とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

結局安倍晋三氏ははぐらかしているだけだ

2018-05-14 15:58:02 | 政治
 きょうはたまたま仕事が休みだった。午前中国会中継を見ていた。玉木雄一郎氏の質問は的を射たものであったが、それに対しての安倍総理大臣の答弁が論理のすり替えだけであるのは、だれが見ても明らかであった。これは安倍総理に味方する人であってもわかるほどのものであろう。

 安倍総理は答弁で加計学園に何十倍もの学生が受験したから加計学園を設置したのは正しかったと説明したが、これは明らかに論理のすり替えである。誰も国家戦力特区を否定しているわけではない。獣医学部の新設については賛否両論あったのは事実であるが、国家戦力特区が認められた以上手続きがしっかりとしていれば誰も反対できないし、それを反対している人はいないのである。ところが安倍総理は野党が国家戦力特区を否定しているかのような決めつけた答弁をしているのである。こんなわかり切ったことを発言するのはなぜなのか。国民を馬鹿にしているのか、本人が馬鹿なのかどちらかだ。

 愛媛県知事の国会招致をみとめないのも筋が通らない。首相は野党に証拠を出せというが、証拠を出すために証言を得ようとするとそれはダメだというのでは話にならない。こんなに非論理的な議論が国会でなされている事実が、この国の政治の劣悪さを示している。

 私は安倍総理を全否定しているわけではない。しかし、このような子どもみたいな総理がこの国のトップであることに憤りを感じるのだ。今からでも遅くない。真実を先頭に立ち追求して、誠実に野党に対応し、謝るべきところは謝り、不遜な態度を改めてもらいたい。
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柳瀬氏の発言が子供の言い訳に聞こえてしまうわけ

2018-05-13 14:43:12 | 政治
 5月10日に行われた衆院予算委員会での参考人招致で、柳瀬元総理大臣秘書官は加計学園関係者との面会を認めた。しかしながら愛媛県や今治市の職員との接触は記憶にないと発言した。加計学園関係書との接触は聞かれていないので、かつての国会答弁にうそはない、という主張である。子どもの言い訳にしか思えない。

 さらに「首相案件発言」は改めて否定した。この時の発言が気になる。柳瀬氏は、安倍総理は国家戦略特区を強く推し進めており、その意味で、

「面談の中でも獣医学部新設の解禁は、総理は早急に検討していくと述べている案件であるという趣旨はご紹介したように思います。」

と、説明している。つまり「首相案件」という意味は「国家戦略特区」のひとつとして「獣医学部新設」を、安倍総理が強く推し進めていたという論理を柳瀬氏は展開しているのである。それはそれで通らない理屈ではない。だとしたら、それに続く柳瀬氏の、

「そもそも言葉といたしまして私は普段から首相という言葉は使わないので、私の発言としてはややちょっと違和感がございます。」

という発言が必要ないということになる。言わなくともいい発言なのだ。わざわざこれを言ったということは、ひとつは印象操作を狙ったものであり、もうひとつは何かをごまかしたかったという心理が働いたものと考えられる。子供の言い訳は言わなくともいいことを言う。言わなくともいいことを言った場合は何かをごまかす時だ。

 それでは何をごまかしたかったのだろう。それは上にあげた二つの発言の真ん中に入る次の発言であろう。

「しかしながら、(私が)この今治市の個別プロジェクトが首相案件になるという旨を申し上げるとは思いません。」

 これは明らかにおかしい。

「この今治市の個別プロジェクトが首相案件になるという旨を申し上げてはいません。」

と言っているわけではなく、「論理的に考えた場合、私はそう言わないはずです」という第三者的な発言に変化しているのである。事実を述べているわけでもなく、記憶を述べているわけでもない。理屈を述べているだけだ。しかもこの理屈は自分の記憶をもとにしているため根拠が明確でなく、論理的とは言えない。

 人間がうそをつく場合、こういう発言をしてしまう。あきらかに違和感を覚える発言なので、だれもが直感的に変だと感じてしまうのである。

 とりあえず、柳瀬氏の参考人質疑は疑問の残らないようであったということだけは明らかであり、これで幕引きという雰囲気を作ってしまっている与党の姿勢は問題がある。
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書評『生者と死者をつなぐ 鎮魂と再生のための哲学』(森岡正博著)

