「あいちトリエンナーレ」の展示の一部「表現の不自由展・その後」が中止になった問題をめぐり、文化庁は採択を決めていた補助金の全額を交付しないと発表した。文化庁は展示内容とは関係がないと主張しているが、これは明らかに屁理屈である。最近日本政府には、屁理屈でありながら無理矢理通そうとする姿勢が見受けられる。そして一方ではそれを攻撃する力も野党にない。
「この国では長いものに巻かれながら生きていくしかないのか」、という思いが国民の中に生まれているような気がする。北朝鮮のような独裁政治の中にいるような気がする。もちろん北朝鮮ほどの制約があるわけではない。しかし自由に発言をすると、ネットの世界でつるし上げに会い、政府はそれを後ろ盾に無理を通してしまうもはやこの国では表現の自由は制限されてしまっているのだ。
「お上は国民の利益のために正しいことをやっているのだから、黙ってお上の言う通りに働きなさい。国のためには多少のことはがまんしなさい。」そんなプレッシャーの中に今、我々は生きているようにしか思えないのだ。
「表現の不自由展」は結果的に「表現の不自由」な状況をよく示すことになってしまった。この状況がなぜ生まれてしまったのか。原因を検証し、自由を取り戻さなければならない。
日本が戦争に突入していった過程も、こういう自由に発言できない雰囲気からだったのではないかと危惧しています。
私もそんな印象を受けます。
展示物の論議はあえて避けて、なにかぶつぶつ萩生田氏が建前を並べたてているのを見ていました。
>「この国では長いものに巻かれながら生きていくしかないのか」
「忖度」という言葉が流行語のようになりましたが、何もかもが安倍さんの顔色を見ながら話しているようにしか思えませんね。
大村愛知県知事頑張れと言いたいです。
ああ、裁判所も忖度始めたら、韓国と一緒になりますね(泣)
だから、司法やマスコミはその権力者を監視しなくてはなりません。
そのために、表現の自由は守られなくてはならないのです。個人の尊厳を守りつつですが。 マスコミは権力批判(評価)をしなくてはいけないし、そこに存在価値がある。
ラグビーが相手をリスペクトするように、異見は尊重されるべきと考えます。
あの「少女像」を見て、制作意図を理解して、反対意見は真正面から堂々と言う。
そんな懐の大きさが必要だと思います。
どうも行政は、いまだに「パターナリズム」に犯されているような気がします。
正しい情報を出し、それに対する市民の判断を、もっと信用しても良いのではないでしょうか。
そして、市民がより良い判断を下せるように、教育に力を入れてほしい。
教育こそ最大の専守防衛です。