面影を残そうとしてることでした。長府毛利邸の東側から伸びている古江小路(ふるえしょうじ)は外壁が統一され、江戸時代の感じを保っています。
この古江小路の途中には。侍医(じい)・侍講(じこう)職を務めた家柄の菅家の長屋門(ながやもん)があります。観光地として打ち出すために、できるだけ城下町としての面影を残そうと努めている姿勢に感心しきりでした。
花期ではないため、少し離れた長府庭園には足を運びませんでした。サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが四季折々を飾るそうです。歩けば10数分の狭い地域で、古い町並みを残す努力を続けている成功例のようでした。