世界の街角

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NHKスペシャル・御柱を見て・その3

2016-07-02 08:46:58 | 古代と中世
<続き>

番組は以下のように続く・・・。守矢家の敷地に建つ御頭御左口神総社。祭壇には地元の人々が供えた鹿の骨や栗等の縄文人が暮らしの糧としていた山の幸が並ぶ。
神の名は御左口神(ミシャグジ)と云う。巨木や石に降りてくる土地の精霊と信じられている。守矢家は御左口神を人間の世界に降すことができる唯一の家と信じられてきた。



縄文時代、他の地域にもあったはずであろうこの祭りが、なぜ諏訪だけにのこされたのであろうか。
前3世紀、諏訪の地も弥生の波にのみこまれ、当地でもコメ作りが始まった。押し寄せた農耕文化は、ある外来のカミに重ねて伝えられてきた。カミの名は建御名方命。鹿や鷹を捕獲して農地を広げ、田畑を耕してクニを開いたという。 ー1部略ー
諏訪の地で農耕を広めた建御名方は、諏訪大社のカミ諏訪明神として君臨することになった。
弥生の流れを汲むカミを頂点に戴くことになった諏訪、其の中で何故、巨木を神聖視する縄文のカミが生き延びたであろうか。諏訪に伝わる文書によれば、建御名方に抵抗するために立ち上がったカミがいた。それは元々諏訪を治めていたモレヤ(洩矢神)というカミ。狩猟にたけ大地の精霊の声を聞く、縄文人を思わせるカミだ。モレヤは建御名方の侵入を阻もうとした。長い戦いの末、モレヤは敗れた。しかし意外なことに建御名方はモレヤを滅ぼそうとはしなかった。
縄文以来の諏訪の祈りを守る守矢家。じつはその先祖は、モレヤのカミと伝えられている。建御名方が入って来たとき、それに仕える選択をしたと考えられている。以降、諏訪大社の神事を司ってきた。
・・・今回の紹介はここまでとしたい。
現在の守矢家当主は78代目と紹介があった。これには多少なりとも驚いた。古代以来連綿と家系が続くのは天皇家、今上天皇は125代で、天照大神ー天忍穂耳尊ー瓊瓊杵尊ー略2代ー初代・神武天皇 以降の125代である。
天照大神ー初代・天穂日命から始まる出雲国造家。現当主は84代目にあたる。これと同じように系図がはっきりしている、京都・宮津 元伊勢・籠神社社家の現当主は82代目である。
これらに対し、守矢家は、やや新しいと思わなくもないが、古代から連綿と繋がる家であろう。
卑弥呼が親魏倭王の金印を魏帝から賜るのは、西暦238年(239年説も存在する)とされている。もはや縄文時代は終焉を告げ、弥生時代の話しである。卑弥呼を天照大神にあてるのが一般的とすれば、建御名方と戦ったモレヤは、果たして縄文のカミ有得たるであろうか?
前回指摘した、能登・真脇の環状木柱列遺跡。これも縄文というより、弥生の日輪祭祀の匂いがする。今日、縄文と弥生を区別したがっているように思えなくもないが、相互に錯綜した時代が300-400年続いたのではないか?それが卑弥呼の時代まで続いた戦乱の時代であったであろうと妄想している。




                                 <続く>