【現状の課題】
1、子どもを甘やかしすぎてはいないか。(「近代」の復讐)
詰め込み教育の反省から、「ゆとり教育」が誕生しました。この「ゆとり教育」のおかげで子どもが明るく元気になったのは事実だと思います。しかし、この「ゆとり教育」は一方では学力低下を招いたという批判がなされました。どのデータをもとにしてこれを検証すればいいのかわからないのですが、その傾向はあったのだと思います。
ただし、事実を曲解した議論もあったのも事実です。例えば、当時円周率を3,14ではなく3で教えるということが話題になり、これに対して、大きな声で批判している人がたくさんいました。しかし、ではなぜより正確な3,1416でなく3、14なら許されるのでしょうか。3でだめなら、3,14でもだめなはずで、その理由もわからずにただ回りの空気に流されて批判していた人が多くいました。
あるいは、大学生の学力低下が叫ばれ、大学生にもなって分数の計算もできないということを問題視する意見も多く聞かれました。しかしこれは学力低下の問題ではなく、大学進学率が急激に上がったためであり、また、文系学部で数学が必要がないという大学入試制度のためであり、「ゆとり教育」の問題ではないのです。
どうも「ゆとり教育」は日本人の好きな「空気」によって、必要以上に悪者にされたようでした。ただ、「ゆとり教育」が学力低下を招いていたというのは教員をしていて直感的には感じられました。また、学力調査などの数字を見ても、その傾向があったのではないかと感じさせられるものでした。
さらに、子どもたちは携帯ゲームで遊ぶようになりました。一人で遊ぶことができ、しかも持ち運びが簡単なので、好きな場所で、好きなだけ遊ぶことができます。よくできたゲームであるため飽きることもなく、子どもたちは退屈という言葉を忘れてしまいました。現代っ子の辞書には「退屈」という言葉はないのです。子どもたちのゲームブームなどを見ていると、この子達は将来本当に大丈夫なのだろうかと感じられるようになりました。
一方では近隣国の躍進が伝えられます。韓国や中国の受験戦争のニュースや、様々な場面での両国の若者の語学力を見て、そして、韓国企業の国際的な躍進とあいまって、このままでは日本は国際競争力を失い、どんどんどんどん、貧しくなっていくのではないかと誰もが心配することとなってしまいました。
このような状況になって、揺り戻しがはじまりました。確かに子どもを大切にすることは大切であるし、子どもの人権を大切にすることは大切なことです。昔はそれをあまりにも軽視しすぎていたのも事実であろうと思います。しかし、最近の子どもに対する対応はいきすぎなのではないか、子どもたちを甘やかしすぎたのではないか。「ゆとり教育」の見直しがはじまったのです。
これはつまり、「経済優先主義」の復活であり、ポストモダンから近代への回帰と見ることができます。
つづきます。
1、子どもを甘やかしすぎてはいないか。(「近代」の復讐)
詰め込み教育の反省から、「ゆとり教育」が誕生しました。この「ゆとり教育」のおかげで子どもが明るく元気になったのは事実だと思います。しかし、この「ゆとり教育」は一方では学力低下を招いたという批判がなされました。どのデータをもとにしてこれを検証すればいいのかわからないのですが、その傾向はあったのだと思います。
ただし、事実を曲解した議論もあったのも事実です。例えば、当時円周率を3,14ではなく3で教えるということが話題になり、これに対して、大きな声で批判している人がたくさんいました。しかし、ではなぜより正確な3,1416でなく3、14なら許されるのでしょうか。3でだめなら、3,14でもだめなはずで、その理由もわからずにただ回りの空気に流されて批判していた人が多くいました。
あるいは、大学生の学力低下が叫ばれ、大学生にもなって分数の計算もできないということを問題視する意見も多く聞かれました。しかしこれは学力低下の問題ではなく、大学進学率が急激に上がったためであり、また、文系学部で数学が必要がないという大学入試制度のためであり、「ゆとり教育」の問題ではないのです。
どうも「ゆとり教育」は日本人の好きな「空気」によって、必要以上に悪者にされたようでした。ただ、「ゆとり教育」が学力低下を招いていたというのは教員をしていて直感的には感じられました。また、学力調査などの数字を見ても、その傾向があったのではないかと感じさせられるものでした。
さらに、子どもたちは携帯ゲームで遊ぶようになりました。一人で遊ぶことができ、しかも持ち運びが簡単なので、好きな場所で、好きなだけ遊ぶことができます。よくできたゲームであるため飽きることもなく、子どもたちは退屈という言葉を忘れてしまいました。現代っ子の辞書には「退屈」という言葉はないのです。子どもたちのゲームブームなどを見ていると、この子達は将来本当に大丈夫なのだろうかと感じられるようになりました。
一方では近隣国の躍進が伝えられます。韓国や中国の受験戦争のニュースや、様々な場面での両国の若者の語学力を見て、そして、韓国企業の国際的な躍進とあいまって、このままでは日本は国際競争力を失い、どんどんどんどん、貧しくなっていくのではないかと誰もが心配することとなってしまいました。
このような状況になって、揺り戻しがはじまりました。確かに子どもを大切にすることは大切であるし、子どもの人権を大切にすることは大切なことです。昔はそれをあまりにも軽視しすぎていたのも事実であろうと思います。しかし、最近の子どもに対する対応はいきすぎなのではないか、子どもたちを甘やかしすぎたのではないか。「ゆとり教育」の見直しがはじまったのです。
これはつまり、「経済優先主義」の復活であり、ポストモダンから近代への回帰と見ることができます。
つづきます。