今回は2005年1月16日付け「日経新聞」広田照幸氏の「今を読み解く」から、今なにかと話題になっている、若者と就業ということを考えてみたいと思う。
今回この記事では『若者たちに何が起こっているのか』(中西新太郎)、『「個性」を煽られる子どもたち』(土井隆義)などの書物を紹介しながら、若者と就業ということを論じている。
現代は、目標なき時代。
などとよく言われる。
戦後なら、欧米に追いつけ追い越せとにかく働けばよかった。
そして、経済も成長しみな物質的な幸せを謳歌していた。
そんな過去への思いと対比されて使われることが多い表現である。
そんな時代を生きる若者は、目標を意識的に持つようにしなければ、パワーを持って生きていけない。よく言えば、自発的主体的に生きられるすばらしい時代だ。
悪く言えば常に方を張り、自分というものを見つめ続け、それを研磨し続けなければ競争に勝ち残っていけない時代。
こんな時代に対しこの、記事を書いた広田照幸氏(東京大学助教授)は以下のように提案する。
:性急な「私探し」を子どもたちに求めないという方向である。
「自己」とは長い時間をかけて社会的に作られるものだ、ということを子供たちに理解してもらう必要がある。
学生時代に「自分とは」と悩んだ人が仕事に打ち込み家庭を持って一生懸命に生きてきて、ある時ふと、かけがえのない「自分らしさに」に気づく、といったことは、多くの大人が経験してきたはずである。
「自分らしさ」を急いで要求しない社会、というものをデザインできないだろうか。
と。
まさに問題の所在を突いている指摘であるといえる。
「自分らしさ」という虚構のものを追い求めるあまり、虚構により苦しめられ、現実という社会にふみ出せない。
これが広田氏もいうように、ニートであり、フリーターの問題につながるのではないかと、生の若者からして思える。
自分の方向性をあれやこれやと悩みながらも、とりあえずあれこれ社会に足を突っ込んでみる。
これしか、とりあえずの解決策はなそうである。
恐れずに、自己の虚構を現実社会の中に一度どっぷりつけてみる。
すべてはそれから始まるということに気づかなければならない。
------------------------------
参考文献:『新聞記事が「わかる」技術』北村肇
~参考文献と関連させて
同じく1月16日付の日経にこんな広告があった。
「『仕事探し』の強力サポーター それが新聞の案内広告です」
と。
これを読書、情報収集という行為についてもじるなら、
「『情報探し』の強力なサポーター それが日曜、月曜の新聞です」
という風にいえる。
なぜか?
まず一般的に日曜、月曜の新聞はニュースが少ないといわれる。
そのため、生活面などの情報が増える。
それに加えて、増えるのが本情報である。
特に日曜日は、今話題のテーマに関する本を著名な人が書評として書いてくれている。
なんとも贅沢なことだろう。
話題のトピックを日本を代表するような知性と一緒にタイムリーに考えられるのだ。
対して、月曜日の新聞には新しい雑誌の広告が多いように思える。
新聞は最新情報の総合ターミナルといった性格もあるのだ。
今回この記事では『若者たちに何が起こっているのか』(中西新太郎)、『「個性」を煽られる子どもたち』(土井隆義)などの書物を紹介しながら、若者と就業ということを論じている。
現代は、目標なき時代。
などとよく言われる。
戦後なら、欧米に追いつけ追い越せとにかく働けばよかった。
そして、経済も成長しみな物質的な幸せを謳歌していた。
そんな過去への思いと対比されて使われることが多い表現である。
そんな時代を生きる若者は、目標を意識的に持つようにしなければ、パワーを持って生きていけない。よく言えば、自発的主体的に生きられるすばらしい時代だ。
悪く言えば常に方を張り、自分というものを見つめ続け、それを研磨し続けなければ競争に勝ち残っていけない時代。
こんな時代に対しこの、記事を書いた広田照幸氏(東京大学助教授)は以下のように提案する。
:性急な「私探し」を子どもたちに求めないという方向である。
「自己」とは長い時間をかけて社会的に作られるものだ、ということを子供たちに理解してもらう必要がある。
学生時代に「自分とは」と悩んだ人が仕事に打ち込み家庭を持って一生懸命に生きてきて、ある時ふと、かけがえのない「自分らしさに」に気づく、といったことは、多くの大人が経験してきたはずである。
「自分らしさ」を急いで要求しない社会、というものをデザインできないだろうか。
と。
まさに問題の所在を突いている指摘であるといえる。
「自分らしさ」という虚構のものを追い求めるあまり、虚構により苦しめられ、現実という社会にふみ出せない。
これが広田氏もいうように、ニートであり、フリーターの問題につながるのではないかと、生の若者からして思える。
自分の方向性をあれやこれやと悩みながらも、とりあえずあれこれ社会に足を突っ込んでみる。
これしか、とりあえずの解決策はなそうである。
恐れずに、自己の虚構を現実社会の中に一度どっぷりつけてみる。
すべてはそれから始まるということに気づかなければならない。
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参考文献:『新聞記事が「わかる」技術』北村肇
~参考文献と関連させて
同じく1月16日付の日経にこんな広告があった。
「『仕事探し』の強力サポーター それが新聞の案内広告です」
と。
これを読書、情報収集という行為についてもじるなら、
「『情報探し』の強力なサポーター それが日曜、月曜の新聞です」
という風にいえる。
なぜか?
まず一般的に日曜、月曜の新聞はニュースが少ないといわれる。
そのため、生活面などの情報が増える。
それに加えて、増えるのが本情報である。
特に日曜日は、今話題のテーマに関する本を著名な人が書評として書いてくれている。
なんとも贅沢なことだろう。
話題のトピックを日本を代表するような知性と一緒にタイムリーに考えられるのだ。
対して、月曜日の新聞には新しい雑誌の広告が多いように思える。
新聞は最新情報の総合ターミナルといった性格もあるのだ。
HageOyajiは現在、高校生向けに≪HageOyaji通信≫を発信し、棺桶に入るまでのライフワークを続けています。偶々、貴方の「若者から見る若者像の分析:松山情報発見庫#47」にお邪魔しましたので、コメントを書かせてもらいますよ。
>自分の方向性をあれやこれやと悩みながらも、とりあえずあれこれ社会に足を突っ込んでみる。
>これしか、とりあえずの解決策はなそうである。
>恐れずに、自己の虚構を現実社会の中に一度どっぷりつけてみる。
>すべてはそれから始まるということに気づかなければならない。
さすが、生きる力を持っている大学生ですね。貴方の視点から高校生へアドバイスすることがありましたら、いつでもHageOyaji通信へ遊びに来てください。
HageOyaji通信の第15話、第16話に「これからの働き方」を配信してますので、トラバしておきますので、読み終わったらどうぞ、削除でもしてください。
さっそく今から見に行ってみます!