2018-05-09 18:01:54 | どう思いますか
 高校の国語総合の教科書の一番最初に、この本に収録された「ダイヤモンドと希望」という文章が掲載されていた。ギリシャ神話の「パンドラの箱」の話やカントのことばを紹介し、人間は「人間の尊厳」を破壊することはできないのだと語っている。いい話だ。人間の生きている意味を考える意味でも示唆を与えてくれる。他の文章も読んでみたくなり本を購入した。たくさんいい文章がある。読む価値がある本である。

 筆者は「誕生肯定」という考え方を示している。「誕生肯定」を説明している個所を引用する。

 「誕生肯定」とは、自分がこの世に生まれてきたことを、「生まれてきて本当によかった」と心の底から肯定することだ。生まれてきて本当によかったと思えるように、人生を生きてみてはどうかということだ。

 こう思えるようになれば、どんなにいいだろうと思う。しかしこう思うためにには多くの思索が必要である。能天気に「生まれてきてよかった」ということは可能かとは思う。しかしそれはすぐに覆る。「誕生肯定」とは自分と向き合い、自分を苦しめた人間だけが最後の希望として得られるもののような気がしてならない。

 どのような苦闘の末「誕生肯定」がうまれたのか、それを知りたくなった。
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書評『頭を鍛えるディベート入門』(松本茂著)

2018-05-07 07:46:06 | 読書
 NHKの英語講座などで講師として活躍している松本茂さんの著作である。ディベートの意義についてを学ぶにはいい本だが、実践的なことを学ぼうとするといまひとつである。

 私もディベートを授業の中で再挑戦してみたいと思いこの本を購入した。英語教育でディベートを実践している方は少なからずいる。そしてそれが最近の探求型学習のブームによって再び脚光をあびつつある。以前私も国語の授業の中でディベートを実践しようとした経験があるが、うまくいったのかうまくいかなかったのかもわからない状態にしかならなかった。今回アクティブラーニング型の授業の一環としてそこでもう一度勉強しようと思いったのである。

 本書はディベートの意義について分かりやすく説明している。ディベートが論理的に考える力を育てることは明らかだ。しかしこの本には入門時の様々な困難についての記述がない。どのようにディベートを学校教育に導入、実践していくかがわからないのだ。最後に実例が出ているが、この実例があまりに高度なものなので、実際に学校の授業で参考にしようにもできないのである。学校の授業ではない場面で取り組みたい人もいるだろうが、それにしても同じである。何から始めていいのかがよくわからない。その意味で実用的ではない。

 おそらくもっと根本には、日本における国語教育の問題があるのだ。論理的に書いたり話したりする能力、いわゆる『言語技術』の教育が日本ではほとんどなされていないというのが問題なのだ。それを確認するための本だったのかもしれない。
 
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映画評『ペンタゴン・ペーパーズ』

2018-05-06 07:26:46 | 映画
監督、スティーブン・スピルバーグ
出演、メリル・ストリープキャサリン トム・ハンクス他

 ストーリーは以下の通り。

 ベトナム戦争の状況について政府が意図的に間違った情報を国内に流していた。その事実を知っている男が、政府の不正を暴露するために新聞社に機密文書のコピーを流す。その文書が「ペンタゴン・ペーパーズ」である。「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」が政府の圧力に屈せずに報道を続け、巨悪が市民に明らかになっていく。

 現在のアメリカでもトランプはマスコミ批判を繰り返し、圧力をかけ、自分の疑惑をかわそうと必死になっている。これではまさに「共産国家」と同じである。民主主義が踏みにじられている。そんな状況に対しての明確な抗議の映画であり、この正義感に強く共感する。ストーリー展開もしっかりとしており、人物描写も裏と表をしっかりと描いているのでリアリティがある。単なるアジテーション映画ではなく、作品としても超一級だ。すばらしい映画である。

 日本においても同じだ。安倍政権は不正隠しに必死であり、徐々にその事実があらわれてきているが、そんな不正を忘れさせようと、あらたなことをどんどん始め目くらまし戦法をとっている。こんな政権はすぐにでも退陣してほしいというのが私の本音だ。しかしこの政権は我々が選挙で選んだ政権なのだ。われわれは次の選挙で目くらましに騙されないで投票していくしかない。

 日本のマスコミもいけない。真実を暴くことを主眼としていなく、空気づくりを主眼としている。これは国民を信じていない証拠であり、マスコミも民主主義を信じていないということを示している。

 もっと真実を追い求めてもらいたい。この映画は真実の力を教えてくれる。
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