過日、SNS上でタイ芸術局第7支所(在・チェンマイ国立博物館敷地内)の情報を見ていると、以下の写真を掲載した記事が出ていた。記事をみていると、何を云いたいのか良く分からないが紹介する。
ミミズが這ったようなタイ字だけでは、チンプンカンプンである。タイ字がすべて分かるわけではないが、小学生低学年用のタイ字練習帳で何回も書き写した経験から、上図にカタカナ併記し、最寄りの県・郡所在地を記入した図を下に示す。
国・県境や道路が記載されていないので、お分かりにくい点容赦願いたい。先ず上掲の図とともに、訳の分からない本文を紹介する。
”今日は、管理者がランナー時代の窯について教えてくれます。これは、見つかった証拠の分析と過去からの情報の観察結果です。 Phi Tai(Nongchai Taraksa、専門の考古学者)によると 。 第7支所は、サンカンペーン窯を含む、ランナー時代の10の陶器窯の調査を実施しました。チェンライ県ウィアンカロン、パヤオ県パーンとウィアンブア、チェンマイ県メーテン郡のインターキンとサンカンペーン、ナーン県のボスワック、ランパーン県のスームガーム、バーンメーター、トゥンタオハイ、ハンチャートの各窯である。
チェンセン窯が存在していた可能性が取沙汰されている。それはチェンセン市の近くにあると思われる。製品を生産するために使用される適切な陶土があり、水源に近い地域で、情報提供者よるとチェンライ県メーチャン地区のパトゥン地区にあると云うが、まだ発見されていない。
もう一つはハリプンチャイ窯です。その陶磁器はハリプンチャイ文化の影響を受けた遺跡でよく見られます。
ランナー時代の窯は、主要都市または主要都市から30km未満の距離にあります。”・・・以上である。
何が云いたいのか不明なるも、それらの窯はいずれも主要消費地から30km以内の距離にあり、まさに地産地消であった・・・このことを云いたかったのか? それを云うには検証不足である。サンカンペーン窯はメンライ王がチェンマイに建都してからであろうが、それ以前から存在していた可能性が高い。一方、メーテン郡のインターキン窯は、ランナー王朝第8代・サームファンケーン王(在位:1402~1441年)の時代に創業されており、その間100年以上の開きがある。他の窯場も含めて、これらが同時操業していた期間の有無も前提条件として抑えてからの、30km云々に言及すべきであろうと考えている。まあマイペンライ(気にしない、どうでも良いよ)の世界である。
チェンセーンにランナー王国時代の窯、云々については初耳である。どうも所在は確かめれていないようだ。
チェンライ県ウィアンカロン
北タイ陶磁に魅せられて:第2章 - 世界の街角 (goo.ne.jp)
パヤオ県パーン
北タイ陶磁に魅せられて:第5章 - 世界の街角 (goo.ne.jp)
パヤオ県ウィアンブア
北タイ陶磁に魅せられて:第4章 - 世界の街角 (goo.ne.jp)
チェンマイ県メーテン郡のインターキン
北タイ陶磁に魅せられて:第8(最終)章 - 世界の街角 (goo.ne.jp)
チェンマイ県サンカンペーン
北タイ陶磁に魅せられて:第3章 - 世界の街角 (goo.ne.jp)
ナーン県ボスワック
北タイ陶磁に魅せられて:第6章 - 世界の街角 (goo.ne.jp)
・・・については、過去に窯址訪問記をUp Dateしているので、それを参照願いたい。
ランパーン県のスームガーム、バーンメーター、トゥンタオハイ、ハンチャートの各窯址は未見である。これらは次回に紹介する。
<続く>
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