とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

高橋治之氏は国会で証言すべきだ。

2022-08-20 07:52:44 | 社会
 東京地検特捜部に逮捕された東京五輪・パラリンピック組織委員会の元理事高橋治之容疑者は無罪を主張しているという。AOKIホールディングス側から資金を受領したが、五輪に絡む便宜は図っていないと言っているのだ。受け取ったお金はコンサルタント料であり、賄賂ではないというのが高橋氏の理屈だ。こんなひどい論理が通るはずがない。

 もし彼の論理が通るとすれば、オリンピックの理事はやりたい放題だ。利権構造の中で常識が見えなくなったのだ。

 そもそもこういう男をつくったのは電通という組織だ。電通は経済界との太いパイプがある。持ちつ持たれつの関係だ。そして電通が政界とも結びつくから、巨大利権が生まれる。さらに電通とマスコミは持ちつ持たれつの関係だから、マスコミは電通に忖度する。こうして巨大利権コンツェルンが形成される。安倍政権のこれまでにないほど強い権力を支えたのはそこだったのではないだろうか。

 今回の収賄事件は、これほど大きな事件であるのにも関わらず、ワイドショーはあまり取り上げない。旧統一教会には忖度する必要ないから必要以上に報道する。しかし高橋容疑者の問題については深くつっこもうとしない。マスコミは高橋氏の問題を旧統一教会の陰に隠してしまう。高橋氏の事件の本質は、このような日本の権力構造にある。

 今回の事件は高橋氏だけの問題ではあるまい。高橋氏を許してきた政治や経済界、そしてスポーツ界の大きな癒着体質の問題である。いい加減にすませてはいけない。ぜひとも高橋氏を国会に呼び、この問題について証言してもらいたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三氏と日本の権威主義

2022-08-18 09:08:29 | 社会
 安倍晋三氏が亡くなってわかったことがある。日本の権威主義である。

 安倍氏は森友学園や加計学園問題、「さくらを見る会」などたくさんの問題を抱えていた。もちろんひとつひとつ国家的なテーマとしては取るに足らないような問題であり、それを大きく取り上げるのはどうかというものであった。しかし、森友問題においては赤木さんの自殺もあり、やはり見過ごすことはできないようなものであった。

 それ以上に大きな問題だったのは、安倍晋三氏をとりまく権力集団の不遜な態度である。とりまきのような評論家が偉そうに安倍氏を擁護する論評を加え、さらに敵対する勢力を「バカ」と言い切る。さらにインターネットでいわゆる「ネット右翼」が乱暴な言葉遣いで追随する。それが当たり前の世の中になっていた。

 ところが安倍晋三氏が亡くなって、あきらかに「空気」が変わった。取り巻きの評論家たちは、逆にネットの攻撃の対象になることも多くなった。インターネットの書き込みも、前ほどのひどさがなくなった。(ネット右翼って旧統一教会の信者なのではないかとも思えてくる。)

 これは何を意味しているのか。あきらかに安倍晋三氏の御威光がなくなり忖度しなくなったのである。つまり、それだけ日本人は権威に弱かったということである。

 こういう権威に弱いという性質が、日本が戦争に突き進む要因になったのだ。周りの「空気」に追随する生き方が日本人の大きな特色であり、それに反抗できない。反抗すれば「村八分」にされる。それが怖くて自分の主義主張を無意識に変えていく。それが戦争に突き進めたのだ。

 自由な言論環境を守っていくことが大切である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『自己責任』という言葉の裏に

2022-08-14 07:11:17 | 社会
 旧統一教会の田中会長が記者会見を行った。その際、信者それぞれでは、自民党を中心とした政治家を応援をしたということがあるのだろうが、「法人(旧統一教会)」としては何もしていないという趣旨の説明をしていた。つまり旧統一教会としての組織ぐるみでの政治家との関係はないという意図である。信者と議員との関係は「自己責任」だという表明である。

 一方、自民党の対応も同じだ。党としては旧統一教会とは関係ない。各議員がそれぞれ関係をもっていたので、各議員が「自己責任」で説明しなさいと言っている。

 一見筋が通っているように見える。しかしこれはなんでもかんでも個人の問題にすり替えてしまい、セーフティネットをはっただけにすぎない。

 近年、このような「自己責任」がはびこっている。

 新型コロナ対策も自己責任になりつつある。老後の資金も年金にたよらず自己責任にだと言い始めた。年金が足りなくなるから投資しなさい。しかし投資で成功するか、失敗するかは自己責任だ。そもそも新自由主義経済と言うのはすべての経済活動は自己責任だという考え方だ。そして選挙も自己責任だ。選挙で選ばれた自民党政権が何をしようと誰も文句を言えまい。このように「自己責任」という言葉がいいように使われているのだ。

