石川県の馳浩知事が東京五輪の招致活動に内閣官房機密費を使ったと発言した。すぐに撤回したのだが、だれも信じてはいまい。
馳氏は自分の自慢をしたかっただけであり、それが大ごとになってしまったから撤回したのだ。機密費の問題だから撤回すればそれ以上は追求の仕様がないので、逃げ切ることはできる。しかし誰もが馳氏の発言は事実だったと思っているという、現在の日本の社会を象徴するような出来事になってしまった。これでは選挙に若い人がいかないのは当然だ。
東京オリンピックはコロナ禍で行われた。客席はガラガラで、それでも成立したのだ。こうなったらもうオリンピックなんて世界分散開催でも可能であろう。例えば水泳は日本で、陸上競技はアメリカで、サッカーはアフリカで、ヨーロッパではバスケットを同時期に行えばいい。現在のような経費の問題もクリアできるし、過度の誘致合戦も起きないだろう。世界中の人が同じように楽しむことができる。
オリンピックは今や異常の上に成り立っているイベントである。この異常性はスポーツの良さから生まれたものであるが、そろそろこの異常性に気が付かなければいけない。
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