新編 悪魔の辞典岩波書店このアイテムの詳細を見る |
この本の中で、ジャーナリズムというものへの定義として、
「きわめて強力な拡大器であって、この器械は、編集者たちの発言と印刷用のインクとの助けを借りてハツカネズミの泣き声を論説委員の獅子吼に変え、国中の人々が(察するに)その発する声に生きを凝らして聞き入ることになっている。」(122頁)
というように述べている。
この国に関していえば、広告主のお眼鏡に適うようにしかその拡大器は使われていないようにしか思えない。
いつも、同じ意見、似たような報道がほぼ異口同音に繰り広げられるだけだ。
異なる論理をぶつけ合うということは、めったにない。
というかない。
多少あるにしても、おふざけ程度であったり、横暴な司会者の思うがままに仕切られたりという程度だ。
「きわめて強力な拡大器」を持ち、ハツカネズミの意見をすら国中に届ける力があるということをしっかり自覚し、奮起して欲しい・・・
でも、日本の「批判精神なき」マスコミにより作られた世論では、そのときの風説と違うことをいうと、けなされますよね・・・
僕がおかしいと感じたのは、マスコミのあり方・・・
これまで、良くも悪くも、ホリエモンで儲けさせてもらっていたのに、今度は、一転してまた儲けさせてもらう・・・
放送のエキセントリズムともいう姿勢、広告主が儲かればいいというような姿勢、
ホリエモンが改革の象徴として取り上げられていたときには、おおむねそれに賛同し、
今回逮捕されると、一同に批判するという姿勢、
それがとても不気味でした。
ただ、ホリエモンさんが、いちばん教えてくれたのは、
企業活動における倫理観の重要性だったと思います。
企業人たるもの、例え軽はずみで行った一つの悪意の種が、
その企業の与える社会的なインパクトに応じて、希釈されるはずところが、著しく濃縮された状態で社会に、その悪意が拡大されて伝わってしまう。
そのことを再認識させてくれたと思います。
このことは、1月26日付の日経新聞1面で塩田宏之氏が、
「三十年前、日本初の宅配事業を始めたヤマト運輸。数年後集配所でダンボールからこぼれ落ちたミカン一個を食べた社員がいた。故小倉昌男氏はその社員を解雇する。『新事業を顧客に理解してもらうには、小さなごまかしも許されないという戒めだった』(中略)企業価値は経営者の覚悟と絶え間ない営みが紡ぎ出す。」(「堀江社長逮捕 ライブドアショック」)
と述べていることに、法人、法の下での人としての企業ということを再認識する必要性を私たちに感じさせてくれたといえます。
企業は、社会的に大きな人である。
それゆえ、大きな倫理観が必要である。ということでしょうか・・・
ps.
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