 それはそれで一理ある。しかしそこの大きなごまかしがあるのも間違いあるまい。そもそも日本は伝統的な「村社会」であり、組織と個人の境界があいまいな社会である。日本語の「ウチ」の示す範囲が自由自在だ。だから組織は多くの場合、「ウチ」に含まれる。新型コロナ対策は当初は国家が責任を持つものであった。突然自己責任だと言われても困るし、年金問題もそもそもが国が責任をもっていた。今さら自己責任だとするのはあきらかにごまかしなのだ。

 突然「自己責任」を言い始めた場合、それはなんらかのごまかしである場合がほとんどである。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧統一教会の問題を隠すような内閣改造によって、実は他にもたくさんのことが隠されている。

2022-08-13 07:44:05 | 社会
 岸田総理が突然内閣改造を行い、それと絡めて旧統一教会の問題がさらに大きく取り上げられている。旧統一教会については徹底的に究明してほしいものであるが、必要以上に大騒ぎをしている。このままではしばらくしたらみんなに飽きられて、「大騒ぎしておしまい」のような予感もする。そのどさくさの中でいくつかの大きな問題が隠されてしまっていることを忘れてはならない。

 一つは野田聖子議員の夫が暴力団員だったという問題である。野田聖子・前地方創生相の夫が、過去に暴力団員だったなどと報じた週刊文春と週刊新潮を相手取り、両社に1100万円の損害賠償を求めた2件の訴訟について、最高裁は、夫側の上告を退ける決定を出した。野田聖子議員の夫は反社会的勢力であり、野田議員はそれを嘘をついてまで隠していたということになる。暴力団は反社会的勢力であり、これは旧統一教会と同じ程度で大問題であろう。芸能人ならば廃業の危機である。それなのにマスコミもほとんど騒がない。これはどうしたことか。

 もう一つは東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の高橋治之元理事の問題である、オリンピックがどれだけ利権がらみであったのかを明確にすべきなのに、それがいつの間にか話題に上らなくなった。高橋氏は電通の元社員であり、電通顧問でもある。実は電通と経済界、そして政治家との癒着にこそ、日本の大問題が潜んでいるのではないかと考える人は多く、私もそのひとりである。その問題がいつの間にか話題から消えてしまった。うがった見方かもしれないが、この問題を隠すために電通と経済界と岸田総理が内閣改造を仕組んだように見えてしまう。もちろんマスコミは電通に忖度するためにこの問題を忘れたことにしてしまったのだ。

 さらに言えば、終戦記念日前にウクライナ問題などを含めて戦争について考えなければいけないときに、それを旧統一教会問題が凌駕してしまった。

 繰り返し言うが旧統一教会問題は確かに大問題だ。しかしそれだけが大問題ではない。視聴率が取れるからと言ってむりやり時間稼ぎをしてそれだけに時間を費やし、他のものを忘れさせるマスコミは、旧統一教会なみに反社会的だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NTLIVE『プライマ・フェイシィ』を見ました。

2022-08-12 05:56:46 | 映画
 ジョディ・カマー主演のひとり舞台NTLIVE『プライマ・フェイシィ』を見ました。性被害を受けた女性の心を描く映画です。性被害者を担当することの多い弁護士自らが性被害を受け、その困難さの中で「真実」を見つけます。脚本も見事でジョディ・カマーも熱演です。内容も演技も見事としか言いようがありません。

 主人公テッサはトップクラスの弁護士です。同僚の弁護士と仲良くなり、性的な関係を結ぶようになります。ある日酒を飲み、自分の部屋にその同僚を向かい入れ、セックスをします。しかしその後、気分が悪くなり、トイレで吐きます。そのような状況でありながら、男はセックスを求めます。テッサは拒否するのですが、男はテッサを無理矢理犯します。

 テッサはこれをレイプだと訴えます。しかしこれが難しい裁判になることは明らかです。それでもテッサは自分の尊厳のために戦います。そしてその裁判の中で性被害の裁判に内在する困難さに気が付きます。自分自身が被害者になったからこそ気が付いたのです。

 この映画のようなケースでは、初めからレイプを立証することは無理なようにも思えます。直前まで合意によるセックスをしていたのです。訴訟になっても無理だと思います。しかし性被害は性被害です。人間の尊厳を失った人が、尊厳を回復する権利があります。テッサの言動は私自身の思い込みに対して揺さぶりをかけてきます。

 そして最も大切なことは、性被害者しかわからない感情があるということです。それを理解できずに裁判をしても、その裁判は外国で裁判をしているようなものです。それではたとえ被害者が裁判で勝ったとしても、実は尊厳を取り戻すわけではないのです。だれもが性被害者の心を理解できてこそ、解決にいたるのです。

 日本においても性被害は泣き寝入りしているケースがほとんどだと聞いたことがあります。表に出にくい事件ではありますが、その内実をよく知っておき、そして被害者の気持ちになって考えることの重要性を強く感じました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする