京都南座で坂東玉三郎と片岡愛之助出演の歌舞伎『牡丹灯籠』を見ました。素晴らしい舞台を堪能しました。その感想を書こうとしたのですが、長くなってしまったので分割します。今回は『牡丹灯籠』の作者円朝について書かせていただきます。
『牡丹灯籠』の原作は三遊亭円朝の落語です。三遊亭円朝の落語は日本文学においてとても重要です。
意外に感じる方が多いと思いますが、明治時代の初め、日本には言文一致の文体がなかったのです。今は私たちは当たり前のように言文一致の文体で文章を書いています。しかし実は、私たちは言文一致の文体が浸透し、それをまねをして書いているのです。真似をするもの(規範)がない明治時代の人たちはどういうふうに言文一位の文章を書いていいかわかっていません。ではどういう風に文章をかいていたのか不思議に思う方もいるかもしれません。お役所の文章は漢文体で書きましたし、小説風の文章ならば戯作調や擬古文調で書きました。それですませてきたのです。
当時日本の「近代化」が日本人の至上命題になっていました。文学においては西洋風の「小説」を作り上げることが文学の近代化だったのです。西洋風の文学を作り出すためには、誰にでも理解できる文体が必要だと考えました。それが言文一致体です。多くの文学者が言文一致の文体を模索していました。
言文一致体をそうすればかけるのか、二葉亭四迷は坪内逍遙に相談しました。坪内逍遙は円朝の落語の速記本を参考にするように言ったのです。落語は口語です。落語の真似をすれば言文一致の文体が手に入れられると考えたのです。
日本で言文一致の小説の始まりは二葉亭四迷の『浮雲』と言われています。今読むと、どこが言文一致なのかわからないし、何がいいのかわからないような小説なのですが、二葉亭四迷をはじめとする、当時の文学者の努力がわかります。
落語が日本文学の基礎になったというのは意外ですね。
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