<続き>
2012年7月、堺市博物館で見た盤はキャップションによると、サンカンぺーン印花盤と記されている。その見込み中央は銅鼓と同じ光芒を放つ太陽文であるが、その外周の文様が不鮮明ではっきりしない。
そのサンカンぺーン印花盤は、比較的大きい29.5cmで、口縁の輪花形状も変則的であり、重ね合わせた反対側の盤の口縁が、当該盤の釉薬によって部分的に剥ぎ取られ喰いついている。これは過去に見たサンカンぺーンの盤と景色が異なっている。その文様を写し取ったのが上のスケッチで、見込み中央文様は、東南アジアに分布する銅鼓の打撃点文様で13光芒である。その外側は日本で云う蕨手文と思ってスケッチしたが、どうも異なるようで下のスケッチに訂正したい。
青丸のように隅を丸くした二重三角を90度倒して、その底を合わせた繋文と考えている。最外周の赤丸は巻貝文様と二重の半孤の間の点文様である。この最外周の文様が決め手と思われ、堺市博物館で見た盤はナーン・ボスアック産の可能性が極めて高い。
さまよえる焼成地論として5点目の事例を紹介した。次回は6点目の事例を紹介し事例紹介を終えたいと考えている。
<続く>
2012年7月、堺市博物館で見た盤はキャップションによると、サンカンぺーン印花盤と記されている。その見込み中央は銅鼓と同じ光芒を放つ太陽文であるが、その外周の文様が不鮮明ではっきりしない。


さまよえる焼成地論として5点目の事例を紹介した。次回は6点目の事例を紹介し事例紹介を終えたいと考えている。
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