とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

国家の暴走が始まっている「高大接続改革」

2018-08-15 07:44:23 | 社会
 今日は終戦紀念日である。私は最近の日本の状況を見ると「国家」の暴走が始まりっているのではないかと懸念している。国家権力に反対すると「排除」されるという構図が見られるからだ。その中の一つに「高大接続改革」がある。

 昨日の朝日新聞からの引用である。

 2020年度に始まる大学入学共通テストで導入される英語の民間試験の活用方法について、国立大の方針決定が遅れている。朝日新聞が学部入試を行う82大学に確認したところ、10日時点で具体的な方針を示したのは12大学にとどまり、37大学は「活用するかも未定」と答えた。目的が異なる複数の試験を比較することの公平さなどについて疑問が投げかけられ、方針がまとまらない大学が多いようだ。
 共通テストは、現在の高校1年から対象となる。国立大学協会によると、国立大は入試を変更する際、受験生の準備などを考慮して試験実施の2年前の7月に基本方針を示すケースが多い。国大協は全受験生に民間試験を課す方針を決め、ガイドラインを示しているが、半数近くの国立大では、この方針に従うかさえ決まっていない。


 私は「高大接続改革」自体は賛成である。これは大学入試改革であり、大学入試を改革することによって高校の授業を改善していこうというものだ。旧態依然の知識偏重でなんのために学んでいるのかわからないような授業を、考える力、実用的な学力に変えようという試みである。理念はすばらしい。しかし問題なのは、これがいつの間にか業者の利益だけが目立つ改革になってしまっているということなのだ。そして改革を急ぎ過ぎているということである。

 たとえば英語の民間試験の活用については、いくつかの試験があるのにそれを公平に比較するのがむずかしい。公平性が保てないのに入試結果に反映させるのは無理に決まっているのだ。それなのに大学入試センターはそれを推し進めようとばかりしている。これでは混乱するばかりだ。

 さらにおかしいのは、ベネッセ社がこの改革を見越したかのように「GTEC」という民間試験を始めて、それが安いこともあり、多くの高校は「GTEC」を学校としてうけさせようとしているのである。一方、これまで英語検定試験の代表であった「英検」はいちゃもんをつけられ、改善を要求されたために、高校での受験斡旋が急激に減ってしまっている。もはやだれもがベネッセ社と国家権力との癒着を疑わざるをえない、ベネッセのための改革としか思えない状況なのだ。

 このような状況の中、あせって改革する意味はない。疑念があるのだからその疑念を解消して、改善すべきところを改善していくことが大切なのだ。しかし最近の国家権力は暴走するだけだ。こんな国にどうしてなってしまったのだろう。

 平等で自由というのが、この国の根本であり、教育の理念であったはずだ。そういう国に生きたい。